7-② 睡魔

そう、問題は、それでどうして彼が、私と一緒に寝るだなんて言いだしたかだ。しかも「今夜から」とわざわざおっしゃったことを鑑みるに、共寝は今日だけではなく、これからずっと続くということだろう。はいはいはいはい、無理無理の無理。冗談でもごめんだった。

私のそんな無言の訴えは、さいわいなことに彼にしっかり伝わってくれたらしい。けれど伝わった、ということと、彼がその提案を私の望み通りに撤回してくださること、は、同意義ではないらしい。陛下はふふふと笑みを深め、また胡弓を弾き出した。優美な調べとともに、まるで歌うように彼は続ける。


「黒妃があれっきりで諦めるはずがないし、もしかしたら次は他の妃達が動くかもしれない。護牌官をつけることも考えたけどね。僕が信用できる、四大貴族の権威に左右されない武官を見つけるのはなかなか難しい。だったらもう、政務のない夜くらいは、僕が直接一緒にいるのが得策だろう?」


ね、と、問いかけの形を取った駄目押しをされても、「ハイそうですね」とあっさり頷けるほど私は耄碌していない。

陛下のおっしゃることは、確かにごもっともな部分も多い。次なる刺客が、明日、いいや、今夜送り込まれてきても、何一つ不思議ではないのだ。しかし、そのために私は神牌しんはいを常備しているわけで、それは先ほども言った通り、陛下もご存知のはずである。

その上でわざわざ『夜をともにする』という選択肢を選ばれたとなると、何か裏があるではないかと勘繰ってもおかしくないだろう。

あと普通に、自分の創牌師そうはいしとしての能力をみくびられているようで、正直に言って若干どころではなく腹立たしい。私だってそれなりにいっぱしの創牌師そうはいしとして生きてきたんだぞ。


「陛下のお心遣い、心より感謝いたします。ですが、これでも私も創牌師そうはいし神牌しんはいの扱いには覚えがございます。陛下の御手をわずらわせずとも……」

「僕が、そうしたいんだ。食事に混入するかもしれない毒や、いつ実行に移されるかも解らない呪術に関しても、僕がいたほうが対応しやすいもの。解るかい、宝珠ほうじゅ。“僕がそうしたい”と言っているんだよ」

「…………身に余る光栄でゴザイマス……」


いい笑顔だ。つまり陛下が私と夜をともになさるというのは、もはや決定事項であるということか。とびきりの美貌の上に浮かべられた麗しい笑顔の圧がすごい。

いやでもしかし、それでもだ。いくら身の安全のためであるとはいえ、わ、私だって、私だって……!


「その、陛下」

「うん」

「申し上げにくいですが、ええと、私も一応、年頃の娘でして、殿方と寝所をともにするのは、その……」

「恥ずかしいって?」

「恥ずかしいどころではございませんね」


ただでさえ誰かと眠るなんて緊張するのに、相手が若い男性だなんてとんでもない提案だ。無理すぎる案件である。

相手が皇帝陛下という存在でなかったにしても、普通に考えて恥ずかしい恥ずかしくないという問題ではないと解るはずなのに、その陛下ときたら、なおも胡弓を奏でながらくつくつと喉を鳴らした。


「僕と寝たがる女性は数えきれないのに、本当に宝珠ほうじゅはその名の通り、珍しい娘さんだね」


自分で言ったなこのお方。珍しくて申し訳ございませんね、ご理解いただけたならばぜひとも今すぐご自分の御寝室へどうぞ。そんな気持ちを込めてじっとりと彼を見つめても、彼が奏でる優美な調べが途切れることはなく、むしろ更なる凄みを帯びて、夜のとばりを大きくゆらめかせる。


「まあだからこそ僕はそういう意味で女性に不自由していないから、心配せずとも宝珠ほうじゅ、君に手を出すような真似はしないから安心なさい。ほら、解ったらもう寝ていいよ。ああそうだ、僕も使うから、なるべく寝台は奥に詰めてね」

「寝台まで同じなんですか!?」


今度こそ冗談であってほしいという私の願いは、あっさりと打ち砕かれる。陛下が「もちろんそのつもりだよ」と頷いたからだ。

えええええええ……なんだろう、これは私がおかしいのだろうか。男女の関係の意味合いでの共寝に至る可能性がないにしろ、普通に同じ寝台で眠るのはいかがなものか。それもまた女官としての務めなのか。解らない。後宮の常識が解らない。


「そんなに嫌なら僕は床で寝るけれど」

「女官風情が陛下にそんな真似をさせられるとお思いですか!? でしたら私こそが床で寝ます!」

「年頃の娘が身体を冷やすものではないよ。だったらやっぱり一緒に眠るのが一番だ」


まさかここで体の心配をされるとは思わなかった。ありがとうございます。でもだったらついでに精神的な面でもこちらを慮ってくださるとありがたいです。

私が陛下と添い寝したとして、それを知るのは私と陛下だけ、に、なるとは思う。何せ私が使わせていただいているこの宮は、食事の時間以外は、他の女官も、宦官も、兵士も、本当に誰一人としていないのだから。もともと陛下はこの宮で寝泊まりをなさっていたらしいし、私が添い寝したとしても、「あの麗しの皇帝陛下と、キズモノの女官が? そんなまさか!」と笑い飛ばされるに違いない、はず、だ。だがうっかりその話が外部に漏れ、お妃様方の耳に入ったとしたら。そう、それこそ今度こそ、刺客と毒物と呪術の合わせ技が四方八方から飛んでくるに違いない。


「陛下は私を寵姫扱いなさりたいのですか?」

「まさか。でも、妃達を後宮から追い出すにあたってそれが必要なら、やぶさかではないね」

「そこに私の意思は……」

「関係ないよ。君だって、僕との『賭け』に勝ちたいだろう? だったら答えは一つじゃないかな」

「~~~~っ」


こ、こ、この野郎……! と思っても口には出せない。素直に命が惜しいので。とはいえ、あの、その、いくらなんでもこんなことがあるだろうか。十年前の内乱を発端して荒れ続けたこの五星国を立て直し、今もなお善政を敷いていらっしゃる覇王サマならば、もうちょっとこう、もうちょっと、何か名案があったのでは?

こうなると単純に私に対する嫌がらせではないだろうか、とすら思えてしまう。思っても言わないけれど。何せ素直に命が以下省略。

これ以上考えても、間違いなくもう無駄なのだろう。問いかけるまでもなくそう理解できてしまって、私はズキズキと痛む頭と、キリキリと痛む胃に気付かないふりをすることにした。


「そ、れ、では、お言葉に甘えさせていただき、お先に失礼いたします……」

「うん、おやすみ」


ふらつきそうになる足をかろうじて動かして、寝台へと移動する。陛下のご命令、もといお願い通り……いいや、お願いでなかったにしても間違いなく自分からそうしていたに違いないが、とにかく私は、できる限り、広い寝台の隅の隅のさらに片隅に身体を横たえた。

くつくつと陛下が喉を鳴らして笑っている。私としては何一つ面白いことなどないので、これまた気付かないふりをして目を閉じた。


宝珠ほうじゅ

「はい、陛下。なんでございましょうか」

「初めての夜だ。君が聞きたい子守歌を奏でてあげよう」


何がいい? と、天蓋の向こうから、陛下が問いかけてくる。子守歌があったってちっとも今夜は眠れそうにないけれど、ここで断るのも気が引けて、「でしたら」と、私にとって唯一の子守歌の名を口にする。


「郷愁歌を」


亡き養父が、夜ごと口ずさんでくれた歌。中性的に整った容姿のわりに、その内面は驚くほど明朗快活だった養父が、この歌を口ずさむときだけは、そのまま消えてしまいそうなくらいに、その容姿通りに儚げに見えた。だからいまだにどうしても好きになれなくて、けれどもう思い出せない養父の声を探すにはこの曲を聞くしかない、それが私にとっての子守歌だ。

私の答えに、陛下の胡弓の調べがふと途切れる。それまでの曲とは異なるものを求められたのだから当然だろう。そうしてしばしの沈黙ののちに、いよいよ私が求めた通りの“子守歌”が奏でられ始める。


――……ああ、なんてことかしら。


絶対に眠れないと思っていたはずなのに、まぶたが重くなってくる。身体に染み付いた条件反射とは恐ろしいものだと、ぼんやりとかすむ頭で考えていると、「ねえ、宝珠ほうじゅ」とまた呼ばれた。

せっかくこのまま寝入ることができそうだったのに、いや寝入ってしまってはまずいのだろうか、ととりとめもなく思考を紡ぎながら、「はい」と小さく答えを返すと、陛下は郷愁歌を奏でながら続けた。


「明日、一緒に出かけよう」

「……え?」

「後宮に来てから、ずっと働き詰めでしょう。お忍びで城下に遊びに出かけよう。息抜き、というやつかな」

「は…………?」


何をおっしゃっているのか。少なくとも、皇帝ともあろうお方が、軽々しく口にしていい内容ではないことは確かだ。あなたが私をこの後宮に閉じ込めているのに、そんな私と一緒に、皇帝陛下がお忍びでお出かけ? 冗談にしては質が悪すぎて、本気であるならばもっとよろしくない。


「へ、いか、私は……」

「約束だよ。楽しみだね」


来来ライライ、と、胡弓の調べに乗せて、小さな声が響く。同時に陛下の龍氣がわずかに動く気配がしたかと思うと、天蓋をすり抜けて、眠りながらなお空を飛ぶという軍艦鳥の翼を両腕に持つ、幼子が持つお人形くらいの大きさの青年が私の頭上へと飛んできた。


――眠りを、呼ぶ、神牌しんはい……。


ずるい、と思う間もなく、有翼の青年がグルル、とさえずる。そうして私は、抗うこともできずに、眠りの淵へと引きずり込まれていく。


――まって、だめ、これじゃ約束したことに…………!


なってしまうのに、と思っても、もう、何もかもが遠く、私はそれはそれはもうこれ以上なく心地よく、そのまま眠りに就くことになる。

そうして、一夜明けて、そして。



「……きゃあああああああああっ!」



私は、私自身の悲鳴によって、寝ぼけた頭を叩き起こされた。

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