38,異変

二〇三九年六月二十二日午後十一時四十一分。

オーロラ ルクス号 艦長室


現在、黒潮くろしお海流の深海。流速は速いところになると秒速2メートルにもなるという。全世界でも有数の速さの海流だが、海面から距離にして千キロもの深海においては、海流は然程さほど荒れておらず、防音を施されている艦内は静寂を保っていた。


「―――」


グレイスはそのような室内で、固定された高価な机に両足を置き、黒革の椅子にもたれながら、首に身につけている写真付きのペンダントを眺めていた。


その写真には、幼い子どもが7名並んでおり、その内の1人はまだ赤ん坊だった。写真の中で、1番年長と思われる少女が、その赤ん坊を抱いている。グレイスはその年長の少女を見つめながら、物思いにふけっていた。


「失礼します」


「ダメだ」


相手が既に誰か分かっていたのかグレイスは、声が聞こえた途端、彼女は入室拒否の返答をする。


「相変わらず、質素な部屋ね」


しかし、相手は彼女の言葉を無視して、艦長室に入ってきた。その人物は女性で、ショートの紫髪をかき上げながら、6つの本棚と様々なお酒が均等に陳列されたショーケースを眺めながら、グレイスの元に近付いていく。


「ほっとけ」


グレイスは彼女の行動には動じず、ロケットペンダントを服の中にしまい込み、机の上から足をおろした。


「で、何しに来た?副館長が職務放棄する程の用事なのだろうな?」


「先程和樹さんから、例の計画について共有されたのだけど、少し気になった事があって―――」


「気になる事?」


机に寄りかかる副館長は、少し迷った表情を浮かべつつ、要件を話し始めた。


「26年前。私を含めた今の幹部4名と貴女で、神と呼ばれた男を倒した。けど、その男は生きていた。それは別に驚かない―――」


「―――」


「貴女も覚えている筈、あの男が最後に言った台詞せりふを」


「『まだ終わっていない、必ず後悔させてやる』だったか?」


「えぇ」


「それが?」


「ちょっと、おかしくない?」


「何が?和樹の推測だと、神に寿命はない。あちらとこちらの時間間隔を一緒にするべきではないと思うけど?」


「いいえ、違うわ。遅い事がおかしい訳ではなく。神の復活は本当に“1度目”なの?」


「どういう意味?」


グレイスの表情は強張り、椅子から立ち上がる。


「この世界に来てすぐ、あの戦闘があったものの、以降は平穏だった。貴女以外は―――」


「アタシだけは日本に残り、皆は和樹の父親が用意した孤島に―――何を今更」


「違う、私は別に貴女が居なかった事を恨んでいる訳じゃない」


「じゃあ何?」


「貴女、26年前の12月って何をしていたか覚えている?」


「えっ?」


彼女の言葉に、グレイスは腕を組んで考え始めるのだが、先程のような反論が一向に返ってこなかった。


「どう?」



「―――覚えてない」



「私も今回の件で、すっかり忘れていたのだけど、当時の貴女は何度も私たちに連絡をくれた。―――そう、12月を除いて」


「じゃあ、1月の最初の連絡の時、私は何て言い訳した?」


「聞いてない。何故なら貴女は、昏睡状態で病院に入院していたから」


「入院?」


「それすらも覚えてない?」


「いや―――、微かに覚えている。だが、入院した原因は覚えていない」


「そう」


「それと今回の事が関係していると?」


「確証はないけど、26年前の神の発言、空白の12月、貴女が入院する程の重体。一連のこの流れが、今回の神復活と無関係とは、私には思えない。そして、何故その話が一切資料になかったのか」


グレイスは額をトントンと叩きながら、自身の部屋を暫く歩き回り、椅子の元へと戻った。


「副館長の言う通り、もし関係があったとして―――そこに何があると思う?」


副館長は少し悩んだ後、「それを言ったら、私は貴女に殺される」と、口にした。


グレイスはその返答を予期していたのか「そう」っと、俯いたまま椅子に腰かけ、溜息をつく。そのタイミングで、艦内放送が流れてきた。


「副館長、確認事項がございます。操縦室にお戻りください」


副館長はそれを聞くとグレイスを見つめ、グレイスは無言のまま「行ってくれ」っと、手振りだけで示した。


副館長が退出すると、グレイスの脳内から声が聞こえて来る。


『ゴメン、心配事を増やして』


『いや、言ってくれて助かったよ。アタシも少し考える事にする』


『うん』


脳内の声は止み、グレイスは椅子にもたれ掛かり、真っ白な天井を見上げる。彼女は、届く筈もない天井へと右手を伸ばして、開いた手を握りしめた。


「こんな時、母さんなら、どうしたのかな。いや、分かり切っている。豪快に笑って『そんな事知るか!』って、言うのだろうな」


苦笑するグレイスは、ゆっくりと目を閉じた。


『艦内に告ぐ!艦内に告ぐ!』


ドシンッ!


再び、脳内からの声に、グレイスは驚き椅子から転げ落ちた。


「イッタ!な、何?」


『強い衝撃が来る!何かに掴まれ!』


脳内の声に呼応して、グレイスは固定された机に掴まった次の瞬間。


ドォー――――ン!


巨大な爆発音と共に艦内が大きく揺れる。艦内からはサイレンが鳴り響き、艦内放送が流れだす。


「被害状況の報告!被害状況の報告!現在、左舷後方にて、所属不明の潜水艦と接触!被害は軽微だが、敵が侵入する可能性大」


「敵だと?」


グレイスは右耳を押さえながら、脳内で語りかける。


『おい、副館長!詳細を頼む!』


『分からない』


「分からないだと?」


思わず言葉を口にして、その場から立ち上がった。


『今回、襲撃を感知できなかったのは、高度な加工技術によって音を完璧に遮断した潜水艦で補足が遅れた事と、相手側から“人の意思”が全く感じられなかったから』


「それって―――」


ドォー――――ン!


再度、衝撃が艦内に響き、グレイスが机に寄りかかる。


「チッ!」


『副館長!左舷後方って事は、格納庫だよな?』


『え、えぇ』


『アタシが直接出向く』


『でもそれは―――』


『今幹部はアンタだけ、そうなるとアタシが出張るしかないでしょうが』


『死因が貴女のせいでない事を祈るわ』


『ふん、言ってろ!』


グレイスは脳内での会話を終えると、目的の格納庫へと駆け出した。


「状況報告!状況報告!艦内にて侵入者発見!動ける戦闘員は速やかに格納庫へ向かえ!繰り返す―――」


艦内放送を聞きながら、グレイスは不安げな表情を浮かべつつ、格納庫へと駆け続ける。


この潜水艦は、極秘中の極秘。第七支部のメンバーでも、此処の所在を知っている連中は限られる。桜と同行した響鼓さんと美幸さん、もしもの時の為に護。和樹の直属の部下である冥さん。そして―――。


彼女の脳内には、黒坂 和樹の姿が浮かびあがる。


もしかしたら、もしかすると、第七支部のメンバーの中に―――。


「―――裏切り者がいる」

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