37,事実
「今、何て?」
「安心しろ、“そちら側”からは死者は出ていない」
彼女は美幸の背後にある左の本棚から一冊の本と、水色に光る鍵を取り出す。
「ただ、ルクス号を大破させた相手が悪い」
「相手?」
ヴィヴィアンは、鍵をズボンのポケットに、本は左に抱えたまま、階段の手擦りに手をかけた。
「詳細は、迎えの男に聞け」
彼女は、そのまま地上の階段を上り始めていく。
「ちょ、ちょっと!」
美幸と響鼓は、慌てて彼女の後を追う。1人取り残された桜は、先程まで読んでいた日記に視線を向ける。少し躊躇するが、彼女は日記と写真を持ったまま、地下室を後にする。
◆
地上に出た4名は、玄関から外に出る。
地下に長い事いた為か、目を太陽から隠すように、全員が手で目の上を押さえていた。
外には、美幸たちが乗って来た車の他に、赤髪でスーツ姿の男性と、黒髪で短髪、眼鏡をかけたスーツの男性が対峙していた。
「―――」
「ほら、私の言った通りでしょ?」
「護君?」
美幸は不服な表情の赤髪の男性にかけより、響鼓と桜もそれにつづく。
「あのこの人は?」
響鼓はもう片方の男性に目をやりつつ、護に尋ねた。しかし、護は頭を掻きつつ苦悩する。不思議がる3名を見かねて、男性は一歩前に出て軽くお辞儀をする。
「これはお初にお目にかかります。私、“ヨハン・ファウスト”と申します」
「これはご丁寧に」っと、お辞儀を返す3名に右手で自身の目頭をおさえ、深い溜息をつく護。そのまま、彼は左手で響鼓の後頭部を引っ叩いた。
「イタッ!急に何ですか?」
「オマエ等、もう少し勉強しろ」
護はヨハンと名乗る男を睨みつけながら、右手で彼を指差した。
「この男の名は、今から500年前に悪魔と契約した“錬金術士”なんだよ!」
「「「っ!」」」
「本来ならいい年したおっさんが、遅い中二病を発症したと笑い話で済む。が、アーサー王物語の登場人物が目の前に居るなら話は別だ」
護はヴィヴィアンに視線を移し、ヨハンを指差した右手を下ろす。ようやく事の重大さに気付いた3名。重い空気がその場を支配する。
「一つ、訂正を」
ヨハンは右肘を折ったまま、人差し指を空に向け、数字の「1」を強調しながら、語り始めた。
「私は悪魔と契約した訳ではない。あれは、後世の方々が勝手に言った虚偽。自分たちに都合が良ければ、天使や神だと
終始笑みで語るヨハンに、不気味さと恐怖がその場の全員に伝わっていく。
「つまり、悪魔と言われる“メフィストフェレス”は、アンタ等の“主様”って事なのか?」
「主は自分の名前に執着しない方でして、人間のいうところの“名誉”や“名声”をゴミだと言う」
「それは随分と、
護の発言に少し口角が下がったヨハンは、自身の眼鏡を左の人差し指で少し持ち上げながら、桜を一瞬見る。
「いいのですか、こんなところで油を売って?希望の方々が見られたのに?」
護は思い出したかのように、自身の左手首に装着している腕時計を確認した。
「チッ!」
「え、ちょっと!」
「どうしたの?」
護は急に響鼓と美幸の肩を強引に引っ張って、桜の居る場所に、2人を移動させる。
「説明は後だ!」
護がそう言い終えると、4名の地面には青い円陣が浮かびあがり、その一帯が青い光で周囲を包み出していく。
「え、何これ?」
桜が驚くのも無理もない。彼女を始め、4名全員の体が、かなりのスピードで足元から消えていくのだから。
「おい!ヨハン・ファウスト」
既に頭部以外は消えている護は、ヨハンに呼びかけた。
「ちゃんと返せよ」
「私は約束を違えません、人間とは違って」
「どうだか」
護が言葉を終えたと同時に、4名の姿は完全に消え、青い円陣も跡形も無く消えたのだった。
「約束?」
暫し無言を貫いていたヴィヴィアンが、ヨハンの横に並び、そう発言する。
「お三方は、車で来られた。しかし、今のように異能で瞬間移動をする為、車をどうするか。彼が困り果てていたので、私が返却すると申し出たのです」
「何故?」
ヨハンの表情から笑顔は失せ、彼は再び眼鏡を少し持ち上げた。
「貴女がお三方に危害を加えたからですよ」
「それは―――」
ヨハンはヴィヴィアンの返答を待たず、駐車された車に乗るよう、無言で彼女に催促する。
「わかった」
彼女は渋った表情ではあるものの、彼に従い車の左側である助手席に乗り込んだ。ヨハンも彼女に続き、運転手側である右側に乗り込む。そして、2人は、それぞれのシートベルトに手をかける。
「だが、ヨハン私は何も―――」
再度、自分の身の
「いや、僕が連絡しなかったら、オマエはしたよ」
知らぬ間に、車の後部座席に座る人物に気付いたからだ。
「主」
「相変わらず、神出鬼没ですね」
ヴィヴィアンとヨハン。それぞれの反応に、クスクスと笑う主の声は、男性なのか女性なのか老人なのか、こどもなのか判断がつかない声質をしていた。
「ヴィヴィアン」
「はい」
「今回の計画には、第7支部の連中が必要不可欠と―――僕、説明してなかった?」
「いいえ、説明をしておりました」
「では、何故敵対行動に移った?」
「鹿島 薫の情報を私が、漏らした為です」
「成程」
主は右手で
「大変申し訳ありません」
主に向かって深々と頭を下げるヴィヴィアン。しかし、彼は別の何かを考えているようで、車の窓に視線を向けていた。
「いや、問題ない。
「え?」
「どういう事でしょうか?」
「オーロラ ルクス号が大破した事の他に、もう一つ事実がある」
「それは?」
ヨハンが尋ねると、主は車の外を見つめたまま、溜息を一つ付き「カテリーナが死んだ」っと、口にする。
「カテリーナ・スフォルツァが?」
驚愕するヴィヴィアンと、無言で自身の唇を強く噛むヨハン。
「どうやら襲撃の目的は、“鹿島家”にあったようだ。彼女も決して弱い訳ではない。しかし、あの3名の中では、彼女もここまでだった」
「蘇生の見込みはないのでしょうか?」
訴えかけるヴィヴィアン。その言葉で、ようやく主の視線は、2名の方に向けられた。
「彼女の貢献度は確かに高い。が、“あの時”にアレを使用したので、ストックがもうない」
ヨハンは「あの時―――」っと、呟く。
「どうしたヨハン?」
「主に対し、私に反旗の意図は、毛頭御座いません。御座いませんが―――」
「何?」
「―――」
「いいなよ、僕の傘下に加わった時、言っただろ?『いいたい事は言え』と―――」
「今回の計画は、26年前に立案されたと思われます」
「あぁ」
「我等がなすべき事も、その時伝えて頂いた。しかし、事の全容は未だ我等に開示されていない」
「つまり、この計画に疑問があると―――」
「恐れながら、残り半世紀も生存出来ない人間9名。永続的に、主への忠誠を尽くす
主の瞳は、閉じたままである。それから数秒の沈黙が流れた。。
「ヨハン」
主はゆっくりと目を見開き、ヨハンの左肩に右手を優しく置く。それと同時に、主の口元は徐々にヨハンの左耳へと向かっていく。
「―――はい」
緊張が走る中、主の口元がヨハンの左耳まで到達した。
「オマエの言う通りだ」
主はヨハンにしか聞こえない程、小さな声で
「しかし、残念だが方針を変える気はない。あの計画『6Ⅰ9計画』は私を含め、全員が死んでも成すべきモノと心得ておけ、いいな?」
「―――畏まりました」
「それまで“本物”の鹿島 薫には、もう少し寝ていてもらう事にする」
言い終わった主は、ヨハンからゆっくりと遠ざかっていく。
「はい」
クスッと笑い声が消えたと同時に、窓の外も内も全てが暗くなった。しかし、2人は動じる事はなかった。やがて、暗闇は晴れ、元の状態になったのだが、後部座席に、主の姿はなかったのだった。
時刻は、二〇三九年六月二十二日午前一時を過ぎていた。
※イギリスの時刻は、午後四時。
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