6-③ 干将と莫耶
――――ドガッ!!
突如割り込んできた、場違いすぎるくらいに場違いな穏やかな、いっそ甘やかさすら感じる、心地よい声音。同時に背後の扉が文字通り吹っ飛んで、私はびくぅっ!!!! と全身を竦ませ、私を屠らんとしていた影はあまりのことに硬直した。
「へ、いか?」
「うん。ごめんね、遅くなって。結界が揺らいだからいよいよ来たかと思って来てみたら、よかった。間に合ったみたいだ」
そう、陛下だ。五星国皇帝、覇王サマと謳われる、
彼の声はいつも通りで、その微笑みもまたいつも通りのそれだ。なんてことだろう。その声に、その笑顔に、どうしようもなく安堵して、いっそ泣き出したくなってしまっている自分がいる。なんだそれ、あまりにも悔しすぎる。私にいつもは緊張ばかり強いるそれらに、今こんなにも安心してしまうなんて!
言葉もなく立ち竦む私を、陛下がそっと引き寄せてくださり、そのまま私を背に隠す。え、と戸惑う間もなく、陛下はにこやかに続けた。
「やあ、ごきげんよう、暗殺者殿」
「……」
「どこの家の者か……なんて、訊いても大人しくは答えないだろうね、僕は君達のそういうところが嫌いだ」
「……大義のためでございますれば。その女を引き渡していただきたく」
や、やっぱり私なの!? と陛下の背後で震え上がっていると、ちらり、と陛下が肩越しに私を振り返った。小さく浮かべられた笑み。「大丈夫」とささやかれ、今度こそ本当に言葉を失う私を置き去りに、陛下は影に向き直る。
「お断りだ。この後宮にあるものはすべて僕のもの。誰であろうと譲る気はないし、ましてや奪わせる気もない。自分から手放すならともかくね」
「そのキズモノの醜女もまたご自分の宝であると?」
「さて、どうだろう。というかね」
背中越し、なのに、何故だろう。この瞬間、陛下が、これ以上なく冷たく笑みを深めたのを、肌で感じた。
「これでも僕は怒っているんだ。誰がお前に発言を許した? 分を弁えるがいい、下郎」
ぞっとせずにはいられないような、冷たい声。そしてそのまま陛下は、一枚の
「
そして顕現したるは二振りの名刀。史書に語られる、互いに対となる名刀は、本来は一振りずつ扱われるものであったはずだ。けれど今は、陛下の意志に応えて、片手で同時に扱う双剣として、陛下の両手にそれぞれ収まっている。
あ、と、私が思わずほとんど吐息にも等しい声をもらしたその次の瞬間、陛下は床を蹴った。ほとんど一足飛びで影――陛下曰くの『暗殺者』の元に辿り着いた陛下は、情け容赦なく二振りの剣を操る。それは、極めて一方的な戦い……いいや、戦いにすらなっていない。まるで寿命を迎えようとする蝉をいたぶる獣のように、わざと少しずつ、けれど確実に、陛下は遊びながら暗殺者をいたぶり続ける。
そして、とうとう、暗殺者の膝が折れた。全身ずたずたにされながら、その場に崩れ落ちる暗殺者を、陛下は至極つまらなそうな目で見下ろしている。
「こんなものか。暇つぶしにもならないな。これで僕から
いやそもそも私は陛下のものではございませんけれども……とか言える雰囲気ではない。それよりも、言わなくてはいけないことが、しなくてはいけないことがある。
もはや用なし、とばかりに自らの刃を暗殺者に向かって振り上げる陛下の腕に、ほとんど反射的に私は飛びついた。
「駄目です!」
「うわ、驚いた。何、どうしたの?」
「殺しちゃ、駄目です。駄目なんです!」
「どうして? こいつに殺されそうになったのは君だよ?」
「だからって殺していい理由にはなりません。ほ、ほら、理由を聞き出さなきゃいけないですし、そ、そうです、わざわざ陛下がその御手を汚されることもございませんから、だから、あの……!」
自分でも何が言いたいのかよく解らなくなってきてしまった。それでもこのまま目の前で陛下が、既に虫の息だとしても、確かにまだ生きている人間を手にかけるのはどうしてだか嫌で、どうしても嫌で、ぎゅうぎゅうと陛下の腕を抱き締める。
そんな私を、陛下は心底呆れたように見下ろしてくる。なんだろう、「馬鹿なのかな?」と問いかけられている気がした。ああそうだとも、馬鹿で結構です。だから、だからどうか。
そう思いのたけを込めて陛下を見つめ返すと、彼は、やはりいかにも呆れたと言わんばかりの溜息を「は――――……」と、長く長く吐いた。
「こいつは妃達の内の誰かが放った刺客だよ。もちろん君の命を狙ってね。そろそろ頃合いかと思っていたけれど、案の定だった。やっと芽が出てくれて何よりだ」
「……陛下は、私が狙われることを、想定していらしたのですか?」
「もちろん。目の上のたんこぶのような君を排除するにあたって、暗殺なんて、妃達にとってはもっとも手っ取り早い方法だもの。ただどの家が最初に動くかまでは僕にも解らなくてね。こうやって君が襲われるのを待っていたんだ」
「…………それ、うっかり私が本当に暗殺されちゃったりなんかしたり……」
「その可能性も十分あったね。いやあ、毒物や呪術ではなくて、直接刺客を送り込んでくれて助かったよ。解りやすくて後腐れもない」
「………………」
ふふふふ、と穏やかに微笑んで話していい内容ではないのではなかろうか、それ。しかも殺されかけた張本人である私に、それ、言います?
絶対に怒り狂っていい案件なのに、なんかもう一周回って何もかもが馬鹿らしくなってしまって、私は脱力してしまった。
それを好機とばかりに、私の腕から抜け出した陛下は、再び剣を構える。
「じゃあまあ、こいつは片付けておこう。どの家出身かは、その後で調べ……」
「っだからそれは駄目なんですってば!!」
「えええ?」
まだ言うの? めんどくさ。とでも言いたげな、彼にしては珍しい感情がにじむまなざしを向けられても、ひるむわけにはいかなかった。駄目だ。殺すのは、駄目なのだ。どうか、どうか、どうか。再びそう内心で繰り返す私に、陛下はすっと瞳をすがめて、先ほどまでとは異なる三日月のような弧を、その淡く色づく唇に描く。
「こいつにとっては、ここで死んだ方が楽だと思うよ。いいや、思う、ではなく、間違いなくそうだ。それでも?」
それでもなお助命を願うのかと問いかけられられたって、私の答えは決まっている。「それでも」と私は頷いた。
「それでも、それでも。それでも、生きてさえいれば、未来はあります」
一分でも一秒でも、その瞬間に、何よりも得難い未来があるはずだと、私は信じている。信じたいと、願っている。
だから、と声を振るわせようとした唇を、いつの間にか双剣を手放した手で、ふむ、と押さえた。口ごもる私に、彼は困ったように、仕方がないと言いたげに、そして何より、どうしてだかどこか途方に暮れたように、淡く笑った。
「いいよ。
その言葉に、安堵していいのか落胆していいのか解らずに固まる私に対して肩を竦めてから、陛下は新たに呼び出した
残された私は、あちこち壊された部屋で、ようやく、本当にようやく、がっくりと座り込むことを許されたのである。
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