36,事象

「物理法則を無視した投擲とうてきか」


ヴィヴィアンは攻撃を受けて紅く腫れた右手の甲を見つめつつ、無表情のまま呟いた。


「Orbit《オルビィット》 Correction《コレクション》。つまり、軌道修正ってね」


右手の人差し指と中指に挟んだコインをヴィヴィアンに見せながら不敵な笑みを浮かべる響鼓きょうこ


「だから、女でも野球選手になれたのか?」


ヒューン、ド―――ン!


その言葉を言い終えた瞬間。ヴィヴィアンの左頬ギリギリを音速の速さでコインが横切り、壁に激突した。


「勘違いしないで。野球の時は一度も能力を使った事はないわ」


彼女は音のする背後をゆっくり確認すると、コインは原型を保てない状態で壁にめり込んでいた。そして小規模の煙が発生していた。


「そうか、それはすまなかったな」


ヴィヴィアンは、コインが左頬をかすった為、左頬を軽くこする。こすった箇所は、横一閃の小さな傷になっていた。


「だがその能力。この狭い部屋では本来の半分も活かせないのでは?」


「―――」


「図星か」


「だとしても、貴女はそこから動けない」


「どうかな?」


ヴィヴィアンは体を前に傾けたかと思えば、音も立てずに響鼓が居る方向へと迫って来た。響鼓は慌てて右手、左手と交互にコインを投げつけた。


が、ヴィヴィアンはタイミングよく、どちらも避けそのまま響鼓に迫る。しかし、響鼓の表情は冷静のままだった。


その表情で何かを察したヴィヴィアンは、彼女に迫るのを止め、その場に座り込む。すると、彼女の頭上を2枚のコインが通り過ぎる。


パシ!パシ!


「軌道は真っ直ぐだけじゃないのよ?って避けられたから分かっているか」


2枚のコインを掴み取った響鼓は、再びコインを投げれる構えを取りつつ、ヴィヴィアンから距離を取った。


「厄介だな。だが―――」


先程よりもはやい速度で、再び響鼓の目の前に移動するヴィヴィアン。彼女の右手は、響鼓の首に手を伸ばせば届く距離。


「何?」


そのまま響鼓の首を掴みにかかるも、右手は空振り。それと同時にヴィヴィアンの視界から彼女は消える。


「クイック」


そう響鼓が口にした時には、1枚のコインがヴィヴィアンの左腹部を襲った。


「ゴホッ!」


左腹部に強い衝撃を受けたヴィヴィアンは、吐血したまま、壁に激突する。


「あの神様程じゃないけど、私も素早く移動出来るの」


「神だと?」


左腹部を押さえたまま、むくりと立ち上がる。相変わらず無表情のヴィヴィアンであった。


ポタ、ポタ、ポタ、ポタ。


だが、その表情とは裏腹に、彼女の抑えている腹部からは、紅い液体が地面にしたたり落ちている。


「貴女たちも神に迫られたみたいじゃない?どう、此処は交渉する余地が―――」


「ない」


「即答?」


「我等は人間と組まない」


「それは愚かだから?」


美幸は日記に記された言葉を引用し、ヴィヴィアンに問う。


「そうだ」


「何故、貴女も元は人間でしょ?」


「状況と立場で、意見を変える貴様等と一緒にするな」


「何が違うって言うのよ!何も変わらないじゃない!」


「例えば、貴様等に“裏切り者”がいる。そう言ったら?」


彼女の思いもよらない発言に、美幸は黙ってしまった。


「よく考えてみろ。こんな都合よく私の帰宅と貴様等の侵入が重なると思うか?」


「そんなのはったりよ!」


叫ぶ響鼓に対し、鼻で笑うヴィヴィアン。


「では、この状況をどう説明する?偶然と説明するには些か、苦しいと思うが?」


「じゃあ、誰だって言うのよ!そっちこそでたらめな事を―――」


「“黒坂”はどうやって此処を調べたと思う?」


「ふん!和樹君が裏切る訳―――」


具体的な名前を言われ、動揺する響鼓に対し、

言い返そうとする美幸だったが―――。



「家族を人質に取られても?」



「「えっ?」」


「世間的には黒坂の妻は、事故で死亡した事になっている。だが、本当は神の報復を受けて亡くなった。そう彼の子どもに説明していると聞く。しかし、それすらもフェイク。本当は―――」


「それ以上言うな!」


「美幸さんダメ!」


美幸はヴィヴィアンに向かって、右手をかざして何かを試みようとしていた。


「あの子の何を知っているの?あの子が裏切る訳がない!あの子はセイの―――」


「美幸さん!」


響鼓の声で正気を取り戻した美幸は、左手で右手の手首を掴み慌てて両手を胸元まで引っ込める。


「信じるかどうかは、貴様等が好きに判断すればいい。その代わり、こちらもそろそろ本気で相手をする事にしよう」


そう宣言した彼女の体全体から紅い煙が立ち上り始めた。


「体の再構成を開始。硬度の向上と吸収力の緩和を全身に施す。体の形状は変化せずに維持を推奨。硬度は鋼鉄を遥かに上昇するモノとして吸収力はほぼ0にまで下降―――」


その後もヴィヴィアンは淡々と言葉をささやく。より具体的に、より精密に。次第に、紅い煙は彼女の周囲を覆いつくしていく。その最中、彼女の左腹部と、左頬の傷が癒えていく。


その挙動に危険を感じた響鼓は、手元にあった2枚のコインだけでなく、ポケットに忍ばせていた予備のコインを次々とヴィヴィアンに向けて投げ飛ばす。しかし―――。


カキン!カキン!カキン!カキン!


カキン!カキン!カキン!カキン!


金属と金属がぶつかり合う音が響き、曲がったコインが次々と地面に落ちて行く。


「相性が悪かったな、私が得意とするのは“構造変化”。物理攻撃の耐性対策は容易だ」


「勘弁してよ」


既に無意味だと理解しているが、響鼓はコインを投げる事しか方法がなかった。その為、彼女はコインを投げ続ける。が、結果は先程と同じ。彼女にぶつかる金属音と虚しく地面におちたコインの音が、無情に地下の部屋に響いた。


今度はゆっくりと、響鼓に迫っていくヴィヴィアン。彼女の胸元に手が届くまで近づく。そして、響鼓は、ようやくコインを投げるのを止めた。


息を乱し、これで終わりかと諦めた表情を浮かべる響鼓。それに対し、ヴィヴィアンの表情は終始崩れる事はなかった。


そんな正反対の2人が、互いを見つめ合うと、暫しの沈黙が流れる。ヴィヴィアンは何か吹っ切れた様子の響鼓の表情に、まゆをひそめる。


「残念だったな、救援は間に合わないようだ」


「仕方がないでしょ。皆普通に生活しているのだから、学生の時のようにはいかない」


「恨まないのか?」


「恨む?冗談でしょ、誰に何を恨むのよ?」


「このような状況の時、人間は【許しを請うか】【暴言を吐くか】【無意味な抵抗をするか】【言い訳を言うか】だ。特に、何か救いがある時は、決まってその人物の誹謗中傷をわめき散らす」


「へぇ~。随分と質の悪い連中ばかりとご縁があるようね」


「何だと?」


「まぁ。一歩間違えれば、私もその連中の1人だったかもしれない。この能力を得てからというものの、まともに外に出られなかった」


今まで蹲っていた桜の顔が、ピクッと動いた。


「けれどとある噂で、神奈川にある大学には、私と同類の集う場所があると聞いたの。だから、何とか外に出て、勉強と好きな野球を努力と根性で乗り切る事ができた」


ゆっくりと視界を上げ、響鼓の居る方向へ視線を動かす桜。


「そしてようやく、みんなと出会えた。当時の私は引っ込み思案の癖に、好きな事が絡むと暴走するトラブルメーカー。そんな私を皆は、文句―――言っても、見捨てる事はなかった。


私が外に出られたのは皆のお陰。私の性格が改善出来たのは皆のお陰。私が好きな野球を続けられたのは皆のお陰。今、私が此処に居られるのは―――皆のお陰」


「響鼓さん」


「感謝こそあれ、恨む事なんて何一つもない。強いて言うなら、自身の役割を全う出来ない自分が情けない事ぐらいよ」


「響鼓ちゃん」


「貴女が満足する答えを、私は言えたのかしら?」


「残念だが、そんな質問をした覚えはない」


「そう?さっきの4択には含まれない。貴女が知らない“人間”を教えてあげたのだけど?」


「だから、礼を言えと?」


「いいえ。そこまで大した事を言ったつもりはないわ。ただ、貴女がそこまで人間を嫌う理由を知りたくてね。あ、言っておくけど、長の娘の話だけじゃ、人間を止める理由にはならないから。もし、それだけが理由なら貴女は人間を知らな過ぎる」


「それは―――」


ヴィヴィアンが、何か言いだそうとした瞬間。



―――ジリリリリリ、ジリリリリ。



急に黒電話が鳴り出し、4名全員が同じ方向に注目する


―――ジリリリリリ、ジリリリリ。


「電話が鳴った?」


「でも、さっきチラっとみましたけど、電話線に繋がっていなかった筈」


美幸と響鼓は電話が“鳴った事”に驚く一方、桜は1人、“誰”が電話をしているのか気になっていた。


―――ジリリリリリ、ジリリリリ。


ヴィヴィアンは響鼓たちを警戒しつつ、無言のまま黒電話に近付く。


―――ジリリリリリ、ジリリリリ。


4度目のコールが鳴り終わったタイミングで、ヴィヴィアンが電話に出た。


「はい、こちらヴィヴィアン」


3名には声が届かず、小さなノイズだけが地下室に響く。


「了解しました」


―――チリン。


たった二言で会話が終わり、電話の受話器を元に戻したヴィヴィアンは、視線を3名に向けた。


いさかいは中止だ」


「あら?何か不都合があったのかしら?」


ヴィヴィアンはまた、眉をひそめるも何か諦めた表情を浮かべ呟いた。


「ルクス号が大破した」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る