自分以外の祠の侵入者

 祠の管理人と名乗るこの人に、嘘は通用しない。それならいっそのこと、本当のことを白状するべきか。

 いいえ……それはさすがにまずいわね。私に疑いの目を向ける彼に、本当のことを打ち明けたらどうなるか……きっと、重罪人扱いされて、さっきの少年達のような運命を辿ることになるわ。不利的この状況をどう打開するか。一体どうしたら……考えろ、考えろ!

「そのことに関しましては……」

 突如として、別の若い男の声が聞こえたのは、この状況を打開しようとまりんが、頭をフル回転させた時だった。

「申し訳ございません。当方、たまたま祠を見つけて、興味本位から事情も知らずに侵入してしまいました。あなたが僅かな気配を感じ取ったのはきっと、その時のものでしょう」

 ファー付のフードを目深に被り、白いパンツにダッフルコートを着込んだ青年が、気取った足取りで悠々とまりんの脇を通り過ぎ、祠の管理人さんの前に進み出る。

「理由はどうであれ、あなたが管理をする祠に無断で足を踏み入れてしまったこの俺も、重罪人になってしまうのでしょうか?」

「祠の中を、荒らしていれば……な」

 祠の管理人さんは素っ気なくそう返答すると、徐に体の向きを変える。

「どちらへ行かれるのです?」

「今から祠へ行って、確かめて来る。すぐ戻って来るから、絶対にここを動くなよ」

 気取った口調で問いかけた青年を見遣りながら、祠の管理人さんは返答すると鋭い口調で釘を刺し、宙を飛んだ。

「承知しました。お気をつけて、行ってらっしゃいませ」

 地を強く蹴り、体を浮かせてそのまま飛び去って行った祠の管理人さんに向けて返事をした青年。ふたりのやりとりがまるで、大きな屋敷に住む大富豪の主人と、忠実な執事を彷彿させ、まりんのオタク心をくすぐった。


「さて、鬼よりも怖い存在がいなくなったところで……逃げるぞ」

 祠の管理人さんがいなくなったのを見計らい、青年がそう告げてまりんを促す。

 ファー付のフードを脱いだ青年はストレートショートの黒髪と目をしていて、言い方も今までとは打って変わっていた。まりんが思うに、こちらの方が素の状態なのだろう。黒髪の青年に戸惑いながらも、フードを被ったまま、まりんは尋ねる。

「逃げるって……どうやって?」

「瞬間移動さ」

 気取った笑みを浮かべて返答した黒髪の青年は、

「こうやってね」

 さりげなくまりんの手を取り、握手をする。気取った黒髪の青年と握手をすることしばし、なにも起こらないことを不審に思ったまりんが第一声を放つ。

「……なにも、起こらないじゃないですか」

「うん……そうだね」

 冷めた口調で告げたまりんに、愛想笑いを浮かべた黒髪の青年が返事をする。

「本当は、握手をした瞬間に体がふわって浮いて、あっという間に移動出来ちゃうんだけど……おかしいな。なんで、なにも起こらないんだと思う?」

「そんなこと、私に聞かないでくださいよ」

 いきなり尋ねられて困惑しながらも、冷ややかにそう返答したまりん、この事態に心当たりがあり、前置きをしたうえで静かに予測する。

「これはあくまで、私の勘……なんですけど。握手をしても、なにも起こらないのは……さっきまでここにいた、祠の管理人さんの仕業かもしれませんね。たぶんですけど、私達を逃がさないように、結界で囲ったんじゃないでしょうか」

「祠の管理人さんが、俺達を逃がさないように結界を……?」

 まりんの予測を聞き、あっけらかんとした青年が苦笑した。

「ないない。あの人に限って、そんなことする筈が……あるな」

 苦笑しながらも、まりんの予測を否定しようとした黒髪の青年だったが、ふと我に返ったように真顔を浮かべて、

「試しに、こいつを投げてみるか」

 握手を止めて、まりんから少し離れた道端で拾い上げた小石を思い切り投げてみる。すると……

 誰もいない方へ、天に向かって黒髪の青年が投げた小石が、無色透明な壁に当たった瞬間、バリバリと青白い電気が迸った後、爆発音とともに木っ端微塵になったではないか。

「ふーん……なるほどね」

 投げた小石がさらさらの砂となってアスファルトの路上に落ちきった時、そのさまを見届けた黒髪の青年がフッと気取った笑みを浮かべてまりんの方に体を向けると口を開く。

「どうやら、君の予想は当たっていたようだ。あの人は初めから、俺達を逃がす気なんてなかったんだよ」

 そう、嘆かわしい表情をして告げた黒髪の青年はやっぱり気取っていた。本当に、心から嘆いているのか疑問を抱かせるほどに、黒髪の青年はやけに落ち着いていた……かのように見えた。

「だったらさぁ……」

 愚痴っぽく口を開いた黒髪の青年が、この後に見せる言動を目の当たりにしたまりんは、黒髪の青年が気取っていてやけに落ち着いて見えていたのはやっぱり見せかけだったのだと思い知ることになる。

「なんで『絶対に、ここを動くなよ』なんて言ったんだよあの人! そんなこと言われたら逃げろの前振りだって思うじゃん!」

「前振りって思ったんだ?!」

 態度が豹変した黒髪の青年にびっくしりして、すかさずつっこみを入れたまりんにお構いなしで、黒髪の青年は怒り狂ったようにまくし立てる。

「悪事を働いたかもしれない俺達を逃がしてくれるなんて、いい人だなって思っちゃったよ! でも本当は微塵もそんな気なくて、なんならここから動いた瞬間、結界に当たって木っ端微塵になりますけど? 的な仕打ちまでしやがって……」

 膝から崩れ落ち、アスファルトの路面を叩いてめちゃくちゃに悔しがりながらも、

「なんだよチクショウ……ここから動いたら、あの小石みたいになるから……だから絶対にここを動くなって……わざわざ釘を刺して行くなんて……あの人、実はめちゃくちゃいい人じゃんか……」

 四つん這いになって悔しさを滲ませる黒髪の青年の声が今や、相手を気遣う祠の管理人さんに心を打たれて涙に震えている。

「そこは感動するんだ? 管理人さん、実はめちゃいい人で良かったですね」

 だんだんと黒髪の青年に慣れてきたまりんが、無のオーラを纏い淡々と同情する。

「祠の管理人さんがいい人だからこそ、俺達はここから脱出せねばならない!」

「いやもう全然ワケ分かんないから」

 俯いていた顔をぱっと上げて、謎の使命感に燃える黒髪の青年にまりんはそう、冷静沈着につっこみを入れたのだった。


「脱出するにしても、結界に囲まれたこの場所からどうやってするんです?」

「瞬間移動が出来ないしな……結界に触れると木っ端微塵になっちゃうし……せめて、結界そのものをなくすことが出来れば……」

 アスファルトの路上から立ち上がり、難しい表情をして考え込む黒髪の青年が口にした『結界そのものをなくす』の言葉にまりんはぴんと来た。

「私なら……それが、出来るかもしれない」

「え?」

 意表を突かれたような表情をしている黒髪の青年の脇を通り、結界の端で立ち止まったまりん。徐に右手を翳し、手の平に力を集中させる。

 頭の中で、結界が消えるイメージをして集中することしばし、翳していた右手を下ろしたまりんは、ゆっくりと前進した。

 張り詰める緊張感が辺りに漂う最中、三歩ほど進んだまりんは立ち止まる。青白い電気が流れることもなく、体になにも異変は起きなかった。

「結界が、解けたみたいですね」

 振り向きざま、得意げな笑みを浮かべて、まりんはそう黒髪の青年に告げる。

 まりんの言葉を確かめるべく、緊張の面持ちで歩み寄った黒髪の青年。

 まりんの左隣で立ち止まると、たちまち面食らった。

「す、スゲー……」

 結界が張られていた辺りを通過しても、体になにも起きなかったことにちょっとした感動を覚えた黒髪の青年は、

「君、一体どんな力を使ったんだい?」

 俄然、まりんに興味を持ち、気さくに尋ねた。ちょっぴり頬を赤くして照れながらも、まりんは返答する。

「使い方によって変化する、特殊能力を使ったんです」

「使い方によって変化する……?」

 まりんの返答を不審に思い、考えを巡らせていた黒髪の青年がはっとする。

「その特殊能力ってまさか……堕天の力じゃないだろうな?」

 なっ……! なんで分かったのよ、この人……!

 黒髪の青年が見せた、鋭い感覚にまりんはどきりとした。現時点で、何者なのかは分からないがこの青年が、祠の管理人さんの仲間であることを想定して、まりんは平静を装い、とぼけてみせる。

「堕天の力……って?」

「使い方によって変化する、万能の特殊能力だよ。堕天の力は、堕天使にしか扱えない力なんだ」

 あの時、堕天使はまりんにこう告げた。

『――私と契約関係にある間は、堕天使にしか扱えない、堕天の力が有効となる』と。

 黒髪の青年が言っていることが、ここまでどんぴしゃなのにまりんは恐怖を覚えた。それはまるで、凜然たる雰囲気を身に纏う、知的な青年を彷彿させるような……堕天使や、堕天の力を知っているとなると、堕天使の仲間の可能性も否定出来ない。この青年、一体何者なのだろうか。

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