第5話 秘密

「どういうわけかね、オルレード王家には吸血鬼の血が混ざってるらしいんだ」

 通常なら法螺話だと一蹴する内容を、ベルナールは真剣な面持ちで聞いている。


「今は別の場所に保管してあるんだけど、この地下室にそれを裏付ける書物があった。六代目国王が吸血鬼の生態や能力、弱点をまとめたものだ。かの人もまた吸血鬼だったみたいでね」


「六代目っていうと、悪虐の……?」

「うん。圧政で多くの人を処刑したとか言われているジル王のこと」

 六代目オルレード王については貴族の子女なら必ず習う。

 また、かの王の逸話を元に作られた御伽噺が国内に広まっているため平民にも知名度が高い。


「その背景にはたぶん食糧人血確保の目的があったんだろうね」

「罪人に仕立て上げた人間の血を吸っていたって事ですか?」

「そういうこと。ああ、私はそんな事してないよ?」

 手を振って否定を示しつつ、ベッドで緩やかに死へと向かっている老人に目を向ける。


「死刑判決が決まった罪人の血しか吸ってないから。ここにいる男も、窃盗と殺人を繰り返してきた重罪人さ」

「説明せずとも疑いませんよ」


「そっか、よかった。それでね、資料自体はあったんだけど、それを保管していたこの部屋は長いこと忘れ去られていたらしくて、結果として先代王父上はこの事を知らなかった」

 言いながら服の上から火傷跡がある部分に手を当てた。


「だから私が生まれたときはさぞかし驚いたんだろうね。持っていた杖で赤ん坊だった私を殴り殺そうとした。お前が見た火傷跡はその時に出来たものだよ」

 胸をさすりながら悲しげに目を細める。


「吸血鬼は銀に弱くてね、触れただけで火傷を起こしてしまう。父上が所持していた杖にも銀が使われていたから」

 さすがに赤ん坊の頃の出来事は覚えていない。人づてに聞いた話ではあるが、それでも実の父親に殺されかけたという事実はやはり堪える。


「そう、だったんですか……」

 やるせない気持ちになったのだろう。弟の膝の上に置かれた拳を見ると、とても力強く握っていた。

「そう思い詰めないで、もう終わった話だ。それに父上には生前謝罪の言葉をいただいたし」

 努めて明るい声で言ってみせれば、曇っていた顔が僅かに戻る。


「――ねえ、私からも一つ聞いていいかな?」

 話が一区切りついたところで、話題を変えようとリスディアはまた口を開いた。

「はい、なんでしょうか」

「なんであの時、私の服を脱がしたの?」


 時間が止まったのかと錯覚するほどの静寂。

 打って変わって温かみのない声で、一番聞きたかった事を尋ねた。

 ベルナールの目がまた揺れ始める。

 いつもこのくらい分かりやすかったらいいのに、なんて事を思いながら回答を待つ。


「……戻った記憶に、齟齬がないか確認するためで――」

「正直に答えなさい」


 リスディアの赤い瞳に鋭さが増していく。

 あの時、彼は明らかに火傷跡を見て驚いていた。

 それ以前にベルナールが初めてリスディアの火傷跡を目にしたのは十歳の時。今回思い出した記憶の範疇にない。


 誤魔化しが効かないと悟ったのか、ベルナールはばつが悪そうに目を閉じる。しかしそれも束の間。ゆっくりと瞼を開くと、重苦しく言葉を発した。


「兄上の貞操を……穢そうとしました」

「そういう意味で私の事が好きなの?」

「……はい」

「結婚相手を中々決めない理由もそれ?」

「…………はい」


 弟からしてみれば拷問のような時間だろう。それを分かった上で確認を取る自分は中々いい性格をしている、と渇いた笑みが零れる。

 想定通りの理由を聞いてリスディアはそう、とだけ返した。滑稽と哀れみの感情を胸の内に隠しながら。


「お前が私に対してどういう感情を抱くかは自由だよ。だけど結婚は必ずしてほしいな。お前は私の後を継ぐ人間だ、世継ぎを残さなければならない」

「重々承知しております。分かってはいるのですが、どうしても気乗りしなくて……」

「うーん……。まあでも、お前はまだ若いからね。時間が解決してくれるさ。――私への思いも、あんな傷見た後じゃもうそんな気持ちは沸いてこないだろう」


「そんなことは――!」

 安心と自嘲を込めての発言に異議を唱える声。ベルナールが椅子から勢いよく立ち上がった。

 本人も自分の行動に驚いているようで、一瞬戸惑いが見えた。だが、すぐに真剣な表情に切り替わる。


「記憶を失ったばかりの頃、戴冠式であなたと出会った日から今まで、俺の気持ちは変わっていません」

 戴冠式というとリスディアが十六の頃に行われたので、かれこれ七年前になる。

「なんで……」

 まさかそんな昔からとは思わず、今度はリスディアが驚いた顔をした。


「……最初はただあなたの容姿に惹かれただけかもしれません。ですが月日を重ねていくにつれ、あなたの内面にも好意を抱いていきました。直接お会いしたのは数える程度ですが、それでもいつも俺の話を親身なって聞いてくださった。――あの頃の俺はひどく不安定でした。自分の事も、周囲の事も何もかも覚えてなくて、漠然とした不安が頭を支配して……。ですが兄上の顔を見ると、あなたの事を想うと少し心が安らいだんです」


 後半部分の言葉に衝撃を受ける。

 リスディアがから見たベルナールはいつも落ち着いていて、他の同年代の子供よりも大人びて見えた。

 戴冠式で再会した時もそんなそぶりは見受けられず、逆にこちらの方がどう接したらいいかと戸惑っていたくらいだ。


 ――……いや、気付けなかっただけか。今も昔も、他者に気持ちを割く余裕なんてないから。

 だから上辺だけでもいい兄でいようと優しく接していたのだが、それがまさかこんな結果を招くとは。


「――とても綺麗な方だと思いました。王の責務を全うするあなたを立派な方だと思いました。そんな人が自分の兄である事を誇らしく感じました。今でもあなたの笑顔が、言葉が、俺の心の支えなのです」


 続けざまに弟が言った内容に、心が妙に震え出す。

 何故だろうか。綺麗も立派も、今まで散々周囲から言われてきた言葉だというのに。


「……間違った事をしてしまったと、あなたを傷つけてしまったと反省しています。ただ、また記憶を消されるのが嫌で……また不安に押し潰される日々に戻ってしまうのが堪らなく怖かったんです」


 切なげな声を聞いて、罪悪感はどんどん募っていく。

 謝らなければいけないのはこちらの方だと、彼の苦しみを察せずに利己的な行動に出てしまった事を改めて後悔した。


「今後あのような事は二度としないと約束します。それでもご不安でしたら、この想いを消してくれても構いません。――ただその場合、俺の記憶を全部返してくださいませんか?」

「え……?」

 どう謝罪を切り出そうかと思った矢先。ベルナールの申し出に、全身の筋肉が硬直する。


「元を辿れば俺のこの感情は精神安定剤みたいなものです。記憶喪失の不安を和らげるための。だから過去を取り戻せさえすれば、きっとなくても生きていける……と思います」


 末尾を自信なさげに言う弟を眼前に、脳内には警鐘が鳴り響く。

 ――それだけはやってはならない。

 ――弟にの出来事を思い出させてはならない。


「自分でもおかしいと分かってるんです。腹違いとはいえ実の兄にこんな感情向けるなんて……。それにこのままではいつまで経っても結婚出来ませんし」

「そ、それは困るな……」

 自分が今自然な受け答えが出来ているのかさえ分からない。

 たしかに結婚はしてほしい。

 しかし、その願いはどうしても受け入れられない。


「もしこの要望を受け入れてくださるのなら、今から一年以内に結婚相手を見つけます、必ず」

「……なるほど、中々悪くない条件だ」

「なら――」

「だけど……ごめん、記憶を戻す事は出来ない」

「……それは方法がないという意味ですか?」


 正直に答えるのなら否。方法自体はある。しかしそれをやってしまえばきっと――。

 ――きっとお前は、私を殺すだろう。

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