第1話 ……君は、この世界がどう見えるんだ?

 その病棟は、瘴気に包まれていた。


 普段からそうではない。むしろ、その清浄さは病院の中でも群を抜いていた。

 だが、今は違う。


 そこには間違いなく死の翳りがあり、その濃密な空気に、常人ならば数分と耐える事はできなかっただろう。

 そんな病棟の一角に、彼女はいた。


『お前たちでは、私を祓えぬ。この娘を救う事などできぬ……』


 可憐な少女だった。だが、その花のような唇から紡がれる言葉は、しわがれた身の毛もよだつ男の声だった。

 彼女のいる病室には、何人もの男たちが倒れていた。

 そして、一人だけ……膝をつき、それでも彼女を睨みつける少年。


「悪霊め……」

『そう。この世の全ては、死へと向かう影法師……それを祓いし所で、何になる? 光など存在せぬのだ。この娘を救う事もできぬ』


 少女の姿で、悪霊は笑う。そして、少年の顔を掴み上げる。


「うぐっ……」

『この娘が患っておるは、私の病……いや、呪い。それを祓う術など、お前にはない』


 少女はそういいながら、少年の身体を持ち上げる。その細腕で、大人の身体を持ち上げているのだ。


「あ……ぁが……」


 苦痛に歪む少年の顔。そこに、少女は手を添える。

 そして、少女はその少女の声で、甘く優しく囁いた。


「――愛しいひと。あ な た に、私 は 救 え な い」


 そして、少年の身体が燃える。


「あ、あがあああああっ!」


 それは物理的な炎ではない。霊障の炎、呪詛の炎。物質を焼かず、ただ人体を、魂を焼き蝕む炎。その痛みは、この世のあらゆる苦痛を合わせた所でまだ足りぬだろう。


「ぐ……あ……」

『そして、これからも……汝には、誰も救えない。もはや汝には、視えず、感じず、繋がれぬのだから……』


 少年は倒れる。そしてそれを見届けて嗤った少女も、そのまま倒れ、動くことは無かった。


 死者十八名、重傷者二名、そして『協会』よりの追放者一名。それが、指定未解決心霊事件第13号、「閉鎖病棟の眠り姫」事件の顛末であった。



 それから、十年の時が過ぎた。



 ◇


 街を歩いていると、よく「それ」を視る。視てしまう。


 しかし、私、八坂奏やさかかなではそれを無視する。

 反応してしまうと、大抵はろくなことにならないからだ、いろんな意味で。

 それらに、基本的に意思や人格は無い。しかし、あるように動く。

 そして人に憑りついて害を成す。


 それが、私の視えるもの……霊というモノだ。


 しかし、私は視えないフリをする。霊に対しても、そして生きている人間に対してもだ。だって、面倒なのだ。

 深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ……という言葉があるがあれは本当だと思う。

 触らぬ神に祟りなしとも言う。あるいは、藪をつついて蛇を出す、か。


 私は、放課後の校舎を何事もなく歩く。


「どうしたの?」


 そんな私を見て、隣にいる友人は聞く。


「別に、なんでもないよ」


 私は答える。そう、なんでもないのだ。

 学校の窓の外に立っている人間の姿も、なんでもない。ここは二階だけど、だから何だ。

 教室で数人でこっくりさんだかキューピッドさんだかエンジェル様だかをやっている女子生徒たちの一人の肩に、何か黒いものが憑いているとしても、知った事ではない。

 不義理? 不親切? 違うのだ。そういったものがある、と下手な義侠心を発揮させて首を突っ込むと、悪化することは往々にある。知らない、視えない事は「無い」と同じだ。

 だから私は無視をする。


 人間社会で生きるということは、面倒事を避けつつ上手く立ち回る事だ。だから私は、関わらない。

 関わりたくない。ただただ平凡に普通の青春をする。

 それが私、八坂奏の生き方である。




「関東スピリチュアルフェスタ?」

「そう、霊能者とかヒーラーとか占い師とか、心霊配信者とかが一堂に集まるイベントだって」


 学校の廊下で、友人が一枚のチラシを私に見せる。そこにはデカデカと「関東スピリチュアルフェスタ」の文字が印刷されていた。


「へぇ……」


 私は興味なさげに応える。こういうのが好きな奴は、本当に好きだな……と思いながら。しかし友人はそんな私に、やや興奮した様子でこう続けるのだ。


「興味ないの? 奏もそういうの、好きじゃなかったっけ?」

「ああ、うんまあ……嫌いじゃない、かな」


 嘘です。大っ嫌いです。

 中学の頃にやらかしてしまい、三年間、私は針の筵というか、ぼっちまっしぐらだったというか。みんな霊をエンタメとして楽しむけれど、ガチなものは引くし、一度異端と認定したら排除しようとするものだった。

 高校進学を期にわざわざ東京まで上京したのも、そんな過去から解放されて、ごく普通の青春を送るため。

 なので、正直そういうのに関わりたくない。


 だけど……ああ、この友人たちの盛り上がり。

 行かないといけないんだろうな……。


「ね、これ行かない? 奏も……」


 そんな私の微妙な気持ちに気付かず、友人は私に言う。私は苦笑しながら……こう答えた。


「……うん、そうだね」


 ああ、本当に私ってヤツは……。


 そして私は、土曜日曜日に友人たちと東京ビッグサイトで行われる、関東スピリチュアルフェスタへと行くことになったのだった。



 ◇

 東京ビッグサイト。

 りんかい線やゆりかもめの国際展示場駅からすぐの、交通の便の良いこの場所にある、国内最大の展示場だ。


 このイベントは、二日間にわたって行われるもので、初日が占い系やパワーストーン系。二日目が霊障相談所とオカルト作家によるトークショーや、ヒーリングのブースなど……といった内容になっていた。


 とはいえ、私はあまり興味が無いので、適当に友人に付き合っていればいいと思っていた。

 友人たちのお目当ては二日目、日曜日のショーであった。なんでも推しの配信者が出演しているらしい。

 私に言わせれば、まあ十中八九偽物、いんちき、詐欺師の類だけど。

 私はああいった霊能者たちを全く信じていない。あいつらは、私と同じものが視えていないからだ。


 中学の時もそうだった。そしてみんなは、何が視えているかではなく、誰が言っているかで判断するものだった。


 有名な霊能者が言っている。テレビに出た心霊研究者が言っている。人気の心霊配信者が言っている。本を出した陰陽師が言っている。クラスの人気者が言っている。

 何かの漫画で、人は情報を食べている……というのがあった。まさにそれだ。人は、何を言ったかだはなく、誰が言ったかで判断し、信用する生き物なのだ。


 なので、私が視えていて、それを言ったところで、彼らもそして彼らを信じる人たちも私を信じず、否定する。


 だからと言って、別にそれに対して今更どうこう言うつもりはない。自分の正当性を主張するつもりもない。

 そもそも、私が視ているもの自体、それが正しいという保証はどこにもないのだ。“正しい”の基準が大多数と迎合するか否かで判断されなら、きっと間違っているのは私の方だろう。


 そしてそれに対して悲観するつもりも絶望するつもりも、ましてや逆らうつもりも私には無い。黙って合わせていればそれですむだけの話だからだ。


「え、えっと……今日は何時からだっけ?」

「心霊配信者のイベントだっけ?」

「うん、本物のガチ霊能者」


 友人たちが話す。彼女らのお目当てらしい。


「あ、ごめん、私トイレ」


 私はそう言う。別に、そのイベントが面倒なのでここで立ち去ろうというわけではない。純粋にもよおしただけだ。そして友人たちがイベント会場に入っていくのを見届けてから、私はトイレに向かう。


 そして何事もなくトイレから出た時、私は誰かとぶつかってしまった。


「あっ!」


 走る人にぶつかってしまった。

 私は体勢を崩す。や。このままでは転倒する。

 いやそれよりも、人混みにチケットが――


 と、思った時。

 私の体と、そして宙に舞うチケットが、誰かの手によって受け止められた。


「――え?」


 私を抱き留めていたのは、年上の男性だった。

 黒いインナーに白いジャケット、長髪を後ろで結んでいる端正な顔の……

 ぶっちゃけ、イケメンだった。


「大丈夫か」

「あっ、ありがとう……ございます」


 私はお礼を言う。すると、


「僕は大丈夫かと聞いたのであって、礼を要求したわけではないのだが」

「え……?」


 帰ってきたのはそんな言葉だった。

 何か間違えたのだろうか。いや、私はいたって普通の反応をしただけだが。

 私が戸惑っていると、彼は私を地面に下ろすと、手に持っていたチケットを見る。


「これも、君のか?」


 男性がチケットを差し出してきたので受け取る。


「あ、はい。ありがとうございます」

「別に大したことじゃない」


 男性は私を見て言う。その隣で、女の人がくすくすと笑っている。……なんか、恥ずかしい。


 ……ん?


「どうかしたか」

「あ、あの、いえなんでもないです」


 彼の隣の人は……生きている人間じゃなかった。


 悪い感じはしない。なんだろう。守護霊……っていうやつなのだろうか。 

 守護霊は誰にでもついている……と言われているけど、私はほとんど見たことが無かったりする。

 それにしても、可愛い。可憐だ。私のような不愛想な芋女とは大違いだと思う。


「ところで君、このイベントに参加するのか?」


 男性の問いに私はこくりと肯く。


「あ、はい。友達の付き添いで、ですけど」


 私が答えると、彼は興味深げに訊ねてくる。


「……君は、この世界がどう見えるんだ?」

「はい?」


 質問の意味が分からず首を傾げる。


「ど、どういう……意味でしょうか?」

「どう見えているか、聞いているんだが」


 そう言われても……困る。何といえばいいのだろうか。クソみたいな世界ですねとでも言えと?


「……幽霊とかが見えたりはするのか?」


 ストレートに言われた。

 しかし、ということはこの人も視える人なのだろうか。


「はい、まあ……そこそこ」


 私は正直に話した。


 何故だろう。こういうことは他人に話しても良い事なんてなかったから、話す気など無かったのだが。不思議だ。


「そうか」


 すると彼は納得したように肯く。


「自慢は、しないのだな」

「してどうするんですか。花粉症やアトピーを自慢するようなものでしょう」


 自分の霊感を誇れる人たちを見て、すごいな、とは思う。なんで自慢できるのだろう。それに私はただ見えるだけだ。彼らを理解したり、喋ったり、力を借りたり、祓ったり……なんて出来ないし、出来るとも思わない。

 私の言葉に男性はふむ……と考え込むような仕草をする。


「そういうものか」

「そういうものだと思います」


 私がぶっきらぼうに言うと、彼は小さく笑う。


「面白いな」

「え?」


 私が聞き返すと、彼は何でもないと言うかのように首を振る。


「それより、もうすぐ始まるぞ。急いだ方がいいんじゃないか?」


 彼が指差す先には、開場を知らせるアナウンスが流れていた。


「あっ、はい。えっと……ありがとうございました」


 私はそう言って頭を下げ、慌ててイベントプースへと走った。

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