17-② 夜昊(後)
※続けてこちらも宝珠視点ではなく、夜昊視点寄り三人称です。
万策は尽きた。けれどもう何もかも、どうでもよかった。どうでもいいと、思ってしまっている。
そも、芥
顔に大きな傷のある、はぐれ
そして見たのは、琥珀の瞳を戦意の高揚で輝かせながら、なんとも心地の良い龍氣を扱い、
なぜだか、目が離せなかった。本人は意識していないようだったが、彼女がそのとき相手取っていた牌狩りの男と彼女の実力差は圧倒的で、そこで助けに入って借りを作り、自分に協力させる、という案は仕えそうになさそうだ、などと状況を見守っていたら、まさかの脱衣の見世物の始まりだ。子供一人くらい見捨てればいいものを、彼女は驚くほどあっさりと覚悟を決めて、
黙ってみていられなかったのは、なぜだろう。自分でも理解できない苛立ちに襲われて、気付いたら彼女を助けていた。
そして文字通り彼女をそのまま後宮にさらい、『賭け』を持ちかけた。我ながら随分と身勝手で理不尽な真似をしたものだと思う。逆らうことのできない彼女は『賭け』に乗り、そして後宮に新たな住人が一人増えることになった。
彼女の顔に走る、そのかんばせを真っ二つにするような大きな傷が、化粧によるものであるとは、二、三度顔を合わせた時点で既に気付いていた。もったいないことをするものだと思ったけれど、下町で年若い娘が一人で暮らしていくには必要なことなのかと納得もしていた。とは、いえ。
――まさか、あんなに綺麗だなんて、思わなかったんだよ。
気まぐれでともに出かけた下町で目にした、彼女の本当のかんばせ。息を呑むほどの美貌など、鏡で見慣れていたし、妃達だって誰もが十分すぎるほど美しいというのに、それなのに
けれど彼女の本当の美しさは、その魅力は、彼女の容姿にこそあるわけではないのだということを、
真剣に
――
何もかも失ったと思っていた
いいや、解っている。もう彼女は
香煙牌のときですら、こんな絶望を……そう、絶望と呼ぶべき感情など覚えなかったのに。そもそも香煙牌のときは、不安も焦燥もあったけれど、それよりも何よりも、ただただ目が離せなかった。見惚れることしかできなかった。
あらゆる
四戦目である
――さわるな。
――それは、僕のだ。
そう、思った。思ってしまった。そんな自分に信じられないくらいに驚いて、その上さらに彼女は自分を驚かせてくれた。もう目覚めてくれないかもしれないという恐怖から
思えば彼女はずっとそういう女性だった。自らに差し向けられた刺客の助命を願う彼女は言っていたではないか。生きていれば、と。その言葉が、今になって胸に突き刺さる。
――そうだね、
――生きていれば、未来は、あったのに。
彼女の未来を奪ったのは、
彼女が目覚めたあの日、思わず奪ってしまった唇の感触が、もう思い出せない。ああ、ああ、ああ、もっともっと奪ってやればよかった。いいやその前に、ちゃんと、この想いを、伝えなくてはならなかった。それなのにどうしても気恥ずかしくて逃げることを選んで、花を贈ることしかできないで。
そうやってまた
――死ねば、よかった。
もっと、ずっと前に。久々に感じるかつてと同じ後悔を胸に高い天井を仰ぐと、ふふふ、と嬉しそうな、鈴を転がすような笑い声が耳朶を打つ。ゆぅるりとそちらへと視線を向けると、やはり
「ああ、その姿。その姿が、私は、見たかったのでございますよ、
そして彼女は、懐から一枚の
鮮やかなきらめく青の顔料で描かれた、見事な龍の姿がそこにある。その姿を知っている。
「私が描く青龍を、いつも
だから、と繰り返して、
「もはやこの青龍こそが、私と
――――――――――豪っ!!!!
「お覚悟を、
「最後に、いいかな?」
はい、と軽く片手を挙げてみせると、あら、とばかりに
「今更命乞いですの?」
なんて情けない、とでも言いたげな様子に、
「今更こんな命に未練はないよ。でも、これが最期になるのならば、君には真実を伝えておくべきだと思ってね」
そう、今回の件のすべてを、今は亡き想い人たる、かつての青太子、
「……真実?」
「そう。三年前の、僕が起こした弑逆について」
「真実も何も、あなた様が先代陛下と
「だからね、
「…………なんですって?」
「三年前の弑逆は、すべて、当時の青太子――
その、瞬間。
「な、にを、おっしゃって……」
信じられない。信じられるはずがない。どうせこの場をしのぐための偽りだろう。そう言われてもおかしくなかったのに、
「当時の
案じて、案じ続けて、その未来を紡ぐために考え抜いた先に出した結論が、この自分、
「そう、そうやって勝手にご判断されて、
――
――これは、お前が犯した罪だ。
――お前こそが皇帝にふさわしい。
――私では駄目だ、皇帝はお前でなくてはならない。
――お前が皇帝となり、この国を導け。
――
全身を父と異母兄弟の赤き血に染めて、呆然と固まるばかりの自分に、異母兄はとうとうとそう語った。本来青をまとうべき、本来皇帝になるべきだった異母兄は、そうして自らの心臓を長剣で貫いた。鮮やかな赤い血が親しき異母兄の胸から噴き出して、その身体がどうと倒れて、ただ血を浴びて立ち竦んで、そうして、どれほどの時間が経ったのだったか。異変に気付いた官吏や武官がやってきて、凄惨な光景に息を呑む中で、
――控えよ。
――我こそが、皇帝である。
そう宣言して、そうやって
母も、異母兄も、生きろと言った。けれどこの背に背負わされた罪はあまりにも重くて、重すぎて、生きていくことがあまりにも難しくて、だからせめて死なないでいることにした。死なないでいるだけで、精一杯だった。
――生きなさい、
――
耳にこびりついて離れないその言葉は、母と異母兄にとっては祈りであり願いであり祝いであったのかもしれないけれど、
ただ死なないでいるだけの人生に、未来などどこにもない。けれど死ぬわけにはいかなかった。どれだけ誰かに死を望まれても、背負った罪がそれを許さない。楽になることなど決して許してはくれない。
――でも。
もう、いいだろう。よくやったと、自分で自分を褒めてやっていいのではないだろうか。あーあ、と
「うそ、嘘よ嘘、ありえない、
うそよ、と繰り返す
――
青龍が、
「――――青龍よ! 私から
涙を流し、それでもなお微笑んで、再び
いよいよここまでなのだと、
ああ、そうだとも。本当は、知っていたのだ。
忌み名は、その名の持ち主を護るためのものだ。生まれたときから身に余る龍氣を宿していた
――
――僕は、きっと、君とおなじところにはいけないね。
暗闇の世界に今度こそ堕ちるだけだ。それでいい。それがいい。罪深きこの身に、ふさわしき罰だ。そう目を閉じた、その、瞬間。
「――――――――――
その、声を。暗闇の世界に差し込む、一条の光のような、その声を。どうして聞きまがうことがあるだろうか。閉じていた目が本能で開き、そして、
迫りくる青龍の顔に横から飛び掛かる、巨大な白兎を。そしてその背に、乗っているのは。
「……ほ、う、じゅ?」
「はい、
青龍とぶつかって吹っ飛ばした白兎に「
それでもなお、その琥珀の瞳をきらきらと輝かせて駆け寄ってくる、誰よりも何よりも美しい、いとしい、女は。
――ねえ、
どうして彼女は、その名の通りに、こんなにもまばゆく暗闇の世界を照らしてくれるのか、不思議で仕方なくて、いっそ無性に悔しいとすら思えてしまって、けれどそれ以上にどうしようもなく嬉しくて仕方ない。
そうしてこんなときになって、ようやく理解する。いつか“
――
なぜかにじむ視界の中でもなお輝かしい、初めて恋に落ちた女が、
その細く柔く華奢な身体は力をこめたら砕けてしまいそうで、けれど我慢などもうできなくて、
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