第8話 特別に優れていた、とかじゃあなくて

 心霊現象には二種類が存在する。


 死者、生者問わず、霊魂や残留思念、想念が引き起こす、いわゆる「本物」と、そして、人の恐怖や不安といった負の感情によって引き起こされる、人の心が産み出す……「偽物」だ。


 妖怪学の権威である井上円了は、『実怪』と『虚怪』とそれを分類・呼称した。

 虚怪とは、人間が産み出した怪異であり、「虚ろ」な「怪異」で「虚怪」と呼ぶ。

「虚怪」はさらに「誤怪」と「偽怪」の2つに別れ、「誤怪」とは人間が恐怖心などによっての見間違えや、錯覚のことを指す。

 いわゆる「幽霊の正体見たり枯れ尾花」であり、勘違いや誤解から生じるものである。

 一方、「偽怪」は人間によって「意図的に」作り上げた偽物の怪異である。

 詐欺師に分類される霊能者たちが作り出す自作自演の霊感商法、あるいはエンターテイメントとして創り出された虚像もこれに分類される。

 

「実怪」とは「虚怪」とは違い、実際に現実で起きた現象である。

 しかし「実際に起きた」といっても、それが本当に超常現象だとは限ら無いので注意が必要だ。そして「実怪」もふたつに分類される。

 まず「仮怪」……「仮怪」とは実際に起きた超常現象を指す。

 現実とは、現代科学で全てが説明できるとは限らない。だが、それでも……現実である以上は宇宙の法則、因果律によってすべては動いている。

 現実に起きた以上、解明も再現も可能である。これが「仮怪」だ。

 例えば、金縛りや幽体離脱、コックリさんなどは科学で説明出来る。

 だが……科学で説明できるからといって、だから科学でしかない、という事では決してない。

 科学かもしれない。心理学かもしれない。本物の霊によるものかもしれない。

 実在するが、しかし「かもしれない」……故に、「仮に怪としておく」から「仮怪」である。


 そして、「真怪」。


 検証による検証、推論による推論、それらを重ねて重ねてなお、全ての贋物を駆逐し、全ての超常現象、怪異を解明してなお残った真実の不可思議……これこそが「真怪」だ。


 心霊現象に二通りがあるなら――霊能者もまた、二通りが存在する。

 こちらも、「本物」と「偽物」だ。

 死者の残した思い、生者の放つ想念を視て、対処し、操る事すら出来る、本当の霊能力者と――

 霊を視る事も出来ず、対処も出来ないのに霊能者を名乗る偽物だ。

 その偽物にも大まかに2種類に分けられる。

 米国のキャンプ・ウィンチェスターフィールドという心霊協会に所属していた霊能者M・ロマー・キールはそれを自著の中で、「眠っているタイプ」「目覚めているタイプ」と呼称していた。

「眠っているタイプ」は素直に霊を信じ、自身に霊能力があると信じている者たちである。


 彼らは自身が霊界からの波動を受け取っていると心から信じ込み、愛と正義のために動いている、と思い込んでいる。

 彼らの多くに悪意は無く、自己犠牲をモットーに人助け、ボランティアにいそしんでいる。

 故に業界からはイメージアップにつながるので、心霊業界をうろつく事、所属する事を許されている。


 対して、「目覚めているタイプ」は……自分たちがイカサマ師、詐欺師であることを理解しているものたちだ。

 霊の実在を信じている、知っている者もいれば、全く信じていない否定派もいる。

 彼らは心理学、奇術、科学などの知識を活用し、心霊現象と除霊を華麗に演出して見せる。

 彼らこそが、世界中に存在する心霊協会の中枢を担っている。

 本物の霊能者と、それを利用する「目覚めている」偽の霊能者……彼らが、日本の心霊協会を動かしているのだ。


 意外な事に、「本物」と「偽物」は敵対していないのが実情である。

 互いに利用し合い、手を携えているのだ。

 中には敵対している者たちも当然いるだろうが……少なくとも、「東京霊智協会」では、最強の「本物」の霊能者、枢天城を頂点に、組織としてまとまっている。

 まとまっている、のだが……詐欺師が多く在籍していながらまとまっている、ということは、即ち、本物の霊能者たちもまた、霊能力による詐欺や既得権益などを「是」としているということだ。


 そう、かつて鈴白さんが言った、「最初は皆正しい志を持つが、汚れ堕ちていく」というのはそういうことなのだ。




「故に、私は独立した部署、直属の部下を欲している」


 東京の下北沢にあるカフェ、『HOUDINUI』にて、鈴白さんはそう言った。


『HOUDINUI』は草薙さんが働いている職場でもあり、鈴白さんの息のかかった本拠地であるという。


「お前には、一から霊能者としての訓練を行ってもらうことになる」

「鈴白さんが……私に指導を?」

「自惚れるな私が直々に稽古を付けるほどの価値は貴様にはないし私は忙しい」


 そう鈴白さんは言う。ちょっと早口だったように聞こえたのは気のせいだろうか。

 気のせいだろう。


「当初の予定通りだよ。俺が指導する」


 草薙さんがそう言ってくれる。


「はい。よ、よろしくお願いします」


 そして、私の訓練が始まった。

 といっても、別段大したことは行わないらしい。

 私には霊感がある。霊感がない人間を鍛える場合、まず霊を視れるようになる訓練から行うが、そこは短縮できるからだとか。

 そして私は、あまり知りたくなかった、だけど腑に落ちる答えを聞くことになった。


「霊が視える……ということは、特別に優れた、選ばれた者ということではないんだ」


 そう草薙さんは言う。


「人間には、霊的な防御力が備わっている。

 幽体、と我々は呼んでいるが、それは見た事あるだろう。俗にいうオーラでもある」

「ああ、それなら……」


 目を凝らしたら視える。

 人の周囲を囲っている、色というか、光というか……そんなものだ。


「人体を多い、重なるように存在しているそれが、他者の念や死者の……霊的な波動から自身を守っている。

 この幽体があるから、人はそう簡単に霊障にあう事が無い、バリヤーのようなものだ」


 草薙さんの説明では、その幽体の防御は、肉体でいう所の免疫機能のようなものだという。

 それらの防御が、心身の疲弊、あるいは病などで落ちるとどうなるか。

 肉体の免疫力が低下したら、病原菌が体内に入り込んで病気になる。それと同じで、幽体の防御が著しく低下した場合……。


「死者の念、他者の想念が幽体の防御を突き抜けて、入り込んでくる。そしてそれらの想念波動が原因で心身の不調、幻覚幻聴などが起きるわけだ」


 幻覚、幻聴。

 それはつまり……私の視ている霊の姿は、幻覚にすぎないということだ。


「幻覚、という言葉を使うと、吹けば消える程度のまやかし……と思ってしまうかもしれないが違う。

 それは幻覚の実相を知らない者が想像しているだけのものだ。

 幻覚は、それを視ている本人からしたら現実と相違ないものだ。夢を見ている時、その主観からしたら現実と変わりないだろう。

 それと同じなんだ。

 死者の念に触れてしまい、反応してしまったがために、それを原因として視る幻覚……それが、霊の姿。

 つまり、“霊感が強い”というのは……


 ……。

 それは、考えたことがなかった。

 弱いから。だから視えてしまう、感じてしまう。なるほど、確かに……理にかなっている。


 そして、私は驚くほどすんなりと、それを受け入れた。


「そっか……。私は、特別に優れていた、とかじゃあなくて」


 常人より劣っていたんだ。

 その事実に、心が軽くなった気すらした。

 選ばれた特別な力を持っている……というのではない。虚弱体質とか、アレルギー体質とか、そういったものに近かったのだ。


「そう、それが霊感がある者の正体だ。優れたエリート、選ばれた特別な者じゃあない。

 そしてそれは、しかし“特別に劣った者でもない”ということだ。

 幽体の防御力が弱いから霊が視える。

 それはつまり……」

「草薙さんがさっきも言った……心身の疲弊や病気なんかで幽体が弱くなった時も」

「そう、視える。

 ふだんから霊感が強いとされていない者でも条件によって視えるのはそういうことだ。

 よくあるだろう、看護師や残業の社員などがよく心霊現象にあうという話。

 それは……」

「苛酷な環境で、幽体の防御力が弱まるから……?」

「その通りだ」


 他にも、波長が合う、霊の力が強力で常人の防御力すら突破する、などの場合もあるが……。

 霊を視てしまう、ということはつまり、特別な事ではないということだ。


「――故に在野の、“本当に”霊感の強い人間は悩み苦しみ、そして潰れていくことが多い。

 何故か、というとそれは単純に耐えられないからだ。

 免疫過敏やアレルギー体質の人間、そういった人たちが正しい対策をせずに生きていたら、体がもたないのと同じように」


 ……だとすると、私は……。

 私も、そのうち……?


 しかし草薙さんはそれを否定した。


「それでも、潰れてしまわない霊感もちがいる。どういう人間かわかるか?」

「……それは」


 わからない。


「何度も幽体が弱り、あるいは生来に幽体が脆弱で、他者死者の念に影響されやすく。

 しかし、今は常人並みに幽体が回復した人間だ。

 こういう話があるだろう、幼いころに病気や事故で生死の境をさまよった後に、霊的な力に目覚めた――という話。

 それはそういうことだ。

 幽体の霊的防御が弱まり、他者や死者の想念に当てられて幻覚幻聴が起きる体験をしたことで、“そういうことがある”と自身の心が、魂がそれを体験し認識し記憶した。

 一度自転車に乗れた人間は、何度でも乗れる」


 ……。

 つまり、小さいころに私は、幽体が弱まり、霊が見える体験をした……ということなのだろう。


「心当たりは……ありますね」


 私自身は覚えていないけど、幼いころに神隠しにあったという。

 きっと、その時だろう。その時に、私の霊的防御は著しく弱まったのだ。後に霊が見えるという“後遺症”を残すほど。


「だから、まず最初の霊感獲得の訓練は除外する。

 本来は山籠もりのようなことをして滝行や断食、徹夜を行い、一時的に疲弊させて霊的防御を落とし、幻覚――霊を見せ、回復させ、それを繰り返すんだ。

 やがて、平常時でも見えるようになるまで」


 それは密教や修験道で行われている手法だと言う。

 禅では、そうやって修行をした果てに現れる神仏のお告げを、それは幻覚であり魔境であると切って捨てる事で、世界は己の心から出来ている空であり無であるという実感を得る――というものらしいけど。

 なお、そういったやり方なので、お師匠様はもう一度霊感獲得の修行をしても無駄らしい。お師匠様は根本的な感覚部分――神経のようなものから壊れているからもう意味が無いのだとか。


「じゃあ、私はどんな修行を――?」

「俺がお前に求めているのは、俺の目の代わりとなることだ。

 すでに視えるなら、その精度を上げるようにしてもらう。

 お前の視えるもの――その幻視が、原因が何であるかを判別できるように」



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