16-③ 天馬

黒妃様の身体が傾いて、そのままこちらへ倒れ込んでくる。え、と、思う間もなく、朱妃様の口から「きゃあああああああっ!」と悲鳴が上がり、白妃様が「雪凛せつりん殿!?」と焦りの声を上げる。

私達の目の前に倒れ込んできた黒妃様の反応はない。倒れ伏す彼女の背に走る、大きな傷。鮮やかすぎる真っ赤な血が噴き出して、納屋に広がっていく。


「え……?」


口からこぼれた声が、自分のものではないようだった。そんな私の耳に、深々とした溜息が届く。


「…………余計なことは口にするなと、あれほど淑蕾しゅくらい様に言われていたというのに」


黒妃様がほんの数拍前で立っていたその場所に、誰かが立っている。今まさに黒妃様を斬り捨て、鮮血にぬれた長剣をたずさえた、このお方は。


宵華しょうか、様?」


そう、彼女は。彼女は、青妃様の護牌官たる、宵華しょうか様だ。空恐ろしくなるほど平然とした様子でそこにたたずむ彼女を、いち早く正気を取り戻した白妃様がにらみ上げる。


「な、ぜだ、宵華しょうか殿! なぜ雪凛せつりん殿を……!」

「初めからこうなる予定でございました。我が主命ゆえにございます」

「主命、だと……!?」


愕然とした声を上げる白妃様に続いて、朱妃様もまた「そんな」と声を震わせる。

宵華しょうか様にとっての主命、つまりは青妃様の命令であるというわけだ。何がどうしてどうなってそうなっているのかまったく解らない。

青妃様の狙いはなんだ。まさか黒妃様同様に、夜昊やこう様への想いが極まったゆえの暴走か。すべての罪を黒妃様に押し付けて、自らこそがいずれ皇后として立つためだとでもいうのか。


――…………ううん、違う。

――きっと、そうじゃない。


考えろ、かい宝珠ほうじゅ。青妃様が、私と、他のお妃様方を殺して、何の得になる? 私がいなくなっても元の後宮に戻るだけだし、たとえ他のお妃様方を廃しても、新たにそれぞれの大貴族の家から妃が立つだけだ。

そもそも、だ。私と、お妃様方が、いる意味は。それは、もとを正せば、皇帝陛下……夜昊やこう様に、神牌しんはいを提供する役割を担うからであって……と、そこまで考えて、血の気が引いた。


「っ夜昊やこう様は!?」


そうだ。五星国における後宮の意味は、皇帝への最高の神牌しんはいの提供という役割もまた担う。しかも夜昊やこう様のとんでもない龍氣を考えると、彼のそれに耐えうるだけの神牌しんはいを提供できるのは、お妃様方ほどの腕の創牌師そうはいしと、たまたまそこに割り込んだ私くらいなものだ。その私達がここに集められ、殺されたとしたら? そうしたら、今、夜昊やこう様は……!?


「青妃様は、夜昊やこう様のもとへ向かわれたと聞いております! まさか、まさか、青妃様の狙いは……!」

「…………来来ライライ


私が、自分でも驚くほど必死になって問いかけても、宵華しょうか様の無表情は崩れなかった。代わりに、彼女は取り出した神牌しんはいから、油壷を抱えた老婆の精霊を呼び出した。彼女はびしゃびしゃと油壷から油をまき散らし、そして「謝謝シェイシェイ」という宵華しょうか様の命令に従って送還される。


「すべて、我が主の宿願のため。白妃様、朱妃様、黒妃様、そしてかい宝珠ほうじゅ。あなたがたの天命は、これまでです――――来来ライライ


新たに取り出された神牌しんはいから火種が落とされ、一気に納屋の中に燃え広がる。それを見届けることなく、宵華しょうか様は足早に納屋を後にした。もちろんしっかりと納屋の扉を閉めて、鍵をかけていってくださいやがった。几帳面で真面目で融通が利かなくて、誰よりも主君に忠実でいらっしゃると見た。

迫りくる炎の仲、ドォン、と。外から爆音が聞こえてくる。それは一つや二つではなく、続けざまにいくつも連なり、まるで雷鳴のようにとどろいてくる。朱妃様が「煉鵬れんほう、たすけて、れんほう」と震え、そんな彼女に白妃様が「落ち着くんだ、燦麗さんれい殿!」と何度も声をかける。黒妃様の意識は戻ることなく、ただいたずらに赤い池が広がっていく。このままでは彼女の命はすぐに費えるだろうし、私達だってこうして縛られたまま炎に呑まれるより他はない。


――冗談じゃ、ないわ!


カッと自分の目が見開くのを感じた。ぐり、ぐり、と、後ろ手に縛られている手首を捻る。そして確信する。コレならば、イケる、と。ちょっと無理を言わせるけれど……無理を通せば道理が引っ込む!


「っやった!」


自由になった両手を天井に向けて掲げると、白妃様が「宝珠ほうじゅ殿!? 縄を解いたのか!?」と驚きの声を上げ、朱妃様がしゃくりあげながらもぽかんとこちらを見つめてくる。そんな二人に、私は深く頷きを返した。


「我が養父直伝の、縄抜けの法にございます。縛られ方によってはどうしようもありませんでしたが……単純に手首を縛るだけに留めてくださり助かりました」


教えてもらったときは何の役に立つのかと思ったものだけれど、まさかこんなところで役立つとは。養父様、ありがとうございます。あなたの教えのおかげで、私は今もなお生きております。そのまま両手で足の縄も解き、続けて、朱妃様、白妃様の縄も解かせていただいた。

とはいえ状況はほとんど変わらない。何せ炎が燃え盛る納屋に閉じ込められているのである。どうしよう、どうしたらいい?


――夜昊やこう様!


あなたならこんなときにどうなさいますか、と問いかけようとして、気付く。そのまま髪に手を寄せた。そこにある冷たい感触を確かめてから、それを引き抜いた。そして私の手にあるのは、以前夜昊やこう様がわざわざ私にくださった、蝋梅のかんざしだ。

ああ、そうか。このために、今、これはこの手にあるのだ。


――夜昊やこう様、ごめんなさい。


それでも、このかんざしよりも、譲れない、大切なものがあるのです。だからすみません、許してください!

というわけで、地面にそれを置き、問答無用で踏み付ける。朱妃様と白妃様が「ちょっ!?」「なっ!?」とそれぞれとてもいい反応をしてくれたのをよそに、私は足を持ち上げた。

よしよし、イイ感じに折れている。見事に折れたかんざしは、本来の精緻な美しさから程遠い、鋭い切っ先を持つ凶器となってくれた。折れたかんざしのかけらの中でも特に鋭く大きなものを持ち上げて、そのまま私はそれをぎゅっと持つ。そして。


「とりゃっ!」

「だからさっきから何してるのよ!?」

宝珠ほうじゅ殿、気が狂ったか!?」


スパッと驚くほど簡単に、かんざしの破片は私の手を切り裂いた。朱妃様と白妃様が悲鳴のような声を上げて私にツッコミを入れてきたが、構うことなく、ぼたぼたと血を流す手をそのままに、今度は自らの衣装の裾に手を伸ばす。これまた遠慮なくびりりとちぎり、血に濡れた指を滑らせる。

そしてちぎれた布の上に完成したるは、蛇がからみつく杖と杯を持つ、一人の少女の姿だ。真っ赤な血で描かれた彼女の姿は若干おどろおどろしいものがあるけれど、今は細かいことは言っていられない。


来来ライライ!」


祈るように叫ぶ。どうか応えてと願いを込める。朱妃様との香煙牌においても召喚した彼女は、私の情けない声に、穢ればかりのできそこないの神牌しんはいに、それでもなお応えてくれた。……まあ、神牌しんはいと呼ぶにはあまりにもおこがましい“神牌しんはい”なので、治癒を司る少女は不満げに口を尖らせているし、その姿は薄く透けてぼんやりとしているけれども。

それでも私が「お願い」と頼み込むと、彼女は肩を竦めて、その杖を掲げ、杯を傾けた。黒妃様の背中の傷が、完璧ではないにしろ、生き残るには十分である程度には癒えて、そうして少女の姿がかき消える。

よし、次だ。

唖然としている朱妃様と白妃様をやはり置き去りにして、再び裾を大きくちぎり、もう一度手をかんざしで切りつける。痛くないのか、と問われれば、もちろん痛いに決まっていると断言させていただこう。けれどその痛みに構ってなどいられないのだ。

もっと痛むのは、別のところ。今ごろたった独りで戦っているであろう夜昊やこう様のことを思うだけで、この胸は張り裂けそうになる。だから私は、描くのだ。この身に流れる血液という顔料で、限界を超えてみせるのだ。


「――――来来ライライ!」


次に描きたるは、翼の生えた馬……天馬と呼ばれる精霊だ。本来白い顔料を好む彼は、やはりいかにも不満そうな顔で、それでもなおこの場に顕現してくれた。じっとりとにらみ付けてくる彼に「ごめんね」と心からの謝罪を告げる。

それからようやく、大変遅ればせながらにして、こちらを呆然と見つめるばかりの朱妃様と白妃様、それから意識がないながらも確かにまだ生きていらっしゃる黒妃様へと視線を向けた。

そしてその中で、一人。既に私の意図を察していらっしゃる方へと、改めてひたりと見つめる。


「白妃様」

「……なんだろうか」

「どうか、朱妃様と黒妃様をお願いいたします。この子は必ず白妃様の思いに応えてくれますゆえ」

「…………宝珠ほうじゅ殿はどうするつもりだ?」

「私には、まだ、なすべきことがございます。それにこの天馬は、三人を乗せるのが限度でして」


ね、と同意を求めて天馬の顔を撫でると、ぶるる、と低いいななきが返ってきた。「三人だって大変だぞ」とでも言いたげな彼をなだめるようにもう一度撫でると、天馬はその私の血まみれの手を気づかわしげに舐めてくれた。

よしよし、本当に賢くてよくできた精霊だ。女性に対する気遣いがばっちりの彼ならば、三人のお妃様方を任せられる。

白妃様が真剣な表情で「解った」と頷いてくれて、ほっとしたのも束の間、「待ちなさい!」と声が上がった。朱妃様だ。


「か、かい宝珠ほうじゅ! そんな勝手、あたくしは許さないわ! お前も一緒に……!」

「……ふふっ」

「何がおかしいのよ!? こんなときに、何を笑って……っ」

「だって、やはり朱妃様はとてもお優しいんですもの」

「なっ!」


ぼんっと涙にぬれる顔を赤らめる朱妃様に手を伸ばし、その涙を袖でぬぐう。しまった、袖もめちゃくちゃ血で汚れていた。さいわいなことに、彼女のかんばせはその血で汚れることはなくてほっとする。


「朱妃様は、煉鵬れんほう様のもとへ。此度の件の黒幕が黒妃様ではなく青妃様だと言うならば、煉鵬れんほう様はご無事でいらっしゃる可能性があります」


青妃様が黒幕ならば、彼女が先に片づけておくのは煉鵬れんほう様ではなく氷雅ひょうが様だろう。何せ、黒妃様を利用しているのだから、その意図に気付かれたときに面倒なことになるのは氷雅ひょうが様だからだ。

私のその言葉に、はっと息を呑んだ朱妃様は、ぎゅっと唇を噛んだ。そして、私の手をそっと両手で包み込んでくれる。


「この礼は、燦麗さんれいの名に懸けて、必ず。だから、かい宝珠ほうじゅ……絶対に生きてまた会うわよ」

「ああ、その通りだ。宝珠ほうじゅ殿。必ず、生きて会おう」


そう告げるが早いか、白妃様はまず朱妃様を馬上へと乗せ、さらに黒妃様を抱き上げて、自らもまた天馬にまたがった。

白妃様が天馬を撫でると、彼は大きくいなないて、その足で納屋の扉を遠慮なく蹴り飛ばす。すさまじい勢いで破壊された扉は粉々になり、そのまま三人の美姫を乗せた天馬は、外へと飛び出していった。できそこないの神牌しんはいに応えてくれた、心優しく根性のある天馬は、必ず三人を安全な場所まで送り届けてくれることだろう。

そう、だからこそ、ならば私は。


――夜昊やこう様。

――必ず私は、あなたのもとに辿り着きます。


だから、どうか、待っていて。そうこいねがう声は、あの方に届くだろうか。

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