第3話 女装の沼にはまり、そしてバレる

 部屋に戻るとすぐにクローゼットを開け、扉についている鏡に映る自分の姿を見てみる。

 

 母譲りの白い肌と華奢な体つきに、ピンクのパーカーは似合っているといってもいい。

 今まで黒やグレーといった地味な色を好んできていたが、意外と明るい色も似合うなとひとりごちた。


 嬉しさのあまり鏡の前でいろんなポーズをとっていたら、いつまにか時間が経っていることに気付き、あわてて勉強机に座り勉強に戻ることにした。

 

 高揚した気分のまま苦手な英語の教科書を開き勉強を始めた。

 先週から完了形について学んでいるが、イという過去形との区別がつかず苦戦している。

 日本語に訳せばどちらも「~した」となり、使い分けがわからない。


 花恋は完了形は、「完了」「経験」「継続」を表すと教えてくれたが、いまいちピンときていない。

 例題を繰り返せばわかってくるからという花恋のアドバイスに従い、参考書の問題を問いてみる。


 一通り解き終わった後、答えの解説を読んでいく。

 いつもなら解説呼んでも腑に落ちない感じだったが、今日は違う。スルスルと理解が進んでいく。


 この不思議な感覚に戸惑いながらも、順調に勉強を進め予定した範囲を終えた僕は英語の教科書を閉じた。


 教科書の裏には、オカマ野郎」と書かれた落書きの跡が、アルコールで拭き取り切れずうっすらとまだ跡が残っている。

 先ほどまでの高揚感は消え去り、冷静な気持ちで花恋のパーカーを見つめる。


 僕も女の子に生まれていたのなら、大人しくて本読むのが好きでもイジメられずに済んだのかなと想像してしまう。

 窓の外の曇天の空を見ながら、肌触りのいいパーカーの袖をギュッと握りしめた。


◇ ◇ ◇


 お母さんが玄関のドアを開けたところで振り、見送る僕に声をかけた。


「じゃ、お母さん行ってくるから。火の元、気を付けて、あと、宅配便とか来ても無視しておいていいから。絶対に玄関のドア開けないこと。わかった?」

「わかったよ。ほら、急がないと遅刻するよ」


 家に一人息子を残していくのが心配なようで、過保護なほど毎日何かしら注意をしていく。

 

「あっ、ヤバイ。じゃあね」


 お母さんは腕時計を見ると、慌てて玄関のドアを閉じて出て行った。カツカツとお母さんのヒールの足音が聞こえてきた。


 家族全員いなくなって、家の中は静寂が響き渡る。

 僕はそそくさと二階へと上がり、両親の寝室にあるクローゼットのドアを開けた。


 クローゼットの中はお父さんのスーツが数着とお母さんの服がずらりと並んでいる。

 僕はその中から、黒のレースのタイトスカートを手に取り自室に戻った。


 部屋着のスウェットを脱いで、スカートに足を通し、花恋のピンクのパーカーを羽織り鏡で見てみる。

 インナーの白のTシャツとの組み合わせもいい感じでまとまっている。

 

―——あの日、スカートを履いて女の子になりたい衝動を抑えられ僕は、衣装ケースの中からお母さんのウェストがゴムになっているスカートを見つけると、ズボンを脱いで履くことにした。


 履いた瞬間、世界が変わるのを感じた。

 裏地の心地よさ、動くたびに揺れるプリーツ、すべてが新鮮だった。

 そして何よりスカートを着ることで、貧弱でいじめられている自分を忘れることができた。


 そしてその日以来、家族が学校や仕事でいなくなるとすぐに女の子に着替えるようになった。

 明るい気分で勉強ができるし、コーデを考えるのも楽しい。

 女装を覚えて以来、僕の引きこもり生活は光が差したように輝き始めた。


 3時半、学校の終わる時間にあわせて勉強を終えた僕は一回のリビングへと降りて行った。

 タイトスカート特有の歩幅が制限される感じが、今スカートを履いていることを実感させられて好きだ。


 勉強を終えたあと一番帰宅の早いお母さんが帰ってくるのは6時半まで、リビングでテレビをみながら、くつろぐのが習慣となっていた。


 以前ならリビングのソファに寝転びながら、ポテチをつまみネット配信のアニメを見ていたが、スカートを履いたまま寝転ぶのには抵抗がありきちんと座りながら観るようになった。


 ソファの前にあるローテブルには、ミルクティーとクッキーが2枚置かれている。

 女装するようになって体重が気になりはじめて、おやつを食べる量に気を配るようなった。


 ネットで調べた上品なカップの持ち方を意識しながら、ティーカップに口をつける。

 紅茶のふくよかな香りとミルクの甘さが口に広がる。


 アフタヌーンティーなんて、滅茶苦茶女の子っぽいことをやっている自分に酔ってしまっているのは分かっているが、それが現実を忘れさせてくれて楽しい。


―——ガチャリ


 玄関のドアが開く音がした。思わず時計を見てみるが、まだ4時半。誰も帰ってくるはずのない時間だった。


「智、ただいま」


 花恋がリビングのドアを開け入ってきた。

 突然の帰宅に驚いた僕は、隠れることもできないまま固まってしまった。


「お姉ちゃん、部活は?」

「ちょっと具合が悪くてね。部活休んで帰ってきちゃった。って、智、何その恰好!」


 花恋は口を開けたまま唖然とした表情で、僕の女装姿を見つめている。

 数秒間の沈黙の後、花恋は目を輝かせながら予想だにしない言葉を口にした。


「智、かわいい!私も智に女装させたら似合うんじゃないかって思ってたけど、やっぱり思った通りね」

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