第18話 それは頭に生えているだけの体毛です

「ごめん、メデュラ。冗談だってば。機嫌直してよ」


「ふんっ! 主殿などもう知らぬ!」


 あれから、思った以上にヘソを曲げてしまったメデュラに謝り倒して十分ほど経っているが、ハツカは許して貰えずにいた。

 からかうのは悪いとは思いながらも、メデュラがいちいち良いリアクションを返してくるので、調子に乗り過ぎてしまったのだ。

 彼女が怒るのも無理はない。


「ごめん、今日の夕食はメデュラの好きなものなんでも食べていいから!」


「……なんでも、じゃと?」


 ハツカの提案に、プリプリと怒っていたメデュラの表情が少し揺らぐ。

 昨日は色々あったので、寝る前に簡素に食事を済ませたが、帰り道でメデュラが色んな屋台の食べ物に目移りしていたのを覚えている。


 彼女が精霊だというのなら、食べたことのない人間の食べ物に興味があるに違いない。

 昨日の屋台で見たあれこれを思い浮かべてニヤニヤしそうになるメデュラだったが、首をブンブン振り、我に返る。


「ふ、ふん! 人間の食べ物は正直気になるところではあるが、そんなことでは許さぬ! 主殿などDランク魔物のビッグボアに体当たりされて吹っ飛ばされればいいのじゃ!」


「む、食べ物でも駄目か……って、なんで恨み言がそんなに具体的なの?」


「そうか。探査できておらん主殿は気付いておらなんだのか」


「え、なに? なんのこと?」


 メデュラがニヤリと笑って、戸惑うハツカの後ろを指差す。


「もう目視できる距離じゃよ。自分の目で確認するがよい」


「!? まさか……」


 ハツカが慌てて後ろに振り返ると、数百メートル先に砂ぼこりが舞い上がっているのが見える。

 目を凝らして見ると、その砂ぼこりを巻き上げているのは、こちらに突進してきている大きな猪のような魔物だった。


「ビッグボアー!?」


「カーッカッカッカ! 妾を虐めた罰じゃ! この距離ならもう逃げられぬぞ、主殿」


 メデュラが愉快そうに笑う。

 ビッグボアは姿こそ猪のようだが、サイズはその何倍もある巨大な魔物だ。

 大きく見つけやすいことから対処しやすいためDランクとされているが、パワーと直線のスピードは凄まじいものがある。

 その突進によって家屋が一気に五棟ほど潰れたという話があるほどだ。


 そんな恐ろしい魔物にハツカはもう見つかってしまっているらしく、ビッグボアはこちらに目掛けて脇目も振らず突進してきている。


「ひ、ひやぁぁあああああああ!!!」


 ハツカが悲鳴を上げる。

 ビッグボアが迫る。

 もう回避する暇はない。


「それなら! スキルで!」


 ハツカは突進してくるビッグボアに向かって手をかざす。


「髪の毛そう……さ? あれ?」


 ビッグボアに[髪の毛操作]のスキルを使って、動きを封じさせようとするが、上手くいかない。


 ビッグボアの髪の毛がスキルで操る対象として認識されないのだ。


「なんで!? ビッグボアの髪の毛が操れない!?」


「カーッカッカ! 当たり前じゃろう。ビッグボア頭に生えておるのは髪の毛ではなく、ただ頭に生えておるだけの体毛なのじゃから。【髪の毛を統べるモノ】の力では操れぬよ」


「ええっ、頭に生えてる毛は全部髪の毛じゃないの!?」


「髪の毛とは、毛の中でも特別なものじゃからな。あまり見くびるでない」


「見くびってない! 見くびってない! そもそも髪の毛の定義なんて普通知らない……ってそうこう言ってるうちにもうビッグボアが!」


 ハツカは、咄嗟に頭をかかえてうずくまる。


「わあああああ!!!」


 トップスピードまで加速したビッグボアは、その勢いのままハツカに体当たりした。


ドカン!


「ああああああ!!!…………って、あれ?」


 ビッグボアに吹っ飛ばされると覚悟して身をすくめたハツカだが、一向に衝撃がこない。

 正確には何かが体にちょこっと触れたような感覚だけはあった。

 それが何かを確認するために、恐る恐るハツカが目を開けると、


ブ、ブヒー…………


 目の前で、ビッグボアが目を回していた。

 どうやらハツカに衝突した勢いで脳しんとうでも起こしたらしい。

 対するハツカは吹っ飛ばされるどころか、その場から1ミリも動いていない。


「え? どういうこと?」


 何が起こったか分からず戸惑うハツカの後ろから、メデュラがひょこっと顔を出す。


「どうもこうもあるまい。ビッグボアの突進ごときでは、主殿を吹っ飛ばすどころか、傷一つ付けることはできんというだけじゃ」


 【髪の毛を統べるモノ】としてクラスアップしたハツカの身体能力は、Dランクの魔物の全力攻撃すら意に返さないほど上がっているらしい。

 先ほどメデュラが言っていたBランクの魔物と素手で戦えるというのも、まったく誇張では無いのだろう。


「じゃあメデュラは、こうなることが分かってたの?」


「当たり前じゃ。いくら仕返しといえ、妾が主殿が傷つくことを容認するわけなかろう。まぁ、主殿の悲鳴でじゅうぶん溜飲は下がったのでな。此度のことは許す。可愛い悲鳴じゃったぞ。カーッカッカッカ!」


「そ、そんなー……」


 ビッグボアに本気でビビっていたハツカはがっくりと肩を落としたのだった。


「あ、それとじゃ」


 メデュラが振り返ると悪戯そうな顔でハツカを見てくる。


「ついでに昨夜、主殿が妾の胸をチラチラ覗いておったことも許してやるぞ。感謝するがよい」


「な……メデュラ気づいてたの!? っていや、覗いてない! あれはたまたま視界に入っただけで……」


「ほーぅ、ならこの事を昨日の受付嬢に話しても問題ないはずじゃな。どうせこの後ギルドに向かうのじゃろ?」


「シルルに!? そ、それだけは勘弁してよ」


「さて、どうしようかのー。主殿がムッツリだと知ったらあの嬢はどのような反応をするかのう」


「ちょっと! 待ってよメデュラ!」


「妾の主殿はムッツリスケベじゃー!」


「わー! そんなことを大声で叫ぶなー!」


 必死の割にどこか楽しそうな声が、広い草原に響いていた。

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