第3話 君を霊能者にする男だ
私は……無力だ。
何をやっているんだろう。
私はそのままスピフェスを追い出された。
私には、あのオカえもんが言っている水子なんて視えなかった。今まで赤ん坊の霊が視えた事なんて無い。
だけど、私の言う事なんて誰も聞いてくれなかった。
それどころか……
あの日から、学校での私の居場所はなくなった。
その場にいた友人たちは私から離れていった。
あの一連のやり取りも、そのまま動画配信されてしまったのだ。
私は、一度だって赤子を堕胎したことなんて無い。なのに……。
「……はあ」
何をやっているのだろう。
私は自分がよくわからない。あんな場面では、無視するのが私の生き方、処世術だったはずだ。私はドライな女だったはず。
なのに、なぜあんなことをしてしまったのか。
そして結局、力も言葉も足りず、何もできなかった。
「おい、あれ見ろよ」
「うっそ、マジ? 本物じゃん!」
私が一人で歩いていると、通りすがりの男子たちが立ち止まった。ニヤついた顔でこちらを見ている。
「あいつ確か……幽霊が視えるとかなんとか……」
「しかもヤリマンだってよ」
「うひゃー、マジで? 俺も相手してもらおうかな」
「でもよぉ、あんなオカルト女じゃあなぁ」
「ああ、それに妊娠してんだろ? 無理だって」
下品な笑い声を上げながら彼らは去っていく。
私は、彼らから顔を背けるようにしてその場を離れた。
しばらく歩くと、そこは駅のホームだった。
「……」
手招きをしている影が視える。
こいよ、と。声なき声が私に語り掛ける。
飛び込めば楽になれると。
そうだろうか。本当に?
死が終わりではないと私は知っている。
いや、本当にそうなのか? 私の視ているものはただの妄想、幻覚でしかなく、死ねばそれで終わるのかもしれない。
試してみる価値はあるのだろうか。
どうせ私の居場所なんてない。学校での居場所もなくなった。ネットでも私の悪評は広まった。
中学の時に反省して、高校でやり直して上手く世渡りしていたはずなのに、全てが台無しだ。
もう、疲れてしまった。
そうだ、もう私の居場所はない。
現実にも、仮想にも、どこにも。
……もう、疲れた。どうでもいいとすら思う。
だったら。
このまま一歩を踏み出せば、全てがはっきりするのか――
楽に、なれるのだろうか。
そう思い、私は導かれるままに、一歩を――――
「多くの宗教で自殺は罪と言われるが、それは案外正鵠を射ている。
自殺した場合、死の瞬間に囚われ、魂はそれを繰り返す――ああ、ある意味事実だ。
君には、それが視えているはずだろうに」
私の靄がかかった頭の中を一気に晴らすように、無慈悲で無遠慮な言葉が響いた。
私は我に返る。
――私は何をしていた? こんなの、私のキャラではない。何かに引きずられていた――?
しかし、間に合わない。
私の身体は線路の上に躍り出て、そして電車が――
その瞬間、私の腕が捕まれ、思い切り引っ張られた。
さっき視えていた影ではない。肉の腕だ。誰かの手が、確かな体温と共に私を掴んだ。
この感触を――私は、知っている気がする。
覚えていた、そんな気がする。
特急電車が通り過ぎる。私は、無事だった。
「――っ」
汗が噴き出る。何をしようとしてたんだろう、私は。
そう、確かに……自殺した人たちの残滓の末路を、私は視て知っているののに。
「大丈夫か」
そう私に声がかかる。
私を掴んで引っ張ったのは、歳の頃二十代半ばの男性だった。
整った顔立ちで、長髪を後ろで結んでいる。
どこかで見たことがあるような……。
そうだ。
スピリチュアルフェスタで会った男性だ。
「あ、はい……その、ありが……」
私はお礼を言おうとするが、それより先に男性は言った。
「赤子は化け物ではない――か」
「え……?」
その言葉は。
「水子供養の発祥は、江戸時代の祐天上人と言う僧侶によるものだ。
それまでは赤子が、子供が死ぬのは当たり前であり、「七歳までは神のうち」とも呼ばれ、子供の死を強く悲しむ事は、すくなくとも風習としては無かった。
江戸時代という太平の世になり、赤子の死に親が悼むだけの余裕が生まれ始めたころ、幼子の供養という風習が生まれたという」
彼は、いきなり語り始めた。
何を言っているのだろう。わからない。いや――違う、これは。
「江戸時代に生まれた水子供養の信仰は、亡くなった子の安らぎを祈るもの、ただそれだけだった。
だが、昭和――1970年代に、とある宗教団体が言い出した。
水子は祟る――と。
祟りを鎮めるために供養しなければならない、と。供養代金をむしりとるために、な。
当時のベビーブームの裏には多くの中絶や流産があり、母親たちの罪悪感や後悔がそれと結びつき、爆発的な人気を得た。
それまでは、水子が――赤子が祟るということなど、なかったのに、だ」
彼の目は私に向けられている。
それは――その話は知らなかった。
それが本当なら、水子というのは――水子が母親や親類を祟るというのは――!
「中絶や流産はデリケートな問題だ。
自分に身に覚えがなくとも、自分の兄弟が流産していたかもしれない、それを親や親類が隠しているだけかもしれない。
そう、「水子が祟る」という話は誰にでも当てはまり、罪悪感と後悔に付け込む、最も最低で悪辣な霊感商法――それだけだ。
ほんの数十年前に生まれた、捏造された設定だ。
君は言ったな、赤ん坊は化け物ではない――と。
その通りだ」
「え――」
今まで、誰も。
誰も肯定してくれなかった、それを。
「死者の魂が化けて出る――いわゆる幽霊と呼ばれるモノになるには、強い未練や後悔、怨念や執着が必要だ。
さて、思考実験をしてみよう。
何も考えずに、誰かを恨んでみろ。何かに執着してみろ。
何も考えずに、その対象を明確にイメージして」
……。
「そ、そんな……こと」
矛盾している。破綻している。要は考えずに考えろと言っているのだ。
「出来ないだろう。
未練怨み妬み執着憎悪殺意、それらは明確な「言語思考」によって成り立つ。
言葉を使い思考するという知性と精神性を発達させないまま死亡した赤子は、「快」と「不快」しかない赤子は。
どうあっても親や誰かを祟ることなど――出来ないんだ」
「――――――――」
それは。
私がずっと思っていて、しかし言語化できなかったこと。
赤ん坊は化け物ではない、という――その明確な回答だった。
「故に、君は正しい。
水子は祟らない。あの少女に憑いていない。もちろん君自身にも憑いていない。
生まれる事が出来なかったという理由で、母を、兄弟姉妹を親類縁者を、生きているという理由で憎み祟る化け物など――この世にもあの世にも、どこにも存在しないんだ」
「……っ!」
涙が溢れた。
ずっと欲しかった言葉。
ずっと共有したかった世界。
嗚呼、認めよう。認めたくないけど認めよう。
私は、ずっと孤独で、そしてそれに対して、ただ強がっていただけだったのだ。
私は今まで、孤独な異端者を気取り、そしてそういうものだと認められる事も諦めてきた。諦観者を気取り、傍観者ぶっていた。
そうやって、自分を鎧で着飾って守っていただけの――ただの臆病者だ。
私は、ずっと前からわかっていたのに。
「あ……」
そして、彼は私の頭を撫でた。あの時と同じように優しく撫でた。
なぜだろう。その感触だけで、涙が止まらなくなったのだ。
私はその場にへたり込んでしまった。安心したのだ。心の底から安堵していた。
「あ……ありが……とう……ござ……っ」
私は涙でぐしゃぐしゃになった顔で頭を下げた。
彼は黙って私を見下ろしていたが、やがて言った。
「泣くな、八坂奏。その涙はとっておけ。君の戦いはこれから始まるのだから」
「たた……かい……?」
「絶望に打ちひしがれていても、腹の中では怒りに煮えたぎっているんだろう? 君はそういう女だ。
世界の真理を知っているような聖人面をしながらくだらぬ詐欺で女の子を、苦しんでいる人々を食い物にしている連中に対して、怒りを覚えた。
だからあの時――あの女の子を助けようと声をあげた。
自身の諦観と絶望すら踏み越えて」
「……」
この人は何だろう。どこまで……私を理解しているのだろう。
私が理解していない私自身を、どこまで。
「だが今の君では無理だ。
力が無い。
知識がない。人脈がない。経験がない。
全てが圧倒的に足りない。
霊能者という外道相手に――その外道たちが巣食う伏魔殿とも言える組織、腐り果てた業界に対して、その瞳ひとつで戦う事など出来ない――
だが、無いなら手に入れればいい。簡単な事だ」
「あ……あなたは……何なんですか? いったい……」
私の言葉に、彼は笑った。
手を差し伸べながら。
「俺の名は
君を霊能者にする男だ」
それが。
私、八坂奏と、草薙十夜の出会いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます