私の命が尽きるまで

初瀬 叶

私の命が尽きるまで

ーあぁ、また、またダメだった。今度も失敗してしまったー


セーラは鈍く光るギロチンの刃を見つめた。 その下に居るのは、セーラの最愛の人、リカルド・ローレンス辺境伯だ。

彼の命が尽きるのを、ただ何も出来ずにじっと見つめる。 彼女には涙を流す事さえ許されていなかった。


「セーラ、良く見ておくんだ。この国を裏切った男の最期を。これで我が国の憂いは無くなった」

セーラの腰を抱き、彼女と同じように処刑台を見つめるのは、この国の王である、サミュエル・ソード。

セーラにとっては一番憎むべき男であった。

何故ならば、彼がリカルドの命を奪う張本人なのだから。

何度、セーラがこの人生を繰り返したとしても…。


真夜中


セーラは自室の寝室に置いてある、古く、大きな姿見の前に立っていた。

セーラを映すはずのその鏡には、セーラとは似ても似つかぬ…人成らざる者が目の前のセーラを見つめていた。


「また、ダメだったわ」

セーラの言葉に、鏡の中の男は、 「そのようだな」 と答えた。 その男の黒くうねった髪は腰まで伸びており、セーラを見つめる瞳は赤く、暗闇でも不気味に輝いていた。

上半身は何も身につけておらず、足は獣のように毛が生えている。そしてその背には黒く大きな翼がある。間違いなく人ではない彼は、


「で?どうするつもりだ?また、時を巻き戻すのか?」

とセーラに訊ねた。


「もちろんよ。彼の命が救えるまで」

セーラのその声には、迷いはないようだ。 それを聞いて鏡の男は、


「セーラ残念だが、今度が最後だ」

と、淡々と答えた。


「そう…最後なのね。私の寿命はもう?」


「残り僅かだな。次に時を巻き戻せば、例えあの男を救えたとしても、お前はその後、一年も生きられないだろう」

男の言葉にセーラは、


「そう…なら、もう失敗は許されないわね。私の命はどうでも良いのよ。彼さえ…彼さえ助ける事が出来れば」

と言って、鏡の男を見つめた。

男はセーラに、


「セーラ。俺はお前を気に入っている。そこで一つ提案だ。セーラ、その男への想いをお前の心から消し去ってやろうか?そうすれば、どんな結末になったとしても、お前はもう苦しまなくて済む」

と、驚く程優しげに言った。


「ダメ!これを失くしてしまったら…私は自分の意思を持たない、ただの人形になってしまうわ。 ……この恋が…彼を愛するこの気持ちだけが、私が自由に出来る唯一の物なの。……宝物なのよ」

とセーラが言うと、男は、


「王妃と言うのは、不自由なものだな。人間とは……愚かでそして、面白い」

そう言うと、


「さあ、セーラ、近付いて目を閉じるんだ」

と鏡の前のセーラに話しかけた。

セーラは少し前に出ると目をそっと閉じた。もう慣れたものだ。

そして、暫くして目を開けると、そこにはもう男の姿はなく、白い髪に紫の瞳の自分の姿が映し出されているだけだった。


セーラはもうこの三ヶ月間を何度も何度も繰り返していた。 全ては愛する男を救う為。

しかし何度繰り返してもリカルドが死ぬ運命を変えられずにいた。

そして、リカルドを殺すのは、いつも、自分の夫であるサミュエルなのだ。

リカルドの死ぬ理由は、その時、その時で変化した。

ある時はスパイ容疑。ある時は国王暗殺計画の首謀者、またある時は国家転覆を狙うテロリストの頭。

罪状は違えど、彼が死ぬ運命に変わりはない。

殺され方も、処刑であったり、拷問であったり、その場で殺されたりと多岐に渡る。

しかし何故かその全ての場に、セーラは居合わせた。 愛する者の死を目の前で見せつけられるという地獄。

セーラの精神もそろそろ限界だった。

セーラは自分の運命も呪ったが、命を落とす彼に比べれば、自分なんて……そう思うしか自分を保つ術はなかった。

王妃である彼女は、自分の感情を押し殺さなければならない。人前で涙を流すなど、有ってはならない事だった。


あの男に貰った、最後の三ヶ月が始まった。 毎回、リカルドがどんな罪を犯すのか、それが分からずにセーラの対応は後手に回っていた。

しかし、今回は最後のチャンス。

そんな悠長な事は言っていられない。

セーラは陛下の周囲に殊更目を光らせた。 怪しいと思われる物や人を徹底的に排除していく。

いつもなら、そろそろリカルドの不穏な噂が流れてくる筈だ。 そう思っていたのだが、今回は今までになく、何故か静かだった。

辺境に不穏な動きもなければ、隣国との小競り合いもない。

こんな事は今までに無かった。

セーラは戸惑った。 リカルドの命の期限はいつも同じ日だった。

その日があと一ヶ月後に迫った頃、王宮では舞踏会が開かれる。それは今回も同じだった。

今までなら、この舞踏会で、リカルドの国家への反逆心を周りに印象付ける出来事が起こるのだ。

そして、セーラは今までそれを必死に回避する為に動いていたのだが、今回はどうなるのだろうか?

彼女は、何があってもリカルドを陛下と接触させないようにする事を心に決め、舞踏会に望んだ。

セーラはローレンス辺境伯が出席する事は出席者のリストから知っていた。

そして今まで何度繰り返してもそれは変わる事はなかった筈だったのに……今回の舞踏会に、リカルドの姿は無かった。

何が起こっているのだろうか?セーラは困惑していた。

嫌になる程繰り返してきた筈なのに……今までにない展開に、戸惑うばかりだ。

そして舞踏会はセーラの予想を裏切るように、何事もなく無事に幕を降ろした。


舞踏会が終わったその夜。セーラは眠れずにいた。

今までならば、舞踏会で陛下とリカルドが対立し、それを多くの貴族が目撃してしまう。その事でリカルドの立場はどんどんと悪くなっていく……筈だった。

しかし、今回はどうだ。リカルド自身の姿すら、セーラは見ることもなかった。

もしかしたら……今度こそ彼を救えるのではないか。そんな事を考えてしまう。

セーラはますます目が冴えてしまった。

眠れなくなったセーラは寝台を降り、ガウンを羽織った。 月が綺麗な晩だ。月明かりが青白く部屋の中を照らしていた。

セーラは誘われるようにバルコニーに続く窓へと近づく。 ふと……何かが見えた気がした。

セーラはそっと窓を開け、バルコニーへと体を滑らせる。すると、いきなりセーラは背後から抱き締められる様に口を手で覆われた。

恐怖が体を支配する。……声は出せなかった。

セーラの背後の人物が、セーラへと声を掛ける。


「驚かせてしまって申し訳ありません。怪しい者ではありません」

セーラはその声の主を知っていた。思わず体の力が抜けるが、口は塞がれている為、声は出せない。

背後の人物は続けて、


「声を……出さないと約束して下さいますか?手荒な真似は、致しませんので」

と小声でセーラへと話しかけた。

その声はどこか切羽詰まっているようにセーラには思えた。

セーラは声を出せない為、代わりに大きく頷いた。

彼が困る事など、するつもりはない。

安心して欲しくて、セーラは自分の口を覆っていた大きな手の甲をそっと撫でた。

彼もセーラの気持ちがわかったのだろうか? ゆっくりと手を離すと、また小声で、


「私の名は……」

と名乗ろうとした。

それをセーラは遮るように、彼にだけ聞こえるぐらいの声で、


「リカルド・ローレンス辺境伯様ですね?」 と、愛しい人の名前を呼んだ。

心の中で繰り返し繰り返し呼んだ名前だが、口に出すのは初めてだった。


「私の事……よくわかりましたね」

セーラには当たり前の事だが、その理由を告げる事は出来ない。

セーラが黙っていると、


「こんな場所に忍び込んだ無礼をお詫びいたします。しかし、どうしても妃陛下に聞いていただきたい話があるのです」

とリカルドはここへ来た理由について話しをしたいと言った。

セーラはまた大きく頷いた。

背中に感じる彼の温もりに泣きそうになる。 何度も何度も繰り返した人生の中で、彼にここまで近づいたのは初めてだ。

リカルドは、


「今から私が話す事……妃陛下にとっては荒唐無稽で信じられない話だと思いますが全て真実です。聞いて頂けますか?」

と言うと、セーラの前に回った。

月明かりの下、セーラとリカルドは初めて見つめ合った。……いや…初めてではない。 セーラとリカルドはずっと昔。二人がまだ子どもであった時に……出逢っていたのだ。


「実は、私は一度いや…何度も、何度も人生をやり直しているのです」

リカルドの告白にセーラは息を飲んだ。 ……まさか……リカルドも?

セーラの顔は青ざめた。

それを見たリカルドは、セーラに自分の頭がおかしくなったと勘違いされたと思い、はっきりと、


「妃陛下が信じられないのも無理はありません。しかし、本当なのです。事実、私は何度も何度も……殺されました」

今度こそ、セーラは我慢出来ずに声を漏らした。


「どうして…?どうして…貴方にその記憶が残っているの…?」 と。

それを聞いて驚いたのはリカルドだ。

信じてもらえない話だろうとは思っていたが、セーラの口から出た言葉は予想すらしていなかった。

驚いたリカルドが黙っていると、


「貴方には……自分が殺された記憶があるの?それなのに…何度も何度も……その地獄を味わったと言うの?…私のせいで……私のせいだわ…」

そうセーラは言うと、セーラの瞳からはポロポロと涙が零れた。

思わず、リカルドはその涙を指で拭うと、


「妃陛下。私の言葉を信じて下さったのですね?そして、妃陛下も……秘密を抱えているのでは?」

とセーラの美しい瞳を覗き込んだ。

セーラの涙が止まる事はない。

リカルドは自分の繰り返した人生について話す事にした。


「私が時を最初に巻き戻したのは……妃陛下、貴女が処刑されたからです」

セーラは首を傾げる。

何度も何度も繰り返した人生の中に、自分が処刑された記憶などない。

しかし、リカルドは続けて、


「妃陛下は、国家反逆罪に問われ、その生涯を終えました。

私がそれを知ったのは隣国との小競り合いを終え、王都へ報告に来た時でした。

既に…貴方の亡骸は墓地へと埋葬されていて、私は……私は…その墓地で貴方を助けたかったと…声をあげて泣きました。

泣いて…泣いて…ふと気づくと、辺りは真っ暗になっていた。

そこで…声が聞こえました。『願いを叶えたいか?』と。

私は一も二もなくその声にすがり付いた。

どうしても貴方を救いたかった。そこで目の前が真っ暗になって……気づくと、三ヶ月前に戻っていました。 私はそこから、どうにかして貴方を助けようと色々な策を練った。……貴女の罪は冤罪だったが、真犯人はわからないまま。それならば、私が犯人になれば良いと思った。

その案は……案外上手くいきました。 私は犯罪者として裁かれる事になりましたが、貴女を救う事が出来た。それで良かったんだ。なのに……私が処刑された瞬間、また三ヶ月前に戻ってしまっていたのです」

セーラはリカルドの話に驚くばかりだ。 時を巻き戻している事が信じられないのではない。

自分だって何度も繰り返した。

セーラが驚いているのはそこではない。 セーラはリカルドが話始めてからずっと黙って聞いていたのだが、我慢出来ずに口を挟んだ。


「では二回目に戻った時も……私を助ける為に?」


「はい、そうです。二回目も上手く自分が罪を被る事が出来ました。……なのに、私が死んだ途端に三ヶ月前に戻されてしまうのです。何が何だかわかりませんでしたが、私は何回でも同じ事をしました。

貴女を救う為なら自分の命など、どうでも良かった。 しかし何回繰り返しても、三ヶ月前に戻ってしまう。

そして、私は一つの仮説を立てました。私が『死』を選ぶと、またやり直しをさせられる。私は死ぬべきではないのではないか……そう考えましたが、それで貴女がこの世から消えてしまうのは本末転倒です。

ですから、今回私は、今まで何もして来なかった。小競り合いだけは直ぐに片付けましたが、今までと全く違う行動をとる事にしたのです。

……それが、今です。 事実を貴女に話して……そして貴女と一緒に生きよう、そう考えました」

リカルドはそう言うと、セーラの肩に手を置いた。 セーラの答えを待つように。


「私と生きる?」

セーラは首を傾げ、リカルドを見上げた。


「そうです。私も貴女も死んではダメなのです。共に生きる道を探さねばなりません」 リカルドは真剣だ。


「どうして……どうして貴方はそこまで私を?」

セーラは確認せずにはいられなかった。どうしてリカルドは自分の命を捨ててまで、セーラを助けようとしたのかを。


「妃陛下……貴女はきっと覚えていないでしょうが、私と貴女は子どもの頃に……出会っているのです」


「!!そんな……貴方は私を、覚えているの?だって私は……あの時の私とは違って……」


「例え髪の色が変わっていようとも、私が貴女を見間違える筈はありません。私の心はあの時からずっと、貴女に捕らえられたままだ」 セーラはきっと《《あの時》》の少女が自分だと、リカルドには気付かれていないと思っていた。 セーラの髪はあの後の事件のショックで綺麗な金髪から、真っ白に変わってしまっていたのだから。


セーラは公爵令嬢だった。生まれた時から既にこの国の王太子殿下の婚約者になる星の下へ生まれた娘だ。

そこにセーラの意思など関係はない。

しかしセーラは子どもの頃、肺の病を患ってしまった。

肺の病には空気の綺麗な場所での療養が良いだろうとの事で辺境の近くにある保養地で子ども時代の数年をセーラは過ごす事になる。 王太子殿下の婚約者であるセーラが病弱だと知られるのは何かと不味いとの事で、セーラがその場所で療養している事は極秘にされた。

セーラは療養の甲斐もあって、どんどんと体調が良くなった。

そんなある日、退屈になったセーラは禁じられていた森に探検に出掛けた。

……奥深くまで入らなければ、誰にもバレないだろう。そう軽く考えて。

しかしその森でセーラは迷子になった。そして、その森に住む獣に襲われた。

それを助けたのが、セーラより少し歳上に見える、大柄な男の子だったのだ。

セーラはリカルドの頬にある大きな傷に触れると、


「これは……あの時の傷ね」

と指でその痕を撫でた。


「貴女を救った、名誉の負傷です」

そうリカルドは微笑んだ。

あの時、獣の爪はリカルドの頬を切り裂いた。 セーラは泣きじゃくりながら、リカルドに謝罪をした事を思い出した。


「あの時は……ごめんなさい。きちんとお礼も出来なかった」

セーラが改めて謝罪すると、


「言ったでしょう?『俺もこの森に入ったのがバレると不味い。二人の秘密にしよう』と」

とリカルドはセーラの心の負担を軽くするように、そう言った。


「私があそこで療養していた事は今も内緒なの。体の弱い王妃なんて……みっともないと」


「……それは、陛下のお言葉ですか?」

リカルドの問いにセーラは曖昧に微笑んだ。


セーラは自分の過ちに気付き、また涙を流し始めた。


「私は、貴方に何て事をしてしまったのかしら。何度も殺されるなんて……どれだけ辛かった事でしょう……」

リカルドはセーラの頬に伝う涙をまた拭うと、


「貴女が処刑されたと聞いた時の方が、どれほど辛かったか。あの時の絶望を思えば、自分が死ぬ事など、何て事はありませんでした。……私からも一つ聞いても良いでしょうか?」

リカルドは自分の中の疑問に答えが欲しかった。出来れば自分の望む答えが。


「妃陛下……貴女はどうして私を助けようとして下さったのですか?それはあの時、あの子どもの時に私が貴女を助けたからですか?」

リカルドは願った。

どうか違うと言って欲しいと。

出来れば自分と同じ理由であって欲しいと。 セーラは自分の頬に置かれたリカルドの手に、そっと自分の手を重ねると、


「きっと貴方と同じ。私も絶望したの……貴方がこの世からいなくなった時に」

と答えた。


「で、では!妃陛下。こんな事を私が言うのは……本当は間違っているとわかっています。しかし私は、貴女を愛しています。私と共に……ここから逃げましょう」

リカルドは、自分の手に重ねられたセーラの手を握ると真剣な目でセーラに告げた。


「逃げる?」

セーラは今の今まで、どんなにこの場所の居心地が悪くても、逃げ出す事を考えた事がなかった自分にびっくりした。


「そうです。私と、ともに逃げましょう」


「ダメよ!貴方はローレンス辺境伯なのよ?領地は?領民は?辺境の兵士達はどうするの?!」


「それは心配いりません。私は辺境伯の座を従兄弟に譲りました。今日の舞踏会には、そいつが出席していた筈ですが?」

セーラは舞踏会にリカルドの姿が見えなかった理由に、今初めて気がついた。

リカルドの姿ばかりを探していた自分は、大切な事に気づいていなかったのだと。


「貴方……もしかして始めから私と逃げるつもりで?」

セーラは思わず尋ねていた。

自分が逃げないと言ったら、彼はどうするつもりだったのかと。


「この王宮で、妃陛下の扱いが不当なものである事は噂で聞いておりました。貴女に断られても、拐って逃げるつもりでした」

リカルドは、まるで自分が王宮で虐げられているかのように顔を歪めた。


「そう……。確かに噂にもなっているものね。まさか辺境にまでその噂が届いていると思わなかったわ」

この国の王が側妃を寵愛し、王妃を蔑ろにしている事は王都に住む貴族ならば誰もが知る所だ。

しかし、セーラはそれを不幸だと思った事はない。

セーラの不幸はリカルドがこの世から消え去る事のみだ。

両親も殺され、叔父夫婦が公爵家を乗っ取った。叔父夫婦はセーラを王太子の婚約者から外し、自分の娘をその座におさめようとしたが、王家からの許可が得られず、仕方なくセーラを養育したに過ぎない。そこに愛は皆無だった。

セーラには心を砕く相手など、リカルドしかいなかったのだ。

自分が逃げた所で、この王宮の者達が困ることなどないではないか……セーラはそう思った。

なら、リカルドと共に、此処を去っても良いのではないか……しかし、セーラには一つリカルドに告げなければならない事がある。 それは、


「……だめよ。例え逃げても私はもう、そんなに生きる事は出来ないの」

セーラがそう言って俯くと、


「何故?!何故です?二人が共に生きていく未来を探せば良い。私も貴女も此処に居なければ、死ぬ必要などない筈なのです。 私は辺境伯で無くなりました。もちろん、貴族でもありません。裕福な暮らしはさせてあげられないかもしれないが、蓄えなら少しはありますし、死ぬ気で働きます。苦労はさせない!……ように頑張ります。 だから、この手を取って下さい。私は貴女と生きていきたい」

リカルドの必死な言葉にセーラは嬉しくなってしまう。

しかし、の言葉を思い出し、途端にセーラの表情は曇った。

……自分の寿命はもうあまり残されていない事を思って。


「リカルド様。私にはもうあまり時間が残っていないの。もし貴方のこの手を取って、共に生きる決意をしても……貴方と一緒に居られる時間はごく僅か。きっと一年にも満たないわ」


「……どういう事なのです?」

リカルドの声は震えていた。


「私、何度も何度も同じをなぞったの。でも、そんな奇跡を起こすには、代償が必要だったの」

というセーラの言葉に、リカルドは全てを悟った。


「……貴女の時間が余り残されていないのであれば、尚更。私は貴女の最期の時をこんな牢獄のような場所で過ごして欲しくない。私は貴女の心からの笑顔が見たいのです」

そうリカルドは言うと、セーラの頬を両手で包み込んだ。

その言葉にセーラの頬は再び涙で濡れていく。


「笑顔……。私、どうやって笑うのか、それすらも忘れてしまったわ」


「私がきっと思い出させてみせます」

リカルドはそのまま、セーラの顔を少し上に向けると、そっとセーラに口づけた。 セーラははにかんだように少し微笑むと、


「私をここから、連れて逃げてくれる?私もこんな場所で死にたくない。最期は貴方の腕の中が良いわ」

とリカルドの胸に顔を埋めた。 リカルドはセーラをきつく抱き締める。


「もちろんです。もう二度と貴女を離さないと誓います」

そのリカルドの言葉に、セーラも、


「私も……私の命が尽きるまで、貴方と共に生きると誓うわ」

と答えると、二人は再び口づけを交わした。


その日、この国の王妃が消えた。


国王サミュエルは血眼になって、セーラを探した。


「セーラを!早くセーラを見つけ出せ!どんな手段を使っても探し出すんだ!」

王妃を蔑ろにし、側妃を優遇してばかりだったサミュエルの変化に、側近達も驚きを隠せなかった。


「セーラ……セーラ……」

国王は消えた王妃の名を呼ぶが、応える者はもう居ない。

サミュエルは嘆き悲しみ、塞ぎ混むようになり、日に日に弱っていった。

あれほど寵愛していた側妃を王妃に迎える事もなく、周りが諦めるように言っても、最後の最後まで、セーラを探し求めた。




「あんた達、旅をしているのかい?」


「あぁ。妻が色んな景色を見たいと言うんでね。しかし、そろそろ腰を据えようかと思ってるんだ。

ここら辺に用心棒を雇ってくれそうな金持ちはいないかな?」

頬に傷のある大きな男が、宿屋の女将に訊ねた。

隣には綺麗な女性が佇んでいる。 女性の髪は真っ白だが、とても美しく、彼女の儚げな雰囲気に合っていた。


「あんた、力がありそうだもんね。なら、ここから少し先に行った街に大きな商会があるから、そこを訪ねてみたらどうだい?

力仕事で人手が要るって言ってたよ。 あの街なら、暮らすにも便利だ。奥さんもきっと気に入るよ」

女将はそう言って、隣の女性に微笑んだ。

女性は、


「ねぇ、あなた、行ってみましょう?楽しみだわ」

と、夫の腕に手を添え笑った。そして、


「女将さん、お世話になりました。ありがとう」

と礼を言うと、二人は微笑み合って、宿屋を後にした。

女将は仲睦まじい様子の二人が小さくなるまで見送った。

二人の傍らには大きなカラスが一羽飛んでいる。


「あのカラス……そう言えばここに来た時も一緒に居たね。まるで二人を見守ってるようじゃないか……不思議な事もあるもんだ」 女将の独り言は日常の喧騒に紛れて消えていった。

ーFinー

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