第3話 烙印

「ベル! 待ちなさいっ、ベルナール!」

 相手は止まるどころかますます歩くスピードを速める。

 自室に入ろうとしたところでようやく追いつき、ドアが閉まる前にリスディアも中に入った。


「ベル。お前、北棟に行ったのか!?」

「なんですか部屋まで来て。――あんなの、ジャスパーがでたらめ言ってるだけですよ」

 怒気が交じった真剣な声音での詰問に対し、ベルナールは鬱陶しそうに頭をかく。

 その態度がリスディアの怒りを更に加速させた。


「でたらめであんな正確に言えるもんか! あれほど北棟には行くなと言ったのに……!」

 北棟には罪人を収容しておく牢屋がある。リスディアの食事はそこから賄われているため、必然的に地下室食事場所への運搬をスムーズにするための通路が設けられていた。


「というかなんでお前隠し階段の場所を――。まさか、記憶が……?」

 さあっと血の気が引いて、元々色白だった肌が更に白くなる。


 ――隠し階段にしたのはお前だろう!?

 ジャスパーの言葉を思い出す。

 手引き道案内など、事前に知っていなければ出来ない行為だ。


「そうなんだな? いつからだ、いつから戻った?」

「兄上が何を言っているのかさっぱり」

「とぼけても無駄だぞ。どこで思い出した? どこまで思い出したんだ?」


 いつもの穏やかさは完全に消え去り、眉をつり上げじわじわとベルナールに詰め寄る。

 リスディアがここまで執拗に迫るのは自身の正体が知られたからだけではない。


 昔あの場所であった出来事を、彼にはどうしても思い出してほしくないのだ。


 ガシッと片腕を掴んでも、ベルナールは顔を背けぐっと口を閉ざしたまま。

「答えないのなら――」

 強情な弟に痺れを切らし、腕に噛みつこうと大きく口を開ける。

「……――くせに」


 催眠で吐き出させようと決めた直後、耳がぼそりと呟かれた言葉を僅かに拾った。

「え?」

 小さすぎて聞き取れず、なんと言ったのか尋ねようとしたときだった。

 

「正直に答えてもどうせ忘れさせるくせに――!」

 聞いたことのない感情的な声。

 

 ぐるんと視界が回る。

 次に安定した時にはベルナールの顔がすく近くにあり、その奥には天井。

 背中にはフカフカとした感触。ここでようやくベッドに押し倒されたのだと理解した。

 シーツの上、ローブと長髪が花のように広がる。


「ええ、思い出しましたよ。兄上が吸血鬼であることも、それを忘れさせるために昔噛まれたこともね」

 例えるなら決壊した堤防から流れ出る水。上に覆い被さってきたベルナールが早口で捲し立てる。

 こちらを見据える銀の瞳は鋭く、それでいて妙な熱を持っていた。

「ベ……ル……?」


 初めて見る弟の顔に恐怖を感じ、自然と身がすくんでしまう。

 逃げようにもベルナールが馬乗りになっているに加え、両手は顔の横で押さえつけられているため身動きが取れない。


 だが幸いなことに首から上は動かせる。今度こそを腕を噛もうと首を捻り、ぐわっと口を開いた。

 しかし四本の牙が捉えたのは肉の感触ではなく、それよりもっと柔らかいもの。


 枕だ。

 こちらの行動を察知したベルナールが枕で口を塞いできたのだ。

 口だけでなく鼻も覆われているせいで息苦しい。自由になった右手で、枕を押さえつけている弟の腕をどかそうとするがびくともしない。


「ここでしたよね、たしか」

 耳元で囁かれ身体がビクリと跳ねる。その直後、首元に激痛が走った。

「んんーっ!?」

 枕によって吸収された悲鳴。

 大きく見開かれた赤い瞳が潤む。

 

 視界も枕で奪われているため、実際何が行われているのかは確認出来ない。

 ただ――おそらくは、リスディア自身が先程からやろうとしていた事を、逆に相手にやられたのだ。


「ねえ兄上。あなたが人でないだなんて、俺にとっては瑣末な事なんですよ」

 噛まれた箇所をぞろりと舐められ、背筋が粟立つ。

 こんな事をしているというのに、ベルナールの声は妙に優しい。それが余計に恐怖心を煽った。


 両手を頭の上で固定された後、枕をどかされた。

 ギラギラとした視線を向け、口の端に笑みを浮かべたベルナールがひらけた視界に映し出される。

 彼の手により上着がはだける。そしてシャツのボタンに差し掛かったところで、リスディアは悲鳴に近い声をあげた。

 

「や、やめ……っ!」

「だから兄上、どうか俺を――」

 身をよじったところで状況は変わらない。一つ、また一つとボタンが外され、服で隠されていた胸部が露わになった。


「…………え?」

 顔同様、シミ一つない綺麗な肌を期待していたのだろう。

 ベルナールの口から困惑が漏れる。

 

 日に焼けていない白い肌。その胸の丁度真ん中にあったのは火傷の跡。

 ただの火傷跡ではない。そう感じるほどにその形状は異質であった。


 太陽をかたどったのであろう、幾本もの曲線で構成された模様。

 それがまるでよく熱した金型を押しつけたかのように、くっきりと醜くリスディアの胸に飾られていたのだ。


 明らかに不慮の事故なんかではない、故意的に作られた傷を目の当たりにし、先程までベルナールの瞳に宿っていた熱は完全に鳴りを潜めた。

 代わりに動揺と恐怖をないまぜにした感情が窺える。

 

「あ、兄上、これは……?」

 火傷跡に意識が向き過ぎたのか、両腕を掴んでいた手の力が緩む。


「いや待て……、俺はこれを前にどこかで――」

 頭を押さえながら震えた声で呟くベルナールの顔を、リスディアは自由になった拳で思い切り殴った。

 不意の一撃により弟がベッドから落ちていくが、そこには目もくれない。

 すぐさまベッドを降り、一目散に部屋から出ていった。


 服装を整える余裕などなく、両手でローブの前を閉じて胸元を隠しながら自室まで走る。

 すれ違う従者達は皆ぎょっとした顔をし、なかには声をかけてくる者もいた。

 自分を心配してくれる人々を無視する行為に罪悪感が積もる。けれど、リスディアの足が止まることはなかった。

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