第一部 ゴースト 8

 母親はまだ入院中だったものの容態は安定していたので、伸也はDROPのステージへ復帰していた。昼公演を終え、新宿東口にあるブティックを回って服を物色していたときだ。道を歩いていると、遠くで地鳴りのような音が響いた。どこかで工事をしているんだろうかと思いながら、ルミネに入った。行きつけの店に行って、EDMオタクの店員に、今お気に入りの曲について話していると、別の店員がおびえた表情で「新宿署で爆発があったって」と言った。


「何それ? テロでも起きたの」


 幾何学模様のTシャツに、パープルのセットアップを合わせたEDMオタクが、きょとんとした顔をして答える。


「そういえばここに入る前、地鳴りみたいな音がしていたよ」


 そんな話をしながらシャツを一枚購入し、店を後にした。ドンキホーテで朝食のパンを買っておこうと思い、ルミネから出ると、パトカーのサイレンが至るところから響いていた。ああ、新宿署で爆発があったって、本当だったんだなと思う。携帯電話でSNSを確認すると、すでにいくつか投稿があった。


――新宿署、三階が吹っ飛んでるよ――


――青梅街道ががれきでぐちゃぐちゃになってる――


 動画も添付されている。確かにひどい状況だ。新宿署の三階の窓が壊されて、青梅街道沿いにがれきが散乱していた。


 大変だな、死んだ人も出ているんだろうなと思っていると、着信があった。アプリを閉じると、登録していない番号が表示されていた。これ、昨日の刑事からだなと思い、電話に出た。


「今どこにいますか?」


 竹井の切迫した声が聞こえてきた。


「新宿駅の東口ですけど」


「あなたは命を狙われている」


「え? どういう意味ですか」


「新宿署が場爆発した件は、あなたから借りたSDカードが原因なんです。提供者があなただとわかったら、あなたも消される」


「じゃあ、近くの交番で保護して――」


「だめだ。警官に近づくんじゃない。家や職場にも近づかないでくれ。誰かから電話がかかっても、自分の居場所は絶対に明かすんじゃない」


「はあ……。一体、どういうことなんですか。あの動画は何なんですか」


「詳しいことは話している時間がない。ともかく私の言うことを聞いてくれ。また電話する」


 そう言って一方的に電話が切れた。


 一体何なんだと思いながら、携帯電話を睨みつける。警察に近づくんじゃないだって? あんたも警察じゃないかと思いながらも、新宿種の爆破に自分が関係していると思うと不安になってくる。この件は麻衣子も多少関わっているので、彼女へ電話を掛けて、状況を説明した。


「なによそれ? でも、確かに心配だしね。しょうがないから近くのネットカフェに行くわ」


「わかった」


 電話を切り、今度は早川へ電話を掛けたが繋がらなかった。ちょっと不安になったので、共進会の事務局へ掛けたが、呼び出し音が続くだけだった。早川だったら会議とか来客とかで出られないということはあり得る。しかし事務局が出ないというのはおかしい。あそこには、常時十人近くの職員がいるはずなのだ。SNSで検索したが、共進会の情報は出てこなかった。


 様子を見に行ってみた方がいいだろう。伸也はタクシーを捕まえると、朝霞市の共進会へ行くよう頼んだ。四十分ほどで共進会へ到着したが、進入できなかった。入り口に黄色の規制線が張ってあったからだ。タクシーから降りた伸也は、病院の前で中をのぞき込んでいる野次馬の一人に声を掛けた。


「何でも賊がここの事務局に入ってきて、偉い人を一人連れ去ったっていうんだ。警備員がいたけど、包丁で刺されたらしいよ。さっき救急車で運ばれていったけど。怖いねえ」


 不安げな顔をしながら話す老人に礼を言って、野次馬から離れた。もう一度事務局へ掛けてみたが、やはり繋がらない。拉致されたのは早川なのだろうか。


 不意に、背後から人の気配を感じた。


「動くな、刺すぞ」


 振り向こうとしたとき、押し殺した声が聞こえ、同時に左の二の腕を掴まれた。右脇腹に何かが押しつけられ、ダウンジャケットが引き裂ける音が響いた。


 体にしびれたような緊張が走り、心臓が激しく鼓動する。


「俺に何の用だ」


 ようやくかすれた声を出した。


「喋るんじゃねえね。向かいにある車へ行け」


 道の向かい側に、窓へパネルをはめ込んだハイエースが止まっていた。男は伸也を押し出すようにして歩き出した。歩道側へ回り込むと、スライドドアが開き、中から出てきた手で襟首を掴まれて中へ引っ張り込まれた。


 いきなり拳で顔面を殴られる。


 両腕は掴まれて抵抗できない。


 腹も思い切り殴れ、息ができなくなり、思わずかがんだところで後ろ手にされ、手首を拘束された。頭から布をかぶせられた。円陣の唸る音が響き、体にGを感じる。


 何が目的だと聞いたが、喋るなと言われ、脇腹を殴られた。恐怖でパニックを起し、時間の感覚もわからなくなっていった。


 車が停車し、エンジンの振動も消えた。


「降りろ」


 襟首を掴まれて、車外から引きずり出された。袋をかぶせられたまま、背中を小突かれながら歩く。何かに足を掛け、肩から倒れると、「立てよ」怒鳴られながら蹴りが入った。


 髪の毛を掴まれて、椅子へ座らされた。そこでようやく頭から袋を外された。


 コンクリートがむき出しの狭い部屋だった。壁には脚立や工具が置いてある。伸也の周囲には五人の男がいた。年は伸也と同じくらいだが、中央にいる男だけはやや年上だ。顔に見覚えがある。拓真グループのリーダー、大平拓真だ。前に一度、新宿の路上で見かけたことがあった。


 透明症バーから出てきたところで、右頬から顎にかけて透明な状態だった。後から出てきた取り巻きたちも、顔の所々が透明だった。酒に酔ったり動揺したりすると、こんな症状になるときもあるが、彼らは違う様子だった。挑むように周囲を見回し、まだらを見せつけるように歩いていた。人々は彼らを避けるように目を伏せて歩いて行く。


 ネイキッドだ。海外の攻撃的な透明症解放グループが、デモで始めて広がったパフォーマンスだった。今では急進的な透明症グループはもちろん、不良グループもネイキッドで威嚇をする。バーから出てきた連中は、明らかに後者だった。彼らが歩き去った後、隣にいた雄大が、あれは拓真だとそっと教えてくれた。


 拓真は口元に薄ら笑いを浮かべているが、目は冷ややかだ。


「なんでこんなことをするんだ」


「黒岩からSDカードをもらっているな。バックアップはとっているか?」


「とっていない。そのまま刑事に渡した」


 拓真が前触れもなく蹴りを入れた。つま先が腹に食い込み、伸也は椅子ごと吹き飛んだ。倒れている伸也の髪の毛を掴み、ぐいと顔に引き寄せる。「本当か」


「本当だよ」


 腹の奥まで広がった強烈な痛みと吐き気に耐えながら、あえぐように呟く。


「お前の選択肢は二つある。全部ゲロして楽に死ぬか。下手に隠し事をして、苦しみ抜きながら死んでいくかだ」


 伸也を見る目はガラスのように冷たく、表情が消えていた。


「そんな……俺、どっちにしても殺されるのか」


「そうだ。グロウメンバー以外で、あの画像を見た奴は全員殺す。それがポリであってもだ」


 拓真は伸也を離し立ち上がる。


「ヒサシ、あの二人を連れてこい」


「はい」


 ヒサシと呼ばれた男が出て行った。しばらくするとドアが開き、担架を持ったヒサシともう一人の男が入ってきた。


 担架の上には男が横たわっていた。


 顔は血にまみれ、元の顔がわからないほど変形していた。手錠で後ろ手に拘束されていた手も血まみれだ。ピクリとも動かない。一見誰か判別がつかないが、背格好と紺のスーツ姿から考えれば、誰かは容易に想像がつく。


「早川はよ、早く喋ればいいのに抵抗するからこんなになっちまった。お前もこうなるか?」


 再びドアが開いた。今度は透明になった奈緒が入ってきた。やはり後ろ手に手錠を掛けられている。そして、彼女を押すようにして、貴斗が入ってきた。


「ひいっ」


 奈緒は血まみれて横たわっている早川を見て、目を大きく見開き、頬を引きつらせた。貴斗は暗い目をして早川を一瞥しただけだった。


「貴斗、どういうわけだ」


 貴斗はわずかに目を震わせながら、チラリと伸也を一瞥しただけだった。


「奈緒、お前にはこれから洗いざらい喋ってもらうがな、その前に宮本がどうなるかじっくり見てもらおうか」


 拓真は貴斗を見た。


「貴斗、まずはお前からだ。これを使え」


 拓真がポケットから何かを出して放り投げた。反射的に手で受けた貴斗の頬が痙攣したように震え始める。


「いきなりですか」


 拓真の口元から、薄笑いが消える。つかつかと貴斗へ歩み寄り、躊躇なく右の拳を顔にめり込ませた。倒れたところを右足で蹴りを入れる。


「おうっ、誰にものを言ってんだ。俺がやれって言うんだからやれよっ」


 貴斗はすいませんすいませんと呟きながら、抵抗することなく体を丸めていた。


「お前っ、宮本を散々ディスってただろうが。夢を叶えさせてやろうって言うんだぜ。ありがたく思え」


 息が荒くなった伸也が、ようやく蹴りを止めた。


「貴斗……立てよ。とっととやっちまえ」


 貴斗はよろめきながら立ち上がり、死んだようなうつろな目をして近づいてきた。


 右手からカチャリと音がして、ナイフが飛び出した。


「よせよ……」


 貴斗は伸也の目の前で膝をついた。


「早川にやったのと同じ事をしてやれよ」


 拓真が口元にだらしない笑いを浮かべる。


 貴斗がうつろな目をしながらナイフを逆手に持ち、振り上げた。太腿にナイフが突き刺さり、貴斗がそれをぐいとひねる。


「うああぁぁっ」


 激痛が全身を貫く。


「ほら……全部ゲロしちまいなよ」


 貴斗の口から淡々とした言葉が漏れる。


「喋れることは全部しゃべっちまったよ」


「次は……そうだな。顔を切り刻んでやれよ」


 ナイフが引き抜かれ、血まみれの刃が目の前に現れる。貴斗は無表情で、暗い目からは感情は読み取れない。


「やめてぇぇぇっ」


 奈緒が金切りのような声を発した瞬間、ダンッという砲弾のような音が響く。


 貴斗が驚きで大きく目を見開きながら、横に飛ばされる。


「お前……何をした」


 半身を起こし、室内を見回した。貴斗は部屋の隅で肩を押さえ、苦しげに顔をゆがませながらうめいていた。拓真が仁王立ちになって、泣きじゃくっている奈緒を睨みつけている。他のメンバーはおびえた表情で、拓真と奈緒を交互に見ていた。


「あたし、知らないわ」


 奈緒は手錠で後ろ手に縛られたままだったし、伸也がいる場所からも離れている。とうてい貴斗に手を出せるような状態ではない。


「お前だ。お前が貴斗をぶちのめしたんだよっ」


 拓真が部屋の隅へ駆け寄り、壁に立てかけてあった金属バットを掴んだ。意外に、も拓真の目には怯えの色が浮かんでいた。


「このアマっ」


 バットを振り上げ、力任せに奈緒に向かって振り下ろす。


「いやあぁぁぁっ」


 奈緒の叫びは風圧のような力を伴って、伸也に襲いかかった。息ができない、そう思った瞬間、何かに突き上げられるようにして、拓真が体を折り曲げ、宙に浮いた。 


 拓真の胴体が、真っ二つに裂けた。


 鮮血を迸らせながら、拓真の上半身が飛んでくる。


 「うわぁぁっ」


  降りかかる真っ赤な鮮血をまともに浴びて、頭が真っ白になる。

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