第9話 智美になって学校にもどる

 窓ガラスから差し込んだ春の陽光が部屋を明るく照らしてくれている。

 僕はピンクのパジャマを脱ぐと、クローゼットにかけてあったブラウスを手に取り袖を通した。


 男子用とは合わせが反対の胸元のボタンを丁寧に留め襟を整えたあと、グレーのプリーツスカートに足を通す。

 もう、この瞬間から心拍数が上がり始めている。

 ブレザーを羽織り、赤と黒のストライプのリボンを首元につけると、嬉しくて頬に力が入り口角が持ち上がっているのが鏡を見なくてもわかる。


 平凡で特色もない公立中学校の制服だが、鏡の前で何度もポーズをとったり、くるっと回転してみたりと女子中学生に生まれ変わった自分の姿を堪能していた。


「智美、準備できた?」


 一階からお母さんの声で、我に返った。


「できたよ。今降りるね」


 階段を降りて一階のリビングのドアを開けると、グレーのスーツに着替えたお母さんが僕を見るなり嬉しそうに近寄ってきた。


「智美、似合ってるよ」

「ありがとう。お母さん、ごめんね、3年生で1年間しか着ないのに制服買わせてしまって」


 学校に行くと決めたものの、3学期だったこともあるし、元のクラスには戻りたくないこともあって、キリのいいところで3年生になった4月から学校に行くことにした。


 女子用の制服を作り、美容室に行って髪の毛を女の子っぽくカットしてもらったりと、学校に戻る準備を進めるにはちょうどいい時間だった。

 

 3月になったところでお母さんが3年生から学校に戻りたいと連絡すると、一度学校にきてもらって直接話がしたいという先生の要望があった。


 お母さんの仕事のスケジュール調整もあってすぐにはいかず、学校が春休みに入った3月下旬の今日、ようやく有休がとれたお母さんと一緒に学校に行くことになっていた。


「いいのよ、気にしなくて。さて、そろそろ行こうか」


 お母さんは黒のハンドバックを手に取り、玄関へと向かって歩き始めた。

 40を超えたとはいえ均整の取れたプロポーション、やっぱりお母さんはきれいだ。


 僕もお母さんの後を追って玄関を出たところで、お母さんが急に振り返った。


「あっ、そうだ。せっかくだから、写真撮ろうか?お父さんたちも、智美の制服姿みたいだろうし」


 玄関前に立ってお母さんのスマホで写真を撮ってもらう。

 お母さんに写真を撮られながら、2年前の中学校の入学式の朝のことを思い出した。

 あの時も今日と同じように何回も撮り直して入学式に遅れそうになり、駆け足で学校まで行くことになってしまった。


 今日はお母さんと一緒ということもあり車で学校まで向かう。

 お母さんの車に乗りシートベルトを締めたとき、僕のスマホからラインの着信音が鳴った。

 お母さんが早速送った僕の写真に、花恋とお父さんから返事があった。花恋の「かわいい!似合ってるよ」のメッセージに対しては「ありがとう」と返信して、お父さんの「羨ましすぎる。お父さんも着たかった」に対しては「いいでしょ」と返信しておいた。


 車で数分走るとすぐに中学校に着き、グランド横の駐車場に車を止めた。

 歩いても15分とかからない距離、車ならあっという間だ。


 半年ぶりの中学校、当たり前だが何も変わっていない。

 春休みということもあり校舎内には生徒の姿はなく、グランドから野球部員の元気な掛け声が聞こえてくる。


 駐車場から職員室へと向かう途中、体育館を通りかかると中からドンドンというボールが弾む音とキュッキュッとシューズと床が擦れる音が聞こえてきた。

 その音から察するにバスケ部が練習しているようだった。


 体育館の中に僕を苛めた渡辺祐太郎がいると思うと胸の鼓動が速くなってしまう。

 歩く速度を上げ、足早に職員室のある校舎へと入っていった。

 今日は職員室で先生と話すだけだけで会うことはないし大丈夫だろうと、自分に言い聞かせて鼓動を落ち着けた。


 職員室のドアを開けると担任の小坂先生がこちらの方を見向いて、ぎょっとした表情を浮かべ目を丸くしている。

 男子生徒だったはずの僕が女子の制服を着ているのだから、先生が驚くのも無理もない。


「や、山中さんですね。と、と、隣のお、応接室でお、お話し、しましょう」


 動揺を隠せない小坂先生は、他の先生の机やいすにぶつかりながら職員室の隣にある応接室へと向かっていた。 

 そんな先生の様子を見た僕とお母さんはクスクスと笑い声が漏らしてしまう。


 部屋の中央に重厚な木目のテーブルが置かれている応接室に入り、革張りのソファに腰かけた。

 眼鏡のフレームを直しながら、小坂先生が話しかけてきた。


「あ、あの、その、山中さん、ちょっと見ないうちに変わったね」

「まあ、変わったというより本当の自分に戻れたという気がします」

「それで4月から学校に戻ってきてくれるということで、先生も安心しています」

「その件なんですけど、学校側の対応としてはどうするつもりですか?」


 お母さんが真剣なまなざしで小坂先生を見つめている。僕が引きこもってから半年の間、何度か先生とお母さんは話し合っていてみたいだが、いじめを認めない学校側と認めさせたいお母さんの話し合いはいつも平行線をたどっていた。


「生徒間でトラブルがあったのは認識しているので、当該の生徒とは別のクラスにします。それで、よろしいでしょうか?」

「生徒間のトラブル!?イジメでしょ。無視とか教科書に落書きされたりとかされたのに、生徒間のトラブルで済ますつもりですか?そのせいで智は、学校に行けなくなったのに!」


 いじめとは認めたくない先生の言い回しに、お母さんの口調が荒くなる。


「学校側としては、悪ふざけの範囲だと思っています。それに不登校の原因は、心と体の性の問題ですよね?」


 イジメが原因の不登校だと何かとマズいようで、小坂先生は今日の僕が女装してきたのを幸いに、性同一性障害やトランスジェンダーといった性の問題で僕が悩んで不登校になっていたことにしたいようだ。


「そ、それは……」

「先生がそうしておきたいなら、そうしておいていいですよ」


 反論しかけたお母さんに割って入った。助け舟を出した僕の言葉に先生の顔には安どの表情が浮かぶ。


「じゃ、そういうことで。で、山中さんは4月からその制服で通学するの?」

「いけませんか?生徒手帳の校則には、制服はスラックスかスカートか選べるって書いてありましたけど」

「それは、女子の話……」


 言いかけたところで、先生もこの問題で争うのは不利と見たのか言葉を濁した。

 それに先ほどお母さんとのやり取りで、助けてあげた義理もあり僕に対して強くは出られない。


「それじゃ、いいですね」

「あ、うん。そうだな。ジェンダーフリーでダイバーシティな時代だもんな」


 強気で押し切ろうとした僕に、先生は慌てた様子で答える姿面白かったのか、横にいるお母さんからクスクスと笑い声が漏れてきた。


◇ ◇ ◇


 先生に一礼した後職員室をでて、お母さんと一緒に駐車場へと向かい始めた。

 体育館の横を通り過ぎると、生徒たちの騒がしい声が聞こえてきた。


 バスケ部の練習が終わったようで、次々にジャージを着た部員が体育館から出てきている。

 その中に他の同級生と仲良く話している渡辺祐太郎の姿が見えた。


 僕に気付いた渡辺は同級生と話しを続けながらも、視線は僕を追っている。

 智美に生まれ変わった僕に気付くことはないだろうと、平静を装って渡辺の前を通り過ぎた。


 横をあるくお母さんが話しかけてきた。


「智美、どうした?」

「いや、なんでもない」

「お腹すいたね。お昼ご飯食べて帰ろうか?」

「うん。私、パスタが良い」


 僕が元気に答えると、お母さんは嬉しそうに笑った。

 校庭にある桜の木は早くも咲き始めている。

 いろいろあったが4月からは楽しそうな日々が始まりそうで、期待に胸を弾ませた。


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