任務:太后の手紙を解読せよ④

これで全ての謎が解けたわけではない。


ただ間違いなく憂炎陛下は、前王と康氏の間に生まれた子。

つまり康氏が後宮の外で死産したというのは偽りで、侍女として後宮に上がっている間に国王との間に男の子を産んだ。

それをリュウ氏の子とし、自身は乳母として育てた。


劉氏は寵愛を受けながら、子ができなかったのだろう。

寵愛を独占する妃というのはどの世界でも嫉妬の対象になりやすい。なおかつ身分の低い劉氏が後宮でどのような目にあっていたかは想像に固くない。子供という後ろ楯がなければ生きることすらままならなかったのかもしれない。


そんな主に康氏はたまたまできた子を捧げたのか。授けるためにあえて子を作ったのかは分からない。

ただこの大きな秘密を守るには、誰より国王陛下の協力が不可欠だろう。


太后が康氏を城から追い出したのはもちろん、秘密の露呈ろていを防ぐため。

バオ族の血筋まで排除したのは、康氏と秘密裏に続けていた手紙の内容を隠すため。

太后は手紙をすぐ処分していたようだが、自分が突然亡くなるなどの不測の事態に備えたのだろう。



「もしかしたら太后様は、大人になった陛下に全てを明かすため、最後に康氏を王宮へ呼んだのではないでしょうか。それでも康氏はそれを拒否した。『バオ族の忠誠心を侮らないでください』という言葉で」


私がそう言うと、両腕を組んでこちらを見つめていた青藍さんが、視線を棺に落とす。


「しかしバオ族がそこまで忠義に厚い民族だったとは知らなかった」


「あーそれは……たぶん関係ないと思いますよ。バオ族とかは」


「……?」


無言で説明を求められ、私はごくりと唾を飲んだ。


今から話すことは、果たして伝わるだろうか。どう翻訳されるのだろうか。

言語も文化も、身分だってまるで違う彼らは、理解してくれるだろうか。

そんな不安を感じながら、私は言葉を慎重に選ぶ。


「バオ族の忠誠心とあえて書いたのは、太后様の負担を軽くするためじゃないかと。

たとえばここを『私の忠誠心』としたら、康氏はただ太后様のためだけに己を犠牲にして秘密を守り抜いてるのだと感じる。

けれど、それは単にバオ族の習性なのだとすれば、太后様の康氏へ罪の意識は少し軽くなる。城から追い出してしまったバオ族の皆への罪悪感も同時に軽減される。

あえてその言葉を選んだ事こそが、康氏から太后様への忠誠心……というか、主従を超えた友情の現れなのだと思います」


「………」


言い終えると3人は案の定、揃ってぽかんと口を開いている。

あーダメだったか……。


「……すみません、うまく伝えられなくて。これもただの憶測なので、気にしないでください」


羞恥と謝罪の意味で頭を下げた。


「トウコ」


耳馴染みのない清廉な声が届き、私ははっと顔を上げる。


「……はい」


憂炎陛下が私の名を呼んだのは、この時が初めてだった。


「人とはそのように……本当の想いを伝えるために、あえて嘘をつくものなのか?」


幼い少年が母に向けるような眼差しを見た時、私はほっと胸を撫で下ろした。


────何だ、ちゃんと伝わっていたのか。


私は陛下の目を見て頷く。


「かつて自分を母と呼んだ陛下を叱った康氏ならば、きっとそうでしょう」


それは紛れもなく、母としての愛情だったのだから。


「……そうか」


陛下の視線はしばし宙をさまよい、また棺の中の康氏へと帰る。


「ははうえ……」


その時の声と横顔を私はとても人間らしいと思った。



長く口を閉ざしていた紫雲さんが、数珠を握りしめながら言う。


「陛下、康氏に改めて太后の諡号しごうを贈り、追尊ついそんされるのはいかがでしょう。位は昭儀しょうぎにとどまり、最期をこんなわびしい場所で迎えたとは、国王の生母としてあまりにも……」


後に知ったのだがこの発言は、康氏ではなく陛下自身のために言ったそうだ。

この国では親への「孝」を最も大切にしている。親が死んだら3年は喪に服し、そのために仕事を辞める人もいる。孝を尽くせぬ者には天罰が下るという。

親を親とも呼べず最期を看取ることすらできなかったことは、陛下にとって心身を裂かれるほどの苦行だろう。


それでも陛下は棺を見つめながら首を左右に降る。


「母上が……生涯守り通した秘密だ。無下にすることはできない」


なぜ劉太后があの衣装を贈ったのか。

なぜ頑なだった康氏が最後にそれを受け取ったのか。

それはきっと陛下のためだ。

最期に康氏を太后として弔うことで、本当の母に孝を尽くせなかった陛下に天罰が下ることを防ぎたかったのではないだろうか。


陛下の"母上"という言葉に、私は2人の女性の強く悲しい姿を見た。


紫雲さんも同じようなことを考えたのだろうか、全てを察したように目を閉じ静かに頷いた。



「姫は……康氏の娘は今どうしている?」


陛下が青藍さんの方を振り返ると、彼は手を前で組み揖礼ゆうれいした。


「既に隣国へ降嫁されております」


「急ぎ使者を送る」


かしこまりました」


この折り目正しいやりとりは、朝廷での2人の姿を想像させた。


「トウコ、それを貸してくれ」


陛下は私から手紙を受け取ると、読めないはずの文字を目線で丁寧になぞった。


そうしてしばらく眺めたあと、そっと手紙を棺に戻した。



*  *  *



陛下の意向で、康氏の亡骸はそのまま安置されていた寺院にて埋葬される。

私たちからはせめてもの弔いとして、紫雲さんによる「異界送り」を行うことになった。


「異界送り」とは、死者の肉体から魂を解放して異界へ送ること。

この国では人が亡くなると「魂は天に帰し、肉体は地に帰すべし」といわれているため、遺体は土葬される。

そして肉体から離れた魂は天国か地獄(正確には天界と地界)のどちらかへ向かうのだそう。



康氏の棺の前には紫雲さんと、その隣には憂炎陛下が立つ。私と青藍さんはその後方で見守った。


袈裟けさをつけた紫雲さんによる異界送りの儀式はとても静かなものだった。

そして最後に陛下が棺に触れると、そこから金色の光の粒子が沸き立った。


こういう時、やはりここは異世界なのだと実感する。


そして何となく、この儀式の要は紫雲さんではなく陛下の方だと思った。

陛下が康氏の魂を昇華させたのだ。

それは彼が康氏の息子だからなのか、この国の王だからなのかは分からない。


棺から離れた康氏の魂は全て天へと昇っていく。


私達はひざまずいて一礼し、儀式は終わった。




「こうして送ってやれば、康氏の魂は天界へ行けるのですか?」


「いいえ、私たちができるのは然るべき場所へ導くことのみ。行く先が天界か地界かを決めることも、知ることもできません」


私が紫雲さんに尋ねてみると意外な答えが返ってきた。


「ただ、この世に未練があれば魂はどちらへも行くことができず、俗世を永遠にさまようことになります。それを防ぐのが私たちの役目なのです」


「……そうですか」



棺で眠る康氏の顔はとても安らかだった。彼女はもうこの世に未練はないのかもしれない。


ただ、先に亡くなった太后様はどうだろうか。

ひとり地獄へ行くと言っていた彼女の魂は、迷うことなくたどり着けたのだろうか。


もし康氏の忠誠心が本物であれば、そこが地獄でも俗世でも、彼女は追いかけてしまうのではないか。


願わくばどうか2人が迷わず天界へ向かい、いつかやってくる2人の宝物を共に迎えてほしいと思う。



************************************************

ここまでお読みいただきありがとうございました。


今回の話は中国、北宋の第4代皇帝『仁宗』の出生エピソードを下敷きにしてあります。

ゆえに本作の時代背景は北宋時代をベースにしておりますが、あくまで異世界ファンタジーであることと作者が歴史について詳しくないことご了承いただければ幸いです。


もし気に入っていただけましたら、フォローや評価などいただけたら嬉しいです。

今後もよろしくお願いいたします。

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