37,事実

「今、何て?」


響鼓きょうこが震える声で聞き返すと、他の2人も青ざめた表情でヴィヴィアンを見つめる。


「安心しろ、“そちら側”からは死者は出ていない」


彼女は美幸の背後にある左の本棚から一冊の本と、水色に光る鍵を取り出す。


「ただ、ルクス号を大破させた相手が悪い」


「相手?」


ヴィヴィアンは、鍵をズボンのポケットに、本は左に抱えたまま、階段の手擦りに手をかけた。


「詳細は、迎えの男に聞け」


彼女は、そのまま地上の階段を上り始めていく。


「ちょ、ちょっと!」


美幸と響鼓は、慌てて彼女の後を追う。1人取り残された桜は、先程まで読んでいた日記に視線を向ける。少し躊躇するが、彼女は日記と写真を持ったまま、地下室を後にする。





地上に出た4名は、玄関から外に出る。

地下に長い事いた為か、目を太陽から隠すように、全員が手で目の上を押さえていた。


外には、美幸たちが乗って来た車の他に、赤髪でスーツ姿の男性と、黒髪で短髪、眼鏡をかけたスーツの男性が対峙していた。


「―――」


「ほら、私の言った通りでしょ?」


「護君?」


美幸は不服な表情の赤髪の男性にかけより、響鼓と桜もそれにつづく。


「あのこの人は?」


響鼓はもう片方の男性に目をやりつつ、護に尋ねた。しかし、護は頭を掻きつつ苦悩する。不思議がる3名を見かねて、男性は一歩前に出て軽くお辞儀をする。


「これはお初にお目にかかります。私、“ヨハン・ファウスト”と申します」


「これはご丁寧に」っと、お辞儀を返す3名に右手で自身の目頭をおさえ、深い溜息をつく護。そのまま、彼は左手で響鼓の後頭部を引っ叩いた。


「イタッ!急に何ですか?」


「オマエ等、もう少し勉強しろ」


護はヨハンと名乗る男を睨みつけながら、右手で彼を指差した。


「この男の名は、今から500年前に悪魔と契約した“錬金術士”なんだよ!」


「「「っ!」」」


「本来ならいい年したおっさんが、遅い中二病を発症したと笑い話で済む。が、アーサー王物語の登場人物が目の前に居るなら話は別だ」


護はヴィヴィアンに視線を移し、ヨハンを指差した右手を下ろす。ようやく事の重大さに気付いた3名。重い空気がその場を支配する。


「一つ、訂正を」


ヨハンは右肘を折ったまま、人差し指を空に向け、数字の「1」を強調しながら、語り始めた。


「私は悪魔と契約した訳ではない。あれは、後世の方々が勝手に言った虚偽。自分たちに都合が良ければ、天使や神だとたたえ、都合が悪ければ、悪魔や化物とののしる。ヴィヴィアン程ではないですが、人間の浅はかな事は賛同せざるを得ない」


終始笑みで語るヨハンに、不気味さと恐怖がその場の全員に伝わっていく。


「つまり、悪魔と言われる“メフィストフェレス”は、アンタ等の“主様”って事なのか?」


「主は自分の名前に執着しない方でして、人間のいうところの“名誉”や“名声”をゴミだと言う」


「それは随分と、殊勝しゅしょうな考えをお持ちの主様だ」


護の発言に少し口角が下がったヨハンは、自身の眼鏡を左の人差し指で少し持ち上げながら、桜を一瞬見る。


「いいのですか、こんなところで油を売って?希望の方々が見られたのに?」


護は思い出したかのように、自身の左手首に装着している腕時計を確認した。


「チッ!」


「え、ちょっと!」


「どうしたの?」


護は急に響鼓と美幸の肩を強引に引っ張って、桜の居る場所に、2人を移動させる。


「説明は後だ!」


護がそう言い終えると、4名の地面には青い円陣が浮かびあがり、その一帯が青い光で周囲を包み出していく。


「え、何これ?」


桜が驚くのも無理もない。彼女を始め、4名全員の体が、かなりのスピードで足元から消えていくのだから。


「おい!ヨハン・ファウスト」


既に頭部以外は消えている護は、ヨハンに呼びかけた。


「ちゃんと返せよ」


「私は約束を違えません、人間とは違って」


「どうだか」


護が言葉を終えたと同時に、4名の姿は完全に消え、青い円陣も跡形も無く消えたのだった。


「約束?」


暫し無言を貫いていたヴィヴィアンが、ヨハンの横に並び、そう発言する。


「お三方は、車で来られた。しかし、今のように異能で瞬間移動をする為、車をどうするか。彼が困り果てていたので、私が返却すると申し出たのです」


「何故?」


ヨハンの表情から笑顔は失せ、彼は再び眼鏡を少し持ち上げた。


「貴女がお三方に危害を加えたからですよ」


「それは―――」


ヨハンはヴィヴィアンの返答を待たず、駐車された車に乗るよう、無言で彼女に催促する。


「わかった」


彼女は渋った表情ではあるものの、彼に従い車の左側である助手席に乗り込んだ。ヨハンも彼女に続き、運転手側である右側に乗り込む。そして、2人は、それぞれのシートベルトに手をかける。


「だが、ヨハン私は何も―――」


再度、自分の身の潔白けっぱくを訴えようと口を開いたヴィヴィアンだったが、すぐにその言葉は途切れた。何故ならば―――。



「いや、僕が連絡しなかったら、オマエはしたよ」



知らぬ間に、車の後部座席に座る人物に気付いたからだ。


「主」


「相変わらず、神出鬼没ですね」


ヴィヴィアンとヨハン。それぞれの反応に、クスクスと笑う主の声は、男性なのか女性なのか老人なのか、こどもなのか判断がつかない声質をしていた。


「ヴィヴィアン」


「はい」


「今回の計画には、第7支部の連中が必要不可欠と―――僕、説明してなかった?」


「いいえ、説明をしておりました」


「では、何故敵対行動に移った?」


「鹿島 薫の情報を私が、漏らした為です」


「成程」


主は右手であごを触り、何かを考え始める。


「大変申し訳ありません」


主に向かって深々と頭を下げるヴィヴィアン。しかし、彼は別の何かを考えているようで、車の窓に視線を向けていた。


「いや、問題ない。むしろ、よかったかも」


「え?」


「どういう事でしょうか?」


「オーロラ ルクス号が大破した事の他に、もう一つ事実がある」


「それは?」


ヨハンが尋ねると、主は車の外を見つめたまま、溜息を一つ付き「カテリーナが死んだ」っと、口にする。


「カテリーナ・スフォルツァが?」


驚愕するヴィヴィアンと、無言で自身の唇を強く噛むヨハン。


「どうやら襲撃の目的は、“鹿島家”にあったようだ。彼女も決して弱い訳ではない。しかし、あの3名の中では、彼女もここまでだった」


「蘇生の見込みはないのでしょうか?」


訴えかけるヴィヴィアン。その言葉で、ようやく主の視線は、2名の方に向けられた。


「彼女の貢献度は確かに高い。が、“あの時”にアレを使用したので、ストックがもうない」


ヨハンは「あの時―――」っと、呟く。


「どうしたヨハン?」


「主に対し、私に反旗の意図は、毛頭御座いません。御座いませんが―――」


「何?」


「―――」


「いいなよ、僕の傘下に加わった時、言っただろ?『いいたい事は言え』と―――」


「今回の計画は、26年前に立案されたと思われます」


「あぁ」


「我等がなすべき事も、その時伝えて頂いた。しかし、事の全容は未だ我等に開示されていない」


「つまり、この計画に疑問があると―――」


「恐れながら、残り半世紀も生存出来ない人間9名。永続的に、主への忠誠を尽くすしもべ1名を天秤てんびんにかけた時、どちらが合理的かと問われれば、答えは明らかと―――」


主の瞳は、閉じたままである。それから数秒の沈黙が流れた。。


「ヨハン」


主はゆっくりと目を見開き、ヨハンの左肩に右手を優しく置く。それと同時に、主の口元は徐々にヨハンの左耳へと向かっていく。


「―――はい」


緊張が走る中、主の口元がヨハンの左耳まで到達した。


「オマエの言う通りだ」


主はヨハンにしか聞こえない程、小さな声でささやいた。


「しかし、残念だが方針を変える気はない。あの計画『6Ⅰ9計画』は私を含め、全員が死んでも成すべきモノと心得ておけ、いいな?」


「―――畏まりました」


「それまで“本物”の鹿島 薫には、もう少し寝ていてもらう事にする」


言い終わった主は、ヨハンからゆっくりと遠ざかっていく。


「はい」


クスッと笑い声が消えたと同時に、窓の外も内も全てが暗くなった。しかし、2人は動じる事はなかった。やがて、暗闇は晴れ、元の状態になったのだが、後部座席に、主の姿はなかったのだった。


時刻は、二〇三九年六月二十二日午前一時を過ぎていた。

※イギリスの時刻は、午後四時。

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