9-① 香煙牌
そうして、たとえ刺客に狙われた夜を明かそうが、十年前の内乱の真実を知ろうが、それでもなお、今日も今日とて私は絵筆を握って、せっせせっせと
属性を問わないあまたの
そう、それはいい、のだけれど。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……あの、
「…………ん?」
「それほどまでに何をおっしゃるでもなくただじっと見つめられるばかりでおりますと、流石に私も緊張するのですが」
「………………僕、そんなに君を見てた?」
「少なくとも、
「…………………………そうだっけ?」
「はい」
手を休めず、不敬と解っていながらもそちらをちらりとも見ずに、ただこっくりと頷きを返す。
私が作業場として使わせていただいてる広間にやってきて以来、椅子に座るでもなくただ壁にもたれて立ったまま、終始無言かつ無表情で、じいいいいいいいっと私の作業を見つめていらした
「あれ? ううん? そう……そう、かな?」
そんなつもりはないのだけれど、続けつつ、そのままことりと小首を傾げる気配が伝わってくる。「いや自覚なかったんですか」と突っ込みたくなるのを寸前で堪えて、とうとう私は絵筆を滑らせる手を止めて、覚悟を決めて
ばちんっと大きく音を立てて、彼の金色の瞳と視線がかち合った。反射的に目を逸らしたくなるけれど、彼のまなざしはいっそ恐ろしいほど力強く私の視線を絡みとっていて、そのまま私は蛇ににらまれた蛙のように硬直せざるを得ない。
――毎日毎日、飽きないのかしら。
――いったいどういうご心境の変化なの?
そう、第二の刺客を撃退した夜以来、どうにもこうにも
理由は……まあ、うん、解らないでもない、のだけれど。何せ十年間背負ってきた秘密を明かしてくださったのだ。私はもう何も知らなかった、知ろうともしなかった、ただの女官兼
てっきり、そんな私を
彼のまなざしはあまりにも強すぎて、そろそろ胃に穴が開きそうである。普通にとてもとても怖いのだけれど、ご本人にその気がまったくないらしいのがまた困りものだ。
そんなに疑わなくても、別に十年前の内乱について誰かに口外する気はないし、そもそもそんな相手がいないということくらい、
――この宮は黄妃宮。
――だからこそ、女官も宦官も誰もいない、後宮におけるがらんどうの宮。
そもそも少し考えてみれば解ることだったのだ。後宮において、警備の兵士すら存在しない宮が、どういう宮であるのかだなんて。
十年前から廃妃とされた黄妃のための宮であるならば当然の話だ。そして、だからこそ
――私がのびのび
そう、それはいい……いやその経緯を考えればちっとも何もよくはないが、とにもかくにもこの宮にいるのは基本私と
そしてその
今まで目にしてきた穏やかな笑顔をどこに投げ捨てられたのか、ぞっとするような無表情だ。整いすぎた麗しい美貌がそんな表情を浮かべていると、一流の職人が丹精込めて作り上げた最高傑作のお人形のようにすら見えてくる。そんな彼にじっと見つめられ続けるこの現状。繰り返すが、そろそろ胃に穴が開く。そうでなくても、もう精神的に限界だ。
と、いうわけで、本日ようやくその件について指摘させていただいたのだけれども、まさか本当にご自覚されていらっしゃらなかったとは思わなかった。
だったらなんでまた私などをご覧になっていらっしゃるのか。はて? と首を傾げ返すと、ぱっと
そうして再び開かれた瞳で、彼はもう一度私へと視線を向ける。そのまなざしは柔らかく、口元に浮かぶのはいつも通りの穏やかな笑みであったから、私は内心でほっと安堵の息を吐いた。
「
「はい」
「話があるんだ。もっと早くに言おうと思っていたのだけれど……僕がもみ消せるならそうしようと思ってね。まあ結局押し切られてしまったから、こうして君に話さなくてはならなくなってしまった。先に謝っておく。ごめん」
あちこちどころではなく全体的に不穏なご発言である。
えっそれはどういうお話ですか。ここ最近ずっと私をにらみ付け……とは言わないまでも、何やらじっっっっっっっっっと見つめていらしたのは、その件についてだったのか。なるほど、言い出しにくいお話が合って、それを口にする機会をうかがっていたのだとしたら納得がいく。このお方でもそういう躊躇をなさるのだなぁ、となんとなく感動してから、はたと気付いた。ちょっと待った。
「あの」
「ん?」
「そのお話は、つまり、私にとって非常に都合のよろしくないお話ということですか……?」
覇王サマともあろうお方がもみ消すこともできず押し切られ、わざわざ女官兼
「君と、妃達で、
「……!」
嘘でしょう? 冗談でしょう? そうでなかったら空耳ですよね? まさか私ごとき相手にお妃様方がそこまでなさいます?
そう重ねて問いかけたいのに、何一つ言葉にならない。何せ
だからこそ逆に私は、すとんっと冷静になってしまったのだ。ああそうか、まあそうなりますよね、むしろ今までそうならなかったことのほうがおかしいですよね。そう内心で呟きつつ、
「お妃様方からばかりではなく、そのご生家の皆様からも、圧力がかけられた、ということでしょうか?」
「……鋭いね」
「いくら私でもそれくらいは解ります」
――……
だからこそ彼は覇王と呼ばれる、とは、余談として、とにもかくにも、私はその
――とんだ無茶ぶりよねぇ……。
ここで私は「無理です!!」と絶叫しても許されるところなのだろうけれど、悲しいかな、その私にとっての『無理』を無理矢理押し通して『道理』になさった方々がいらっしゃる。それがお妃様方であり、彼女達の生家である春家、夏家、秋家、冬家の皆様だ。
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