霊媒稼業~追放霊能者と霊感少女の心霊業界下剋上物語~
十凪高志
第0話 プロローグ
マンションの一室に、私たちはやってきていた。
もう夕暮れだ。春だと言うのにずいぶんと冷え込んでいるのは――時間帯のせいだけではないだろう。
「冷えて……来ましたね」
私はジャージを着込みながら言った。
寒さで眼鏡も白く曇る。
「霊が活発になるとよく起きる現象だ」
私の言葉に、師匠が答える。
師匠。草薙十夜という、20代半ばの男性。正直、中々のイケメンだ。
そして彼は……霊能者である。
ただし、「元」が付く。
厳密には今も霊能者ではあるのだけど、なんというか……一度、大きな除霊の仕事を失敗して、それが理由で失脚したらしい。
それが紆余曲折あって、復帰したのだ。
『東京霊智協会』という……関東有数の心霊業界。霊能者たちの会社……相互扶助組織に所属する、認定霊能者として。
「それくらい知っているはずだが、
奏とは私の名前だ。
今年16歳になる、田舎から上京してきたごく普通の女子高生だ。
あえて普通と違う所をあげるとするなら、霊が視える事。
しかしだからといってそれが優れた特別な事であるというわけではない。
いや、本当である。よくいる「こんな力欲しくなかった」と言いながら特別である事、悲劇に浸っているような痛い子ではない。
……無いと思う。
「……一応知ってはいますけど。
感想? 言葉にするのは大事だって、いつも師匠が言ってるじゃないですか」
報告・連絡・相談、合わせてホウレンソウって奴だ。
それはとても大事な事だと、師匠に出逢って痛感した。
「気温の上下ぐらいはいちいちいわなくてもわかる。そもそもそれは感想で、今は必要ないだろう」
「……」
そこまで言わなくてもいいじゃないか、と思うけど。
そんな私たちに、後ろから声がかかる。
「仕事だと言うのに、いちゃつかれては困るのだがね」
声をかけてきたのは、黒いベレー帽と黒いワンピース、長い金髪の人形のような美少女だった。
彼女は
私たちの雇い主というか、リーダーというか……そんな子だ。東京霊智協会の幹部である。私より年下の11歳だというのにそんな地位にあるのは理由がある。
彼女は15年前に死んだ、
そのせいかまだ小学生だけど、その言動は大人顔負けにしっかりしていて、そして――なんといえばいいのか、傲慢?
とにかく頼れる、怖い子である。
「いちゃついてなんかいません」
私が抗議すると、
「そうか? 私にはそうにしか見えないがね。とにかく空気を読んで欲しいものだ」
と笑って来る。この人は意地悪だ。
「空気を読めないのは師匠だけです」
「当たり前だ。俺はお前たちと違ってテレパシーで会話できない」
師匠はこんなことを言い出す。
いや、別に私たちは超能力者ではない。だけど師匠は、そう表現する。それがどういうことかというと……。
そう、彼は……一言で言うと、「空気が読めない」のだ。
その場の雰囲気や会話の流れを察することが出来ない。
それが出来る普通の人たちを、師匠は「言外の意思疎通ができる、それはテレパシーだ」とか言っている。
いや、それはいたって普通の事なんですけど。察して動く、なんてたいていの人間は出来る。
朴訥というか朴念仁というか……いや、なんといえばいいのだろう。
冗談が通じない、ともちょっと違う。いや普通に通じない事も多いけど。まぁ要するに……天然なのだ。
本人いわく、理由があってのことなんだけれど……。
師匠って天然ですよね、と言ったら、「俺のテレパシー不全は後天的なものだから天然ではなく人工だ」とか言い出して来る人である。
決してふざけているわけではない。
「さて、本題に入ろう」
そう言うと、鈴白さんは話を始めた。
「今回の依頼内容は簡単だ。私が苦労して確保した依頼人、
「……はい」
よくわかっている。
私は――彼女を除霊したくて、助けたくて――この世界に足を踏み入れたも同然なのだから。
そう言うと、とても大切な人――のように聞こえるけど、私と彼女はそれほど面識があるわけではない。
一之瀬渚。
ただのクラスメートというだけの間柄、だけど――
「どうしても――助けたい……です」
私は、しっかりとその意思を口にする。
「当たり前だ。助けられなければ、お前の未来も、私たちの未来も無い。
わかっているな? これは最初の一歩だ。ここにつまずけは全てが終わるといっていい」
「……はい」
そう、ここを乗り越えなければ、認められなければ、霊能者として組織で働いていく事は出来ない。
「安心しろ」
そんな私に、師匠は肩を叩き、声をかけてくれる。
「お前に除霊も祓いも期待していない」
「は、はい」
「――ただ、視ろ。それだけでいい。
それが、俺には必要だ」
黙って見てろと師匠は言う。
そうだ、それが私の仕事だ。私は――そのためにここにいるんだ。
「……」
私は、眼鏡を外す。レンズ越しにクリアだった視界がぼやける。
別に、眼鏡が霊感を、目を封印しているとかそういうかっこいいものなんかではない。
霊とは、目で見る――可視光線として眼球の機能で見るものではない。
理屈はよくわからないけど、とにかく違う。
そのため、霊は眼鏡をつけようとつけていまいと、同じ精度で視えてしまう。
常にピントがあってしまっている――そんなかんじだ。
だから、眼鏡を外しても、霊はくっきりと視える。霊とそうでないものを区別するには、私は裸眼の方がいい、というわけだ。
眼鏡がないと何も見えないという超ド近眼、というわけでもないし。
「準備は出来ました」
「いくぞ」
そして鈴白さんがドアを開けた。
冷気が部屋から外に漏れる。
「……」
私たちは、部屋に入る。進んでいく。
彼女の両親はいない。今は私たちの仕事場――本部に待機している。
「ふむ、確かに強い冷気だ」
「師匠、私は……」
「わかってる。奏は、そこにいろ」
「はい」
私の役目は、ただ見るだけだ。
私は部屋の中を見る。
そこには、ベッドに座っている少女がいた。
一之瀬さんだ。
「……」
無言でこちらを見つめてくる。
長い黒髪。整った顔立ち。
白い肌。病的なまでに細い手足。
「……ひとまず、話をしましょう」
「その必要ない。私にもわかるぞ、この娘はやばい」
鈴白さんの言葉に、師匠は言う。
「そうなのか。俺にはわからないが」
「……いやお前は空気を読め」
「空気か。確かに冷えているのは感じている」
「……まあ、お前はそれでいいがな、十夜」
呆れたように鈴白さんは言った。
「……前にあった時より、ひどいですね」
私は言う。あの時は、もっとこう……ちゃんと会話も出来ていたのに。
一之瀬さんの視線は……恐ろしいものだった。
隈が出来、落ちくぼみ、ぎらぎらとしている。口元には笑みを浮かべている。それが逆に不気味だ。
まるで……そう、まるで……ゾンビのような。
「あ、あははははっ」
突然、笑い出した。
「え、あ、あははははははっ!
あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
狂ったかのように笑う。
そして、彼女は立ち上がると、私たちに向かって手を伸ばす。
「っ!!」
私は視た。視えた。
黒いものが、彼女の手から伸びる。
眼鏡を外してぼやけた視界の中、それだけが不自然に鮮明な、墨流しのように――私たちに向かって。
「黒いものが真っすぐ飛んできます!」
私は叫んだ。
師匠は、私の身体を掴み、その場を避ける。
「避けたか?」
「はいっ」
師匠の問いに、私は答える。
そう――師匠には、「それ」が視えていない。
師匠は言う。
「何が視える」
「黒いもの。それが……一之瀬さんにまとわりついています」
「赤子か」
師匠の言葉に、私は首を横に振る。
「いいえ。小さい――けど、それは……大人です。
大人の男性が小さくなって、黒くて、たくさんまとわりついています」
私は視たままを説明する。
ニヤニヤと、ニタニタと笑うそれ――顔はみな、同じ顔の男性のもものだった。
「そうか。やはり水子では無かったな」
「はい」
「俺には視えない。だがお前には視える。
ならば、することはひとつだ」
そう言って師匠は、後ろから私の身体を、抱くように腕を回す。
左腕で私を抱き、そして右腕を伸ばす。
「呼吸を合わせろ。鼓動を合わせろ。視線を合わせろ。
お前は俺の目だ。お前の視界は俺の視界、お前の意思は俺の意思。
お前は何をしたい」
「……彼女を、一之瀬さんを助けたい。彼女にとり憑いた悪霊を祓いたい。
でも私には、できません」
私は、視るだけしかできない、ただ霊感が強いだけの子だから。
「そうだ。だが俺なら出来る。お前が視ている限り――
霊感を喪った俺は、今この時だけ、力を取り戻す」
そう。
師匠は、霊感を喪った。失敗し失脚したというのはそういうことだ。
だけど、私が――霊が視える私が、師匠の、目になる。
そうすれば。そうしたら。
「ルーキーとロートル、二人合わせてなら俺たちは」
「最強の、霊能者……!」
私は叫ぶ。
そうなると、決めたんだ。
「さっさと終わらせる。そして――駆け上がるぞ。
霊智協会のトップを引きずり降ろし、そして――」
私達三人で、心霊業界に君臨する。
私は正直、そういう野望よりも――別の理由だけど、それでも。
戦うと、決めたから。
「さあ、これが――第一歩だ」
「はいっ!」
私は答え、思い出す。
師匠と出会った、あの日の事を――。
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