第5話 親友

 兵士として強くなるには軍隊の練習会に参加するのが近道だ。素人が軍隊にすぐに入ることは出来ないが、軍の敷地内で行われる一般討伐兵士向けの練習会だけなら誰でも参加することができる。正式に軍隊に入るには最低でもランク5以上の実力が必要だと聞いたことがある。オフィーリアさんは兵士として軍隊で通用する力を以前は持っていたということになる。すげえ。

 俺はそこら辺の公園や校庭で行われている練習会しか参加したことが無かった。そこら辺の練習会は草野球みたいなもので、体力自慢のお父さんたちが教えてくれるような感じだった。和気藹々と楽しかったが、得たものがあったかというと少し疑問だ。もう少し本格的に強くなりたい。どうしてもその思いが拭えず、軍隊に見学に行ってみた。


 軍隊の敷地内では隊員と一般討伐兵士を交えたランニングが行われていた。姿勢を正して並んで走っている人たちが数十名と、それよりも少しだけ遅れているがなんとかついていっている人たちが7~8人、前かがみになったり天を仰いだり、どうしようもなく息が上がって列からさらに遅れている人たちが5人くらいいる。最後尾5人の尻を竹刀で軽く突きながら発破をかけている人物に見覚えがある。明るい髪色のチャラいイケメン、あれは羽野光太郎だ。


 羽野光太郎は俺が勤めていた不動産屋から大通りに向かって行くと突き当りにどんと構える大手自動車ディーラーの営業マンだった。俺が社内で昼食をとるのが辛くなって近くの公園のベンチを利用していた時、勝手に隣に座って話しかけてきたのが最初だ。他にベンチはいくつもあったのに勝手に隣に座り、まして話しかけてくる意味がわからない。俺は他人との物理的な距離感、心の距離感を測れないやつが世界で一番嫌いだ。無駄に声がでかくてテンションが高いし、意味もなくニコニコしているし、何がそんなにおかしくて楽しそうにしているのか、バカじゃないかと思った。しかも会話の内容は空っぽだ。最初は嫌だが気を使って仕方なくぼそぼそと返事をしていた。同い年で同じ営業部だと分かった時のやつの喜びようは、今にもウレションするのではないかと思ったくらいに激しかった。肩をがっちり組んできてもう親友気取り。そんなわけないだろう、勝手に隣に来て話し始めて10分も経っていない。営業キツイよねえ、ああ俺も友達はいないよお、うんうんわかるわかるって何がわかるんだよ適当に喋るなバカ。

 その後も俺はちょくちょく同じ公園のベンチでコンビニ弁当を食べていたのだが、俺を見かけるたびに羽野光太郎は隣に来てはくだらないことを一方的に喋っていった。大手ディーラーヒマかよ。会話の中身は本当に大したことはなく、おじいちゃんちがお寺で鹿と猿がいっぱい来るんだとか、お好み焼きが美味しかったとか、歯医者は好きだが眼科は嫌いだとかそんな内容だ。どうでもよすぎるので何度も会う機会があったが最後の方は大体無視して時々相槌、食べ終わったらじゃあねと言って勝手に立ち上がることにしていた。それでも羽野光太郎は気にせず俺を見つけてはへらへらと笑いながら寄ってきた。あいつはあいつで会社に居づらかったのか?いやあの性格だ、そんなことはない。あいつならいつでもどこでも誰にでもぺちゃくちゃ話しかけて周囲を巻き込み、楽しくやれるだろう。しかも腹が立つことに非常に女性受けが良さそうな感じの塩顔だ。きっと友達も多いのだろう。死ぬほど羨ましくて嫌いなやつの顔をこっちの世界でも見かけるとは。俺は自然に苦虫をかみつぶした顔になっていた気がするが、目が合った羽野光太郎は笑顔でこちらに手を振った。

「おー!祥吾久しぶり!」

 ん?お前も俺のことを覚えているのか。


 俺はその日の夜、羽野光太郎を自宅に招き入れていた。

 軍隊のジョギングが終わった後にこちらに駆け寄りながら大声で俺に会いに来てくれたのかなんて言うものだから、俺は心底見学に行ったのを後悔した。そんなわけあるか。しかし小声で、転生前に知っていた人たちがこっちの世界にもたくさんいる、その理由を調べているとも言った。オフィーリアさん、マチルダさんは記憶が無いようだったし、事務員たちとは話すチャンスが無かった。まあチャンスがあったところで俺などまともに相手はしてもらえないだろうが。とにかくこの件で誰かと話せるならウザ大嫌いな羽野光太郎でも良いと思ったのだ。

 羽野は酒と鍋ものの材料を持ってきてくれた。ゴカ砂コンロをセットして適当に切った野菜と肉をお湯を張った鍋に放り込んで乾杯した。

「くっはあ、美味い~!最高~!ねえねえ早く飲んでみて!お酒飲める!?ん、ならどうぞ!美味しいからはいはいはい!」

 何をやってもいちいち大声を出さなければ気が済まないやつなのだ。うるさいので相手にせず、俺は酒を一口飲んでから黙って肉の火が通っていない部分を箸でお湯に沈めた。確かに酒は最高に美味いのだが。

 「ねーねー見て見て!この腕!すごいっしょ!?転生前の倍くらいあると思わない!?上腕二頭筋!!」

 そう言って羽野は勝手に上着を脱いでタンクトップ一枚になった。ただでさえウザくて大嫌いなのに体育会系の要素まで加わったのか。最悪だ。

 しかしそれよりも目に入ったのは傷跡の多さだ。腕、肩、見えるところだけでも無数の傷跡。中には大きくえぐれたようなものもある。死闘の痕跡だろう。オフィーリアさんもマチルダさんもそうだが、この世界に来てみんな必死で頑張っている。羽野は俺の目線に気付いたが特に何も言わず、落ち着いたトーンで話し始めた。

「色々な地域でさ、討伐だけじゃなくてモンスターの被害の調査なんかもするから色々な人に会うわけ。その中で時々いるんだ、転生前の知り合いが。」

 お互い真顔で目が合った。

「きちんと全員に確認したわけではないけれど、カマをかけてみて俺のことを覚えている人はいなかった。いや、覚えていると言った人はいなかったと言うべきかな。混乱を招くといけないから誰にも話してないんだ。」

「それをどうして俺に話す?どうして俺には平気で声をかけたんだよ?」

「どうしてって。」

 クールな切れ長の目が丸くなる。

「そりゃあ大親友だからでしょうがっ!んもうっ!」

 羽野はふざけて両手で俺の首を掴んで揺らした。これは転生前もよくやっていた仕草だが、あの時とは明らかに握力が違う気がする。やめろ、死ぬだろ。

「俺は…元上司がモンスターになってて、それを討伐した。」

 真面目にその件について話したくて話題を戻した。

「えっ」

 少し絶句して、眉根を寄せて羽野は言った。

「それって…辛かっただろうに………」

 ああ、こいつは本当に幸せに生きてたやつなんだ。上司イコール殺したい存在だとは微塵も思っていないんだ。俺の中でバナナと言ったら黄色くらいに上司と言えば殺したいというワードが出てくる。

「楽しかったよ、転生前に俺を散々いじめてくれたやつをバッサリ斬り倒すことができて。」

 俺は羽野にどう思われてもいいので本当のことを言った。

「ああ!そうなんだ~!それならいいや!」

 羽野はパッと明るい顔になって言った。なんだこいつは。

「なんだよその極端な反応は。」

「いや、モンスターとはいえ知り合いを殺しちゃったなんて辛かったのかなって一瞬思ったんだけど、祥吾が楽しかったならいいよね!俺も嫌いなやつがモンスターになってたら殺したいな!」

「羽野に嫌いなやつなんているんだ…。」

「いるよ、当たり前だろそんなの。」

「…そうか…。」

 俺には人の心の当たり前がよくわからない。俺の心は多分普通よりも殺伐としているから、他の人がどうなんて知らないのだ。そして友達がいないから、こういう時にそのことについて深く聞いて良いものかどうかもわからない。聞いた方がいいのか聞かない方がいいのか、興味を持つのはおかしいのか否か。正解がわからない。せめて羽野とくらいはあの公園でたくさん会話しておいても良かったのかもしれないと思ったがそれも後の祭りだ。

「その後も別の知り合いがモンスターと人間の混血になっていたり、あ、討伐のメンバーにもいた。モンスターと人間の混血の二人だけは俺のことを覚えていたよ。」

「へえ、やっぱり結構いるんだな。」 

「他にも嫌いだった同僚とか上司がたくさんいるから、またモンスターになって出てきたら殺して恨みを晴らせたらいいなと思ってる。それで討伐に行って苦労しないためにもっと強くなりたいって思ったんだ。」

「それで練習会の見学に来たのか。」

 羽野は言いながら俺のお椀に肉と野菜を取り分けてくれた。

「たっぷりのキャベツとごぼう、鶏肉、きのこ。これでいい出汁が出るから調味料は塩とオリーブオイルだけ!お好みで粗挽きの黒胡椒か粒マスタードをどうぞ!さあ食べな!」

 普段は一人暮らしのこの部屋ではもそもそと弁当か適当にウインナーを炒めたものなどを食べていることが多い。温かい鍋物なんていつぶりだろう。まして誰かと食べるなんて一度もなかった。鶏肉はほろほろで、キャベツは甘くスープも濃厚。悔しいがものすごく美味しかった。


「祥吾は今仕事は何をやってるの?」

「フリーター…かな。討伐がない時は漁師さんの仕事を手伝ったり、時々武器屋さんで刃物を研ぐのを手伝ったりしてる。」

「へえ、意外と体力仕事出来るんだ?」

「まあ、そういうのしか出来ないっていうか…色々やって、人間関係が良いから漁のお手伝いに落ち着いた感じかな。」

「予備軍隊に入るのはどう?」

 予備軍隊とは聞いたことが無い。

 大々的に募集をしているわけじゃないけど、と言って羽野は説明してくれた。

 メインの軍隊の予備。軍隊のエリートが出るほどでもない規模の小さい討伐を担当したり、大きな討伐の準備の手伝い、運転手や荷物持ちを命じられることもある。つまりはいいように使われる中途半端な立場なのだが、週3日の最低出勤日数さえこなせばあとは休んでもいいし出てもいい。訓練も最低数をこなせばあとは自由に休んでもいいし、好きな時に好きなだけカリキュラムや細かい指導も受けられる。希望すればかなりの数の討伐をこなすことも可能。報酬は出動日数と内容に合わせて支給されるし、軍の宿舎や食堂が格安で使用できて衣服や武器の支給もある。一応予備国家公務員という扱いだ。

 一般兵士が討伐に出るには、自治体の募集を見て申請書や身分証、誓約書等の書類を何枚も提出、審査を受け、採用通知が届き、事前にパーティーの顔合わせ、終わったら報酬の分配…などの手続きが必要だが、それら全てを省略できる。予備軍隊は自治体の一般討伐に優先的に参加することも出来るという。

「そんな都合のいいような仕事があるんだな?」

「国からすりゃ正直なところ正規軍よりはるかに安い給料で色々やってくれて使い捨てられる人材って感じだろうけど、まあバイトで討伐に出るのに比べたらそんなに悪く無いと思うよ。気になるなら紹介してあげるけど。」

 こいつはそんなにいい給料をもらっているのか。クソッ。でもきっと厳しい訓練を受けているのだろう、腕の太さが2倍になるような訓練を。

「たくさん討伐に出ればそれだけ恨みを晴らせる可能性が高くなるだろう?」

 羽野はニヤリと笑った。

 強くなりたいのはやまやまだから興味がないわけではないが、軍隊なんていじめの温床のイメージだ。

「俺みたいな暗くて弱いのが入ってもいじめに遭うだけだろう…ちょっと練習会で鍛えてもらえるくらいでいいかな…。」

「いじめかあ。個人同士の人間関係は知らないけど、基本的に訓練中に無駄口は禁止で、理不尽な体罰も無いよ、無口でおとなしいやつもいるけどそんなこと誰も構いやしない。ランニングで遅れてるやつのケツを竹刀で突くのが体罰だって言われたら無理だけどね。」

「ふうん…。」

「正規軍で重用されるのはまっすぐな性格の真面目な人間が多いよ。いじめなんて無駄でしかないじゃないか。貴重な人材のメンタルを削るようなことをして何になるんだ。もし何かあったら俺に言ってくれたら考えるよ。それに気に入らなければいつ辞めてもいいし。」

 なるほど、漁師さんたちと似たような考え方か。まあ羽野が気づいていないだけという可能性も捨てきれないが。

「でも俺ランク8だよ。」

「予備はランク8からで10回以上の討伐経験があれば入れるよ。入ってからが多少きついかもしれないけどね。強くなりたいならオススメだよ。」

「10回以上は余裕であるけど…俺に出来るかな…あっさり死んだりして。」

「最近聞いたんだけどさ、レベルEの巣に行ったらボスが死んだ後にもう一匹出てきて急にレベルCに上がったなんてことがあったんだって。」

「あ…それ俺が参加した討伐だ…。あれ人が次々食われてさ…死ぬかと思ったんだよ。」

「そうか、無事で何よりだったな。それの対策として、今後軍の討伐にはエリアの適正ランクが低くても必ずランク2以上の正規軍の人間を付き添わせることになったんだ。想定外の事態が起きても対処できるようにね。」

「そうか、それならまあ安心して行けそう。やってみようかな。」

 行くだけ行ってみよう。ダメなら辞めればいい。元々嫌いな羽野に気を使う必要もないし、何も気にすることはないのだ。

「オッケー!じゃあ決まりね!やっぱやめたは無しね!針千本飲ませるからね?」

「?うん?」

 ずいぶん楽しそうだな、羽野。

「俺は練習生や予備軍隊の指導官なんだぜ?そしてランクは2。」

「えっ。」

「親友、一緒に討伐に行くぞ!!!」

 絶句する俺、高笑いの羽野、くつくつと音を立てる土鍋。

「よろしくな、親友!!!!!!!!」 

 こっちの世界でもこれからずっとこいつに絡まれるのか!?一瞬俺は針を千本飲もうかと思ってしまった。


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