9-③ 美姫
――――かくして、私、
――お断りさせていただかなくては、公平ではないじゃない。
はい、お断りさせていただきましたとも。
だってお妃様方達も、
試合に臨む前から負けてどうするの、という話である。もしかしたらお妃様方や四大貴族の皆様は、私が自ら
と、いうわけで、私はその
彼は私のその願い通り、たとえ同じ黄妃宮で寝泊まりしているにしても、わざわざ私の顔を見に来ようとはしなかった。代わりに、
とにもかくにも、そうやって過ごした一週間。
そうして準備を続けた私は、本日とうとう、
晴れ渡る空には雲一つなく、どこまで透明な青が広がっている。
ははあ、どのお方もご立派なもので……としみじみ頷く私はといえば、鍛錬場の片隅に張られた天幕にいた。鍛錬場の四方には、それぞれ青、赤、白、黒の布で造られた、それはそれは立派な天幕が張られている。すっぽりと上等な分厚い生地で覆われたその内部はうかがい知れないけれど、それぞれその色を司るお妃様方がいらっしゃることは明白だった。
私の天幕は、その四つの天幕の邪魔にならないところに、いかにも「まあ一応用意はしておいてやるか」と言わんばかりの、大層小さな、染色もされていない生成りの生地で造られた粗末な天幕である。女官も衛兵も用意されていないのをいいことに、こっそりと天幕の隙間から鍛錬場を覗いている、というわけだ。
そろそろ刻限かな、と私が思い始めたころ合いを見計らったかのように、じゃぁん、じゃぁん、と、銅鑼の音が大きく鳴り響く。それを合図にして、鍛錬場にいた衛兵も女官も、四大貴族に連なる方々も皆、その場にひざまずく。代わりに立ち上がられたのは、我らが覇王サマだ。
「――――ここに、
朗々と響く、心地よい声音。いつもよりも固くなっていらっしゃるな、と私が思う間もなく、じゃぁん! と一際大きく銅鑼が鳴る。そして再び椅子に腰を下ろした
さあ、いよいよだ。とはいえまだ私の出番は先なので、続けて状況を覗き見させていただくこととしよう。
まず動いたのは、青の天幕だった。
「春家。青妃、
銅鑼が鳴る。
そんな彼女の手を取り、完璧な所作でその行く手に導くのは、彼女の護牌官。同じく青の武装に身を固め、その腰に長剣を携えた彼女は、春に咲く楚々とした花のような主人に、絶対の忠誠を誓っているであろうことが、その隙のなさ、そのまなざしからたやすく読み取れた。
「夏家。朱妃、
また銅鑼が鳴り、今度は赤の天幕が開かれる。そこから踊るような足取りで現れたるは、赤の美姫。幾重にも重ねたるさまざまな赤の生地で作られた衣装は、まるで鳥の翼のように美しく豪奢なそれだった。彼女が歩むたびに、鳥の羽ばたきが聞こえるようで、同時にあらゆる赤の生地が翻る。左右に結い上げられた赤の髪は、いくつもの赤の宝石が飾るかんざしが彩りを添え、鮮やかな赤の瞳には、燃え盛る炎のように熱く美しい戦意が宿っている。
彼女の手を取って、先走りそうな彼女を押しとどめつつも決して邪魔するまでには至らない歩みを進める少年は、彼女の護牌官。確か名前は、
「秋家。白妃、夕蓉様」
銅鑼が鳴る。白の天幕が開かれて、そこから堂々たる足取りで現れたるは、白の美姫。そう、たとえ男装していても、彼女は間違いなく美しい姫君だった。きらめく金属片で虎の意匠をその男装に縫い込み、さらに肩からは、本物の虎の毛皮をかけている。彼女が歩を進めれば、金属片がぶつかり合ってしゃらしゃらと涼やかな音を立て、虎の毛皮の尾がゆらゆらとなんともちゃめっけたっぷりに愛らしく揺れる。長く伸ばされた白髪は後頭部の高い位置で一つにまとめられ、そこにやはり金属製の、それはそれは見事な作りのかんざしが何本も挿されている。白銀の瞳に宿る、凛と澄んだ、それでいて戦いの前の高揚感を感じさせる光が、太陽の光の下できらきらと輝いていた。
彼女が伴う護牌官はやはりおらず、代わりに、彼女の登場と同時に、観戦を許された女官達が黄色い悲鳴を上げた。お流石である。
「冬家。黒妃、雪凛様」
そうしてまた、銅鑼が鳴る。黒の天幕が開かれた。そこから、まるで夜を導くように、黒の美姫が現れる。しっとりとした、それでいて艶やかな黒の生地で作られた衣装には、何の装飾もほどこされてはいない。それは、その手間や財力を惜しんだからではないのだと、誰の目にも明らかだった。いかなる装飾も、彼女には必要がない。黒い髪、黒い瞳、雪のように白い肌。それだけで彼女は、他の妃達と同等の美しさを誇っていた。長く艶やかな黒髪もまた、何に飾られることもなくただ背に流されるばかり。けれど風に遊ばれるその黒髪の美しさたるや、夜の帳をそのまま映したかのようだった。黒瞳に宿る雪のように冷ややかな光に、誰かがごくりと息を呑むのが聞こえてきた。解る、彼女が他のお妃様方に負けず劣らずの御美しさを誇っていらっしゃるからこそ余計に、めちゃくちゃ怖い。
とはいえ、それでもいかにも可憐な風情をまとうのが彼女である。その彼女の手を取るのは、彼女の護牌官であり、実の兄君でもあるのだという、確か……
そして。それから。いよいよ私の番だ。よし、と気合いを入れて、覗き見をやめて姿勢を正す。さあさあさあ、いよいよ、いよいよ…………そう、いよいよ、なのだ、けれども。そのはず、なのだけれども。
――合図がないわね。
どれだけ待っても銅鑼が鳴らない。代わりに聞こえてくるのは、男女を問わない小さな笑い声の連鎖だ。
あー……これはあれか、あれですね、間違いなく嫌がらせの一環ですね。
耳に届く、いかにもこちらを小馬鹿にしてくる笑い声は数えきれない。なんなら普通に「まさかお妃様と同じような扱いを受けられると思っているのかしら」「たかが平民が分もわきまえずに」「このまま出てこなかったら、お妃様方の不戦勝だろう」「まあもったいないこと! キズモノの醜女が、身の程をお妃様にお教え願える機会なんてそうそうないというのに」などという陰口までばんばん聞こえてくる。
だがしかし、私がこれで泣き寝入りするようなかわいらしい乙女だったら、私はそもそもここに立っていない。なるほど、承知した。そちらがその気であるならば、私は私のやり方で登場させていただこう!
「――――
すばやくまっさらな
男性のどよめき、女性の悲鳴、誰も彼もの信じられないと言わんばかりのまなざしを受けて、私は宙に舞い上げられた天幕を見送ることなく、一歩前に出る。
「我が姓は
私の周りを取り巻く風が、私の髪を、衣装を、優しくもてあそぶ。
誰も彼もが、今もなお、信じられないというまなざしを私に向けてくる。お妃様方ばかりか、なんと
私が身にまとっているのは、黄色の衣装だ。そう、現在は忌色とされている、かつての五大貴族の一角であった季家の貴色。幾重にも重ねた絹の薄布は、花のようでもあり、鳥の羽のようでもあり、飾り付けられた黄金と宝石がぶつかり合うたびにりぃん、りぃんと心地よく聞く者の耳朶をくすぐる。私のこの胡桃色の髪を飾るのはたった一つ、蝋梅のかんざし。そう、
そう、
「キズモノ、では、なかったのか……?」
「お、お化粧で隠しているだけでしょう!? でなければ、あんな、あんな美しい、美しすぎる女なんているはずが……!」
何やら外野がうるさいが、とりあえず、第一印象としては上出来だ。
そう、今の私の顔に、傷痕はない。だってそうだろう。偽りの姿で、
衣装の準備は、市井で暮らしていた時から懇意にしているさまざまな精霊達が、ここぞとばかりに手伝ってくれた。某仙女様には「やっとその気になったのね!」と抱き締められ、某小人さんには「とびっきりの宝石を用意してやろう!」とやる気たっぷりに頷かれ、某花老には「ようやくお前さんにも春が……」と目頭を押さえられた。それはちょっと違うと思ったけれど、とにかく誰も彼もが協力的で、なんなら私以上にノリノリであり、そういうわけで、今のこの私ができあがった、というわけである。
自分では悪くはない出来だろう、くらいの認識でしかないけれど、うむ。他人から見てもどうやらそうあってくれるらしい。ご協力くださった皆様、本当にありがとうございました。そう内心で呟いて、呆然とこちらを見下ろしたまま固まっている
――見ていてください、
あなたの寵姫にはなれないけれど、あなた専属の女官として、
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