3-② 賭け
「ごめんね。信じてもらうにはこれが手っ取り早いかと思って」
「は、い。これまでの、非礼、を、お詫びいたします」
ひゅうひゅうと未だ荒くならざるを得ない呼吸を整えながら、椅子から降りて膝をつき、頭を垂れる。そんな私に、陛下は「硬くならなくていいよ」なんて抜かしやが……失礼、おっしゃってくださるけれど、そうはいかない。
――――歴代最強の覇王。
それが、当代皇帝陛下、
御年二十二歳であらせられる彼は、三年前に先代の皇帝陛下と、自身と同じく次代の皇帝候補であった異母兄弟の皆様をすべて弑し、皇帝の座に就かれた。
身の内に宿す
皇帝として正しく
――わ、私、この場で切り捨て御免なんじゃない!?
そういうことである。ここまで来て相手が皇帝陛下ではない、と思えるほど私は呑気ではないつもりだ。先ほどの
ああ、終わった。
間近で見るその美貌は、あの世で待っていてくれるであろう養父への、この世の土産にするには十分すぎるものだ。その顔をついついじっと見つめ返すと、彼はふわりと柔らかく唇に弧を描き、私の手を取って立ち上がった。
逆らう真似なんてできるはずもなく、引き上げられるように私も立ち上がると、そのまままた椅子に座らされる。陛下もまた椅子に座って、「さて」と口火を切った。
「
「そ、そんな恐れ多いことでございます。私など宮中の
「謙遜はすぎれば嫌味だし、僕は好かない。君の実力は、昼間の
「…………かしこまりました」
流石覇王サマである。穏やかで優しい声音なのに、その内容はいっそ感心してしまうくらいに容赦のない強者の言葉だ。
何故私のことを調べたのか、どうして私を後宮なんて場所にまで皇帝陛下自らさらってきたのか。聞きたいことは山とあるのに、これでは口が開けない。
完全に下手な発言を封じられてしまった私が、恐れ多くも視線で話の先を促すと、陛下は「うん、よろしい」と頷き、トントン、と指先で円卓を叩く。
「どこから話そうかな。そう難しい話ではないのだけれど」
うーん、と、小首を傾げた彼は、そうして、視線をゆっくりと宙をさまよわせた。何かを探す、というよりも、明確な意図をもって、周囲を見回している。その明確な意図が、この建造物、すなわち後宮そのものであるのだと私が気付くのとほぼ同時に、陛下は再び私へと視線を戻す。
金色の瞳が、私をじいと見つめてくる。美しすぎて怖いくらいのまなざしだけれど、目を逸らすのはなんとも癪に障るものだから、あえてじっと、いっそにらみ返すような勢いで見つめ返すと、ふふ、と彼は小さく笑った。
「やっぱり君はいいね。君に決めたのは英断だった」
だから何が。そう問いかけたくてもできない私に、陛下は「率直に言おう」とやはり笑みをたたえたまま続けた。
「
「……はい? って、あっ、申し訳ありません!」
しまった、あまりにも予想外のことを言われすぎて、つい口を開いてしまった。慌てて口を両手で抑えると、流石にこれに関しては咎める気はないらしい陛下は「許す。構わないよ」と楽しそうに笑った。
……いや、楽しそうに笑うような話題ではないのではなかろうか。おそらく、ではなく、絶対に。
後宮のお妃様達を追い出す、と、陛下はおっしゃった。なんでまた? と聞きたくても聞けないこの現状、あまりにも辛い。
現在、陛下には慣例に倣って四人のお妃様がいらっしゃる。四大貴族からそれぞれ選出された、
皇帝陛下という存在にはお妃様という存在が必要不可欠だ。その当たり前の事実を、目の前の現皇帝陛下は、覆そうとしているらしい。意味が解らない。これで戸惑わないほうがどうかしている。
私が無言ながらも目に見えてうろたえているのが面白いのか、くつくつと喉を鳴らした陛下は、円卓に両肘を乗せ、両手の長い指を絡ませて、その上にことん、と自らのあごを乗せた。
「僕はね、子を成すつもりがない。それはもうこれっぽっちもね」
「は…………」
さらりと告げられたその言葉に、自然と自分の目が大きく見開かれまんまるになるのを、他人事のように感じた。さっきからこの方はいったい何を仰っているのだろう。出会ってからこの方、どの言動も一つとして“皇帝”としてふさわしからぬものなのではないだろうか。私の気のせい? いやそんなまさか。だったらやっぱり聞き間違いか空耳……と私がそう内心で呟くと、それに思い切り被さるようにして自称陛下(仮)はにっこりと笑みを深める。
「次代へ血を残すことが皇帝の義務だと言われても、知ったことじゃない。だから妃達には、後宮から出て行ってもらおうと思ってね。まあ酷いことを言っている自覚はあるよ? でも、子を成す気のない皇帝の妻であり続けることのほうが、彼女達にとって不幸なことだろう。だからね、
解ってもらえたよね、と、続けざまに駄目押しされてしまい、私は彼の発言が聞き間違いでも空耳でもなかったことを思い知らされる。「ご冗談を。本気なわけがありませんよね……?」と思っても、実際にそれを声に出して問いかけられる雰囲気ではない。彼の麗しい笑顔に、「無駄口を叩くな」とでかでかと書いてある。
いや、いやいやいやいや、それにしてもそんなことあります……? と、言うか。
「あの」
「うん?」
「どうして私なのでしょうか? お妃様方を廃妃になさりたいのであれば、その理由としてもっとふさわしい貴人がいらっしゃるのでは?」
無駄口を叩くな、と言われても、流石にこれは聞いておきたい。陛下がお妃様達を後宮から追い出したいと考えた上で、『女』を側に置きたいという理由は解る。とても解りやすいと言っていい。ようはお妃様方以外に寵姫ができたから、他の妃は無用である、という名目にしたいのだろう。
だがしかし、それが『私』でなければならない理由はどこにあるというのか。自分を卑下するつもりはないけれど、それにしてもわざわざ私のような、こんな顔に大きな傷のあるキズモノの平民相手では、お妃様方やそのご出身元の四大貴族の皆様ばかりか、官吏の皆様や武官の皆様、はては
それなのに、と声に出さずに視線で疑問を投げかけると、麗しの皇帝陛下は「ああ、そこ?」と、先ほどまでの微笑みとはまた異なる、揶揄するような笑みをそのかんばせに浮かべた。
「勘違いしているようだから言うけれどね。僕は寵姫が欲しいわけじゃない。言ったでしょう、
「……と、おっしゃいますと?」
「つまりだ。僕の愛を求められるのは、僕の本意ではないという話だよ。その上で女性が僕の側にはべるにふさわしい立場は、女官であり、
「…………だからって、私でなくても……」
「話は最後まで聞きなさい。これでも僕も考えたんだ。その上で君がふさわしいと判断した。後ろ盾のない平民出身として、どんな貴族や官吏からの圧力や勧誘にも屈しないことが一つ。
「………………」
この皇帝陛下、おっしゃっていることがめちゃくちゃである。嘘でも冗談でもない、本気と書いてマジと読む光が、冷え冷えとその金色の瞳に宿っていることがただただ恐ろしい。
細々と下町で
いったいどうすれば……と冷や汗をだらだらと垂れ流す私を、しばし見つめていた陛下は、やがて、ほう、と物憂げな溜息を吐いた。しかし、わあなんて色っぽい……と素直に賞賛できるほど、今の私には余裕なんてまったくない。そんな私に構わず、彼はそのまなざしに、いたずらげな意思を宿して、絡ませていた指をほどき、人差し指を一本、ぴんと立てた。
「じゃあこうしよう。僕のこの命れ……じゃなくて、お願い、を、賭けにしようじゃないか」
「か、賭け?」
「そう。賭け」
いや今思い切り『命令』って言いかけましたよね、とは突っ込みたくても沈黙が金である。とにかくその命令ではなく彼曰くの『お願い』を、『賭け』にするとはこれ如何に。思わず首を傾げると、陛下はぴんと立てた人差し指を、そのまま私の鼻先へと向けた。
「君が僕の専属女官兼
「……それは、私のことを無事に解放してくださるということですか?」
「そう受け取ってもらってかまわないよ。でも、そのかわり、君が妃達を追い出せなかったら、賭けは君の負けだ。そのときは……そうだな。君の
にっこり、という擬音語が聞こえた気がした。
ひくり、と、顔が引きつるのを、もう堪えることはできなかった。選択肢なんてどこにもない。私が答えられる言葉は一つだけしかない。こんな風に『賭け』という形を提案されるくらいなら、最初から『命令』であるほうがまだマシだった。ずるい提案だ。目の前の男は、『賭け』という形で、私が自らの意志で彼に協力することを強いている。
「――――まあ、そういうわけだ。僕と君で、賭けをしようじゃないか」
……そうして、話は、冒頭に戻るというわけだ。ここまでお付き合いありがとうございました、とは誰に向けた言葉になるのだろう。
「……その賭け、乗らせていただきます」
「うん、よろしく頼むよ、
「…………よろしくお願いいたします、陛下」
「
「ご冗談を」
「僕は基本的にいつでも本気なんだけどな」
残念、とくつくつと喉を鳴らす覇王サマに、私は口の中に砂の味がいっぱいに広がっていくのを感じた。
かくして、私と覇王サマの、絶対に負けられない『賭け』が始まったのである。
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