15-③ 月餅
とにかく、お美しいお二人にどう褒められたとしても、「いえいえあなた方ほどでは……」という結論になるわけだ。この気持ち、どう言ったら伝えられるだろう? ここはひとつ、お妃様方一人一人に対して、ありとあらゆる美辞麗句を尽くすべきところだろうか。私の少ない語彙でどこまで太刀打ちできるかはまったく自信はないけれど。
いや、その前に、根本的に。
「どうしてまた朱妃様も白妃様も、私などにこのようなお衣装とお化粧を?」
「陛下の前に立つのにふさわしい恰好にしてあげただけよ」
「“寵姫”なのだろう? ならば相応の姿であのお方をお迎えすべきだろう」
「……………」
お二方とも、特別なことなど何一つしていないと言いたげなご様子だ。「当たり前でしょ?」「当たり前だろう?」とその美貌にそれぞれはっきりと書いてある。ついでに問いかけた私に対して「何をいまさら言ってんだこいつ」とも言いたげだ。
なんだろう。なんだか、私が認識していた状況と、この現状、あちこち齟齬が生じている気がしてならない。だってそうではないか。
「朱妃様も白妃様も、私が
それこそまるで一国の姫君のような仕立て上げられ方をしていただく理由はございません、と続けるつもりだったのだけれど、やめた。想定外にも、朱妃様の赤い瞳と、白妃様の白銀の瞳が、さも驚いたようにきょとんと大きく瞬いたからだ。それにつられて私も瞳を瞬かせると、まず朱妃様が「だから当たり前じゃない」と口火を切る。
「そりゃああたくしは、もちろん陛下をお慕いしているわよ。でも、ご立派すぎて、その、恐れ多いと思うところも、あって。だからこそあたくしは陛下の御前に出るときは誰よりも美しく誇らしいあたくしでいたいと思うし、他の者もそうあるべきだと思っているの。それだけだわ。その点では
「……おっしゃる通りで……」
「もう! 本当に解っているの!? 陛下の寵姫ならもっとしゃっきりしなさいよ!」
「も、申し訳ございません」
そうは言われましても~~というやつである。せめてこのお茶会だってもう少し事前に教えてくださっていたらそれなりに私も頑張ったかもしれないのに、頭ごなしにここまでこき下ろされるとさすがに胸が痛む。これっぽっちも反論できないけれども。
平身低頭で謝罪を重ねる私と、ぷりぷりぽこぽこ怒る朱妃様のやりとりを微笑みながら見つめていた白妃様は、そこでそのまなざしに少しばかりいじわるげな光を宿して、朱妃様をちらりと見つめた。
「
「
「おお、怖い怖い」
くつくつと喉を鳴らす白妃様を、悲鳴のような声を上げつつ朱妃様が真っ赤になって睨み付ける。おや。おやおやおやおや。なるほどもしかしてもしかしなくても、そういうこと、ということか。
朱妃様の
「
「なっ!?」
ふふふ、と思わず笑うと、ますます朱妃様のかんばせの赤がさらに燃え上がるように色濃くなった。皇帝陛下の妃である朱妃様とその護牌官が……だなんて、本来であれば許されざる大罪でしかないにちがいないのだけれど、この様子から察するに、あれだ。これは、
だとしたら、朱妃様のことは余計に後宮から追い出してさしあげるのが彼女のためなのかも、と、気付けば目の前に置かれていたお茶をすすっていると、顔を赤らめてうぐぐぐぐぐと唸っていた朱妃様が、ギッとこちらをにらみ付けてきた。怖いどころかかわいらしいと段じられるのだから、恋する乙女とはなんと魅力的な存在なのだろう。
「……
「はい、朱妃様」
「
「それはようございました」
そう、回復ついでに、
つまり、
彼女との一戦は、我ながら性格の悪さがにじみ出る、彼女の意地と矜持を踏みにじるようなやり口だったからなぁ、と思うと、口を噤むより他はない。
そのかわりに、そっと白妃様へと視線を移動させた。彼女にとっての
「俺は陛下を、武人として尊敬している。敬愛、と言ってもいい。俺は嫁ぐのであれば、俺よりも強い御仁のもとへと決めていた。それが陛下であった、というわけだ。俺の矛を、干将と莫耶で軽々と制してみせたあのお姿、忘れようにも忘れられん。強さも美しさも龍氣も何もかも、あの方は俺を上回っている。俺が、膝を折るにふさわしいお方だ」
つまり、これまた恋愛感情ではなさそうだ。白妃様は一人の武人として、
なんてご立派な心意気……と感心するばかりだった私の顔を、白妃様はひょいっと覗き込んでくる。え、と思う間もなく、彼女はにやりと口角をつり上げた。
「そういう意味では
「おおおおおお恐れ多いことにございます……!」
「そうか? あなたほどふさわしい女性もそうそういないと思うのだが。なあ
ここでその内容の発言を黒妃様に向けることを選択した白妃様は、間違いなく猛者だった。けれど顔をひきつらせたのは私だけで、朱妃様も「まあ、認めてあげなくもないけど……
雪のように白い肌が、ほんのりと赤く染まっている。これまたやはり無言でしばらくじっと私のことを見つめていた彼女は、「そう、ですわね」とその唇をかすかに震わせて、さらに続けた。
「陛下の寵姫の名にふさわしい
「あ、頭をお上げください……!」
重ねてお礼を、と、しおらしく頭を下げてくる黒妃様に慌てて声をかけると、彼女はいかにも気恥ずかしげにさらに顔を赤らめた。そんな彼女を見て、朱妃様と白妃様がふふと笑い合う。
「このお茶会は、
「どうしても
「っ
「はぁい、ごめんなさぁい」
「すまないな、
真っ白な肌をすっかり真っ赤にして朱妃様と白妃様に抗議する黒妃様だけれど、あいにく迫力なんてまるでない。
あらまあ、なんというか、
――本当に、どうしようもないお方だわ。
脳裏によみがえる金色のおもざしに思い切り舌を出す。罪な男は色男、なんて、誉め言葉にもなりやしない。
そういえばその
私と朱妃様、白妃様が首を傾げたり、瞳を瞬かせたりするのを横目に、黒妃様は箱の蓋を開ける。
「わあ……!」
第一声は朱妃様だった。純粋に嬉しそうな歓声だ。箱の中に入っていたのは、つやつやと照り光る月餅だった。小ぶりな大きなのそれから香る甘い匂いに、自然と私も顔がほころぶ。そもそも甘味そのものがそれなりに高級品とされる世の中だ。その中でも月餅は、特に縁起物としても重宝されている。
「冬家秘伝の調理法で作らせた月餅ですの。陛下や淑蕾様がいらっしゃる前ではありますが、先にわたくし達で召し上がりませんこと?」
お詫びにもなりませんが、と、おずおずとこちらを窺ってくる黒妃様のそのはかなげな美貌を前にして、まさか断れるはずがない。
朱妃様が「淑蕾姉様は先に始めていていいっておっしゃっていたもの」と早速月餅に手を伸ばし、続いて白妃様が「ちょうど小腹がすき始めたところだった」と同じく月餅を手に取る。そして最後に私がありがたく頂戴し、誰からともなくそれを口に運んだ。
――お、おいしい……!
市井で出回る、粉ばかりのものとはわけが違う。たっぷりと木の実がふんだんに閉じ込められた餡は甘すぎず、本来重いお菓子であるはずの月餅なのに、ぱくぱくぺろりとついつい一気に食べてしまう。それは私ばかりではなく朱妃様、白妃様も同様だったようで……って、あれ? 黒妃様は、微笑んでこちらを見つめている。彼女が月餅を口にした様子は、ない。彼女の前の小皿に取り分けてある、手つかずの月餅がその証拠で――――と、そこまで思った瞬間、ぐらりと視界が傾いだ。
「な、にっ?」
「これ、は……っ」
急激なめまいに襲われたのは、私だけではない。朱妃様も白妃様も、卓にすがりつくようにして、かろうじて椅子に座っている。私もまた、同様に。ただ、黒妃様だけが、その名の示す通りに凛と背筋を伸ばしたまま、優美な仕草で立ち上がる。同時に私達三人は、椅子から崩れ落ちた。
くすくすくす、と、どこかあどけなさを感じさせる、けれどそれ以上に残酷で冷たい笑い声が耳朶を打つ。重くて仕方のない首を何とか持ち上げてそちらを見ると、凍えるような憎悪を宿した黒瞳が、私を見下ろしていた。
「何が、寵姫よ。何が、皇后にふさわしいよ。身の程を知らない醜女め」
嫉妬と怨嗟にまみれた声が、笑いながら言葉を紡ぐ。
「ふふ、ふふふふふふっ! これで陛下はわたくしだけのものになるの、そう、陛下にはわたくしだけでいいの! 陛下に近付く女は嫌い、みんなみんな大嫌い!」
だからお前達は、みぃんないらないの。そう雪よりも冷たく笑った黒妃様の笑顔が、まぶたに焼き付いて、そのまま私は、なすすべもなく意識を手放すより他はなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます