迷宮にて

鍵崎佐吉

ある魔導士の手記

 雫の月十三日より件の遺跡の調査を開始する。調査隊員は筆者である私も含めて四人である。以下詳細を記す。


ヴァーランド——ギルド所属の魔導士であり報告書の製作者でもある。今回はこの調査隊のリーダーを務めることになった。


ベルトリウス——同じくギルド所属の冒険者。いわゆる戦士タイプの前衛で近接戦闘を得意とし、剣や槍だけでなく斧・棍棒・格闘術なども会得している。


キンゲーツ——王都から派遣された近衛騎士団の一員。首都防衛の一環としてこの調査に参加してくれた。騎士団の中でも有数の実力者らしい。


メルドア——教会から派遣された聖職者シスター。教皇から帯剣を許可された聖騎士でもある。この遺跡が邪なる者の作為によるものかどうかを調査し、それが真であればその者を討滅するために同行する。


 調査の目的は主に二つ。一つはこの遺跡の内部構造を調査し地図を作成すること。もう一つはこの遺跡が造られた意図を明らかにすること。無害なものであればそれで良し、そうでなければ然るべき対処を行う必要がある。以上の点を踏まえて慎重に行動することにする。


一日目


 まず最初にこの報告書を日記形式で書き進めていくことにした経緯を説明しておく。遺跡の中には我々の想定よりも遥かに多くの魔物が生息していた。遺跡が出現してからまだ間もないことを考えると、外から侵入してきたとは考えづらい。今のところ目にするのは吸血蝙蝠や森狼といった比較的ありふれた魔物ばかりだが、この遺跡の中で独自の生態系を築いている可能性が高い。万が一のことを考え、私がいつ死んでも大丈夫なようにその日の発見を随時書き記していくことにした。私が無事生還できればこの文章が直接公表されることはなく、内容を編纂し清書された後に正式な報告書として発表されるだろう。

 次に遺跡の内部について判明したことをいくつか書き留めておく。

 遺跡の中は常に一定の照度が保たれ視界の確保は容易である。遺跡そのものに人間を感知して光を放つ魔導式が組み込まれているようだ。これは近年宮殿建築などに用いられ始めた技術であるが、この遺跡の持ついくつかの前時代的要素とは明らかな不整合を示している。

 また遺跡内部は複数の通路と小部屋で構成されており、さながら迷宮の様相を呈している。それぞれの部屋や通路には何の目的も見出せないものも多く、この遺跡の造られた意図は判然としない。


 ひとまず突き当りの小部屋で休息を取りながらこれを書いている。ベルトリウスなどは物珍しさにはしゃいでいるが、他の二人は初対面だということもあって表情は硬い。互いに背中を預ける仲間同士、できるだけ良好な関係を築きたいと思う。

 正式な報告書であればこういった筆者の主観的な記述は避けられるべきである。しかし私自身はこの手記を草稿として捉えているので、当時の自分が何を考えていたのか思い出すためにも必要な記述である。もし万が一、何らかの理由でこの文章を目にしている者がいるのなら、そういった事情に留意していただきたい。


 我ながら妙なことを書いていると思うが、死んでしまえばどんな難癖をつけられても反論できない。だったら生きているうちに書いておくしかないじゃない。


二日目


 遺跡で遭遇する魔物の数から推測するに、おそらくどこかに魔物たちの繁殖地となるような場所があるはずだが、未だにそのような場所は発見できていない。さらに遭遇する魔物の多くは肉食性の好戦的な種だが、奴らの捕食対象になるような草食動物も見当たらない。そもそも水源すらないこの環境で生物が生きていけるのだろうか。違和感は尽きないがそれを解消するためにも探索を続けていくしかない。

 またこれはメルドアの指摘だが、この遺跡には宗教的な意匠は感じられず神殿や宮殿のようには見えないのだという。私もそういった方面の知識が豊富なわけではないが、確かにこの場所からはどこか無機質で散文的な印象を受ける。いったい誰が何の目的でこんなものを作ったのか、現状では推論を立てることも困難である。早く手がかりとなるようなものを見つけたい。


 一見するとキンゲーツは真面目な堅物のように思えるが、実際に話してみると意外と気さくな性格だとわかった。ベルトリウスとも割に気が合うようで早くも打ち解けている。キンゲーツ曰く少し弟に似ている、とのことだった。

 逆にメルドアは私以外の二人とはやや距離が感じられる。何か事情があるのかとさりげなく尋ねてみると、あまり異性と接したことがないのでまだ距離感がよくわからないのだそうだ。彼女は冒険者連中の間でもかなり人気があるのは周知のことだが、こういう初心な乙女というのはやはり男に受けるらしい。彼女が意図してそういう振る舞いをしているとは思わないが、かといって真似してみようという気も起きない。なんにせよ彼女が早く馴染めるようになるべく和やかな雰囲気を作るよう心掛けたい。

 こういった閉鎖的な環境では些細なことでも不和の原因になりやすい。隊員の精神衛生を健全に保つこともリーダーとしての責務である。


三日目


 遺跡の入口から北西の方角、入り組んだ通路といくつかの広間を抜けた先に下り階段を発見した。どうやらこの遺跡にはまだ地下部分が存在しているらしい。この階段のある広間におそらく人工と思われる小さな貯水池があった。地下水を汲み上げているのか、水は濁りもなく飲んでも問題はなさそうだ。てっきりここが魔物の繁殖地なのかと思ったが、不思議なことに周辺にはまったく生き物の気配がない。念のため詳しく調べてみると、この付近だけ魔除けと認識阻害の結界が張られていた。つまり魔物たちはこの場所に入ることができず、私たちにとっては安全が確保された状態にある。地下を探索したい気持ちもあったが、この場所の不可解さを無視することができなかったので、ひとまずここを仮の拠点として一晩様子を見ることにした。


 四方を壁に囲まれたこの空間では時間の感覚は曖昧になる。懐中時計がなければ今が何日目かとっくにわからなくなっていただろう。正直に言うと既に三日も経っているという事実は私にとって驚くべきことだった。主観的な感覚、特に肉体的な疲労という点ではまだ一日経ったかどうかという程度のものだった。試しにベルトリウスにも尋ねてみると彼は自分の顎に手をやって「そういえばまだ髭が生えてこないな」と言った。相変わらず呑気な男である。


四日目


 いささか書くのがためらわれたので今まで言及してこなかったが、さすがにここまで来ると無視することもできない。実を言うとここに入ってからほとんど排泄欲求を感じなくなっているのである。食欲・睡眠欲に関しても同じで、これが時間の感覚を狂わせていた最大の要因である。他の隊員にも確認してみると概ね同意が得られた。おそらくはこの遺跡にかけられた何らかの魔術的影響が作用しているのだろう。探索を続けるにあたってそれはむしろ我々に有利に働くものではあるが、そうであるが故にかえって不気味にも感じられる。

 いくらか迷いはあったが私は当初の予定通り地下の探索を始めることにした。今はまだわからないことでも先に進めば何か手がかりが掴めるかもしれない。不測の事態が起こったとしてもそれに対処する余力はまだ十分にある。それでも念のために今日は周辺を改めて調査するに留め、ここの拠点化を推し進めて明日の探索に備えることにする。


 作業の合間に少しキンゲーツと話をした。彼はこの調査隊の中では最年長で、騎士としての信頼も実績も申し分ない。そんな彼を差し置いて自分が隊のリーダーに任命されたことは、誇らしくありつつも少し意外なことであった。私がその思いを打ち明けると彼は笑って教えてくれた。なんと私を隊のリーダーに推薦したのはキンゲーツだったのである。彼は私が以前作成した魔法生物の生態とその対処法をまとめたレポートを目にして、それを高く評価してくれていたらしい。世間的には一部の物好きにしか受けなかったあのレポートも、こうして今に繋がっているのだと思うと感慨深い。彼の期待に応えられるよう全力を尽くしたい。


五日目


 結論から言ってしまうと地下も上層と大差はなかった。無機質な壁に囲まれた迷路のような空間が広がっているばかりでこれといったものも見つけられなかった。そしてここにも多くの魔物が蔓延っており幾度も戦闘を余儀なくされた。いったい奴らはどこから湧いてくるのか、未だその答えはわからずじまいだ。しかしまだ不確定ではあるがこの魔物たちに関して一つの推論を立てることができた。

 現在私たちの身に起こっている変化、生理的欲求の減衰と疲労の軽減が魔物たちにも作用しているのではないか。そう仮定すればこの歪な環境で魔物たちが生きていられる理由も説明がつく。つまり奴らはここで独自の生態系を築いているのではなく、飲み食いもせずにただ徘徊しているだけだということになる。

 この推論を仲間に話してみたところ、キンゲーツから面白い意見が聞けた。彼が言うにはここは魔物の研究をする施設だったのではないか、というのだ。彼は何度か王都の研究施設に立ち入ったことがあるそうだが、そこでは魔物の知能を調べるために迷路に閉じ込める実験なども行われていたようだ。なんら確証があるわけではないが、現時点ではこの遺跡の役割として一番妥当な仮説のように思える。これを裏付けるような何かを見つけることができればよいのだが。


 以前二人とは初対面だと書いたが実はメルドアは私と面識があったらしい。言われて思い出したが、確かに何年か前に討魔隊の戦闘訓練に敵役として駆り出されたことがあった。その時に当時はまだ無名だった彼女と手合わせをしていたようだ。メルドアが言うにはその時は完膚なきまでに叩きのめされた上に「戦いを舐めるな」といった趣旨の暴言まで吐かれたらしい。なんというか、我が事ながら申し訳ない気持ちでいっぱいである。だが彼女はそんな仕打ちにめげることなく、むしろそれを愛ある叱咤として受け止め鍛錬に励み、今こうして私と肩を並べている。

 彼女からすればある意味感動の再会だったわけだが、私の方は自分のした悪行をすっかり忘れてしまっていた。自戒の念を込めてここにその事実を書き記しておく。


六日目


 今度は南西の方角に新たな下り階段を見つけた。どうやらまだ下があるらしい。だが上層とは違って階段のある部屋には結界は施されていない。まだ体力的にも余裕はあるし明日からさらに下層の調査を始めたいと思う。

 水や食料はまだ余裕があるが誰も手を付けようとしない。食事や給水の必要を感じないのだ。さらに言えばもう六日も風呂に入っていないのに衛生状態は探索初日とほぼ変わらないようにさえ思える。ベルトリウスの髭も一向に生えてくる気配はない。これらの事実から、この遺跡の中では何らかの魔法的な影響により時間の流れが極めて緩やかであるか、もしくは完全に停止していると推測できる。時計は正確に動いているのでおそらく生物にだけ作用するような特殊な術式が組まれているのだろう。

 時魔法は熟達した者でもせいぜい数秒の間ごく限られた範囲の時間を止めることができるという程度だ。それも厳密には完全な停止ではなく、限りなくゼロに近いが少しずつ時間は進んでいるというのが限界である。これほどの規模の時魔法ははっきり言って我々の常識を凌駕している。そしてそれを可能にするだけの何かがこの遺跡にはあるということでもある。それが王都や教会が懸念するような人類に敵対的な存在であった場合、我々の安全は著しく脅かされることになる。

 しかし逆に考えれば、今まで魔物の襲撃は何度も受けているがこの遺跡自体から直接悪影響を受けてはいない。この事実は我々が追い求めるその何かは積極的な害意を持っているわけではないことを示唆している。先のことはまだわからないが、進むべき道がそこにある以上、今はまだ退くべき時ではないだろう。


七日目


 さらに階段を下った先、つまり地下二階にあたる場所も上層と目立った違いはなかった。ただ遺跡そのものではなく生息している魔物にはやや変化が見られた。本来は限られた特殊な地域にしか見られないスライム種や下級悪魔などの魔法生物が散見されるようになったのだ。こういった魔物は環境の影響を強く受けるため人里に現れることは滅多にないのだが、それが王都から程近いこの場所にいるというのはやはり普通のことではない。

 キンゲーツの言ったようにここが何らかの研究施設であったのならこの矛盾もある程度は説明がつく。つまり何者かが意図的にこれらの魔物を本来の生息地からここに連れてきたのではないか、ということだ。ただこれはあくまで個人的な感想だが、研究のためにこれらの魔物を集めたのだとしたら、いささか種の選別が雑というか、系統的に見て何ら共通点も関係性も見出せない。何のためにこれだけ多岐にわたる魔物を収集したのか、その意図は依然としてわからないままだ。


 私がこれを書いている間、珍しくベルトリウスとメルドアが二人で話していた。粗雑で学もないあの男が聖女と呼ばれる彼女と何を話しているのかと思えば、どうやら神学に関して初歩の講義を受けているようだった。私からすれば今更確認するまでもない内容だったので割愛するが、彼の表情を見るにどうも完全に理解することはできなかったようだ。今更勉強しても馬鹿は治らないぞ、と揶揄してみたが反応は鈍い。まさかとは思うがメルドアに気でもあるのだろうか。真相は不明だが私をあしらうような態度が気に食わなかったので腹いせとしてここに書き記しておくことにする。


八日目


 ここに生息している魔物たちについて重大な事実が発覚した。奴らはもともとここにいたのではなく、また外から侵入してきたのでもなく、一種の転移魔法によってここに召喚されていたのだ。私たちが探索をしている最中、その目前に魔物たちは突如として出現した。その際にこの遺跡から強い魔力が放たれたのを確かに確認した。

 砦などの防衛機構として人間を感知し自動的に魔物を召喚する装置が発案されたことは過去にあったが、現時点では技術的な課題が多すぎて実現には至っていない。やはりこの遺跡は我々を遥かに凌ぐ高度な魔法技術を持った何かによって造られたのだということは間違いない。

 これで魔物の想定を超える数と繁殖地がどこにも見当たらないことの説明がつく。おそらくどれだけ倒しても奴らを根絶やしにすることはできないだろう。ならば極力戦闘は避けたいところだが、この狭い迷宮の中ではそういうわけにもいかない。幸い例の魔法的影響により肉体的疲労は大幅に軽減されているので消耗するということもないが、こちらも人間である以上精神的疲労感から逃れることはできない。適宜休息を取りつつ進んでいくしかないだろう。

 それにしてもこの仕組みはいったい何のために造られたものなのか。侵入者を排除するためなのだとしたらいささか迂遠なやり方のように思える。罠でも仕掛けた方がより効果的かつ効率的に目的を果たせるだろうが、今のところそれらしきものは発見していない。またあの魔物たちはここで飼育されていたわけではないとわかったため、キンゲーツの主張に基づく仮説も説得力を失ってしまった。

 どうにも考えがまとまらない。情報を共有するためにもこの階層を探索し終えたら一旦王都に帰投しようかと思う。当初の目的を果たせなかったのは残念だが、適切な引き際を見極めるのも冒険者にとって欠かせない素養の一つである。とにかく気持ちを切り替えて明日に挑むことにする。


九日目


 信じ難いことが起こった。私もまだ状況を飲み込めていない。しかしとにかく書き残しておかねばならない。順を追って説明する。


 魔物との戦闘を繰り返しながらも探索は概ね順調に進んでいた。そしてまた新たな階段を発見した。私は昨日定めた方針に従い一度引き返そうとした。その時、我々の頭上に強い魔力を感知した。次の瞬間には落下してきた巨大な影がメルドアの体を押し潰していた。今思い返せばあれは竜の一種だったのだろう。石灰色の鱗に包まれており、翼はなく首や手足は短い。俗に石竜と呼ばれる洞窟や山岳地帯に生息している魔物だ。竜としては小型な方だがそれでも民家を尾の一薙ぎで破壊するほどの力を持ちその危険度は極めて高い。だがその時はそんなことを考える余裕はなかった。私は全身にメルドアの血を浴びてしばし立ち尽くしていた。目の前の惨状にとっさに反応できなかった。冒険者として仲間の死は常に覚悟しているつもりだったが、現実は私の想像を遥かに超えていた。石竜は次の標的を私に定め猛然と襲いかかって来た。だが硬直したままの私の体をベルトリウスが突き飛ばし、その体で石竜の爪を受け止めた。奴はそのまま彼の体に喰らいつき、再び周囲が鮮血に染まった。

 その後のことはよく覚えていない。ただ激情に任せて魔法を乱発し、気づいた時には奴に右腕を食い千切られ床にうずくまっていた。遠のく意識の中でキンゲーツの叫び声が聞こえたような気がした。


 そして目が覚めると私は一階の階段のある広間にいた。失ったはずの右腕も元通りになっている。すぐそばにメルドアとベルトリウスがいて、心配そうな顔で私に走り寄ってきた。悪い夢でも見たのかと思ったが、どうやらそういうわけではなさそうだった。ベルトリウスは石竜と遭遇し、私をかばったことを覚えていた。二人してまったく同じ夢を見ることなど到底ありえないことだ。そして二人が言うには、私は先ほどこの広間に突如として出現したのだそうだ。私が状況を理解する前に、それは目の前で現実になった。広間の一点が急に光を放ったかと思えば、そこから突如としてキンゲーツが出現したのだ。私たちは互いに顔を見合わせただ困惑するばかりだった。


 この現象を錯覚や幻覚でないとするなら考えられる可能性は一つしかない。おそらく時間遡行、つまり過去のある時点に私たちは戻されたのだ。そう仮定すれば全て説明がつく。

 自分が途方もないことを言っているという自覚はある。現状魔法による時間への干渉は停止の寸前が限界であり、時の逆行は未だ誰も成し得ていない。そんなものはただの夢物語で実現は不可能だというのが定説だ。しかし今までこの遺跡で見られたいくつかの仕掛けは明らかに我々の常識を超えている。例え時の逆行を可能にする何かがここにあったとしても私は今更驚かない。

 メルドアは私の考えに賛同してくれた。その正体はわからないが、何か超越的な力がここに存在しているのは間違いないと彼女も考えているようだ。キンゲーツはそこに関しては特に意見を示さなかったが、リーダーである私の判断に従うと言ってくれた。ベルトリウスは、何も言わなかった。多分彼にとってそんなことはどうでもいいのだろう。冒険者は理由など求めない。ただ私たちにとってはお互いが無事であったという結果だけが意味を持つ。そうであるなら私たちはこれからどうすべきなのか。


 当初はこのまま帰投するつもりだった。だが今はその意志が揺らいでいる。今回の発見は今までのものとは次元が違う。この遺跡の中では私たちは実質的に不死でいられるのだ。そうであるならもはや恐れるべき何者もない。

 あと少し、あともう少しで何か掴めそうな気がするのだ。この遺跡の一見すると矛盾しているように思える数々の法則が、一つの線で結びつくのではないか。私にはそう思えてならない。

 時が戻ったのであればもう時計は信頼できない。今が何日なのか、あれからどのくらい経ったのか、自分の感覚に頼るほかない。

 少し休息が必要だ。興奮して思考が散漫になっている。次に筆を執るときには考えをまとめておきたい。


十日目


 私たちは探索を再開することにした。便宜的に今日を十日目だと仮定して記録をつける。

 今私たちが王都に戻ればもうここに入ることはできなくなるだろう。それが私の出した結論だ。この調査結果はとても鵜呑みにできるものではない。確認のために新たな調査隊が派遣され、彼らは真実を知ることになるだろう。彼らが私たちと同じように報告のために帰投するならそれでいい。しかし、そうならなかった場合はどうなるのか。未知への探求に抗えなかった彼らが先に進むことを選んだ時、私たちが手にするはずだった栄光と名誉は彼らの手に渡ってしまうだろう。

 戦利品の横取りは冒険者にとって御法度だ。そういった揉め事に関しては決闘や私刑も黙認されている。我々にとってそれは自らの誇りに関わる重大な問題なのだ。私も冒険者の端くれである以上、自分が切り開いた道を他の誰かが我が物顔で駆け抜けていくことには耐えられない。この場所の謎を解き明かすのは私たちでなければならないのだ。

 幸いにも私たちが製作した地図は今も手元にある。攻略にはさほど時間はかからないだろう。しかし私は何らかの作為的なものを感じずにはいられない。あの時覚えた予感のようなものは今も消えることなく私の脳裏を渦巻いている。

 我々は何者かによって誘導されているのではないか。ふとそんな考えが過る。いや、単にそれだけなら魔物という障害を用意する必要はない。そこにはきっと何らかの意味があるはずだ。それを確かめるためにも、やはりあの竜と雌雄を決する必要があるだろう。


 あれから皆口数は少なくなったが、その瞳には以前にも増して強い意志を感じる。ただベルトリウスだけは彼には珍しくどこか消極的な印象を受ける。何か声をかけるべきかもしれないが、適当な言葉が浮かんでこない。

 あの時彼は死ぬ気で私をかばった。いや、実際に彼はそこで一度死んだはずだった。私の弱さと判断の甘さが彼を殺したのだ。そして彼は私のためにその運命を受け入れた。感謝と後悔と、表現しがたい熱い何かがずっと沸き立っている。

 彼は私のためなら死ねるのだ。語弊のある言い方だが、私はそれが嬉しかった。


十一日目


 探索は順調だ。もう地下二階の半ばまで来ている。もう少し行けば私たちが石竜と戦った階段のある広間にたどり着くだろう。今度は入念に準備を整えてあらゆる危機に対処できるようにしておかなければならない。


 少し気になることがあったのでメルドアと話をした。彼女の当初の目的は教会に仇なす者を討滅することにあったはずだ。しかし私にはどうもここにそういった悪意に基づいた存在がいるようには思えない。にも拘らず彼女は探索を続行することに強く賛同しているように見える。そのあたりの考えを確かめておきたかった。

 彼女はややためらいながらも私に真意を打ち明けてくれた。彼女も私と同様にここに自分が討つべき相手がいるとはもはや考えていないようだ。むしろそれとは真逆の存在がここにいるのではないか、という予感があると言う。人間の生死すら自在に操れる者がいるとしたら、それはまさに神に類する者だ。それと邂逅することができればこの世の真理を知り得るのではないか。メルドアはそう考えているようだった。


 彼女の前では言わなかったがそこにはいくらかの希望的観測が含まれているように思える。しかしそうなるのも無理はない。もしその神に類する者が我々に牙をむいたとしたら、それに抗う術など何一つないだろう。そういった可能性から目をそむけたくなるのは当然の心理だ。

 一方で私は彼女とは違った角度で悲観的な予測を否定し続けている。ここにあるのは数式のように厳格な法則だけであり、製作者はいてもそれを操る者はいないのではないか、という推測だ。何か確証があるわけではないが、こういったイメージはこの場所のあらゆる印象と結びつき、私に深い落ち着きと納得感を与える。先に進みより多くの事実が明らかになるにつれて、こういった感覚は強度を増していくことだろう。


十二日目


 私たちが広場へ足を踏み入れてからしばらくすると再び頭上から強い魔力を感じる。そして案の定上からあの石竜が降って来た。だが今度は奴を取り囲むように素早く散開したため被害はない。戸惑いを見せる石竜に向かってメルドアの加護を受けたキンゲーツが切りかかり、その隙にベルトリウスと私で奴を挟撃する。

 硬い鱗に覆われた竜種に対して物理攻撃はあまり有効ではない。一方で爬虫類の性質を持つ奴らは急激な温度変化に弱い。つまり氷魔法であれば堅い守りを貫いて奴らの体力を確実に削ることができる。そして、自慢ではないが私の氷魔法なら極低温の冷気によって相手の体を数秒で壊死させることができる。瞬時に凍り付いた灰色の表皮をベルトリウスが打ち砕き、赤いみぞれのような鮮血が周囲に飛び散る。のたうち回る石竜に向かってキンゲーツは飛び掛かり、その左目を正確に貫いた。こうして石竜との戦いは決着した。

 一度戦った相手に二度も後れを取るような我々ではなかったということだ。それでも先陣を切ったキンゲーツが受けた傷は決して浅くなかったため、メルドアに治療してもらい傷が癒えてから進むことにする。

 おそらくここで命を落としたものは時間が逆行しあの広間へと戻される。確かに死にはしないが、他の仲間が生き残っていた場合は分断されることになる。人数が減った状態で探索を続行するのは困難だし、かといっていちいち迎えに戻っていたのでは先に進めない。死なないとわかったところで慎重に進んだ方がいいということは変わらないのだ。


 傷もそうだがキンゲーツはいささか憔悴した様子でいつものような覇気が感じられない。ただ治療を受けている最中に「守れてよかった」と短く呟いたのが聞こえた。メルドアは治療に集中していたしベルトリウスはどこか上の空といった様子だったので、その言葉に気づいたのは多分私だけだっただろう。

 彼もまた本業は冒険者ではないのだから王都への帰還を主張してもおかしくない立場だ。それでも私に従うことを選んでくれたのは、彼の騎士としての矜持がそうさせたのではないか。あの時、彼は最後まで生き残った。一人残された彼がどう戦いどう死んだのかは彼自身にしかわからない。私が死の間際に聞いた彼の叫び声は、散りゆく同胞に向けた彼の絶望と自責だったのかもしれない。

 これは勝手な憶測にすぎないがあえて記述しておく。私が死んでからキンゲーツが広間に現れるまでほとんど間がなかった。それは私が死んだ後すぐに彼も死んだということだ。しかし半狂乱になった私をかばいながら数分の間竜種と戦闘を継続し得たほどの男が、そう易々と殺されるだろうか。繰り返すがこれはただの憶測にすぎない。だが、私は思うのだ。彼は自ら命を絶ったのではないか、と。それが彼にとっての正しい騎士の在り方だったのだろう。


十三日目


 地下三階にあたる場所も構造自体は上層と大差ない。しかし敵は確実に強くなっている。小型の竜や下級精霊など並の冒険者の手に負える相手ではない。やはりここは下に行くほど踏破が難しくなるように設計されている。だが我々の侵入を拒みたいのであれば、わざわざ段階的に魔物の強さを調整する必要などない。そこには何らかの意図があるのは間違いないが、まだ真実には手が届かない。

 ふと思い立って床に穴を掘ろうとしてみたのだが、見た目以上に頑丈なようで断念せざるを得なかった。この下にもまた新たな階層があるのなら、わざわざ階段など探さずとも無理やりぶち抜いてしまえばいいと思ったのだが、どうやらそういうことはできないことになっているらしい。創造主はあくまで私たちに正攻法での攻略を求めているようだ。ただ壁の方は一応壊すことは可能だった。とはいえ四人がかりでも相当な時間がかかったので、結局は歩き回って階段を探した方が効率がいい。まあ後々のことを考えていくつか近道を作っておくのはありかもしれない。


 メルドアとキンゲーツは素直に感心してくれたのだが、ベルトリウスには「余計な悪知恵だ」と鼻で笑われた。その悪知恵に今まで何度助けられてきたか改めて教えてやろうかと思ったが、先日の件もあるので今回だけは多めに見てやることにした。






 強敵に勝って少し油断していた。さらに下層へと進み探索をしていたところ、通路で魔物に挟み撃ちにされた。最後尾にいたメルドアが不意打ちを受け、さらにそれを無理にかばおうとしたキンゲーツも背後をつかれ致命傷を負った。残った二人でなんとか敵を片付けることはできたが、この状況では進むことも退くこともままならない。

 私たちが立ち往生しているとやがてキンゲーツの体が光に包まれ忽然と姿を消した。おそらくあの広間に戻されたのだろう。それを見たメルドアが自分を殺してくれと言った。この際一度死んで再集合した方が手っ取り早いのは確かだ。しかし生き返るとわかっていても仲間を手にかけるのには少なからず抵抗がある。それに殺される時の苦痛はなくなるわけではないのだ。そうして私が躊躇っていると、ベルトリウスが不意にメルドアの胸を剣で貫いた。私にとってそれは驚くべきことだった。彼は確かに冷静な判断力を備えた一流の冒険者ではあったが、決して仲間を平気で切り捨てられるような冷酷な男ではなかったはずだ。血を吐いたメルドアは呆然とした表情でベルトリウスを見つめていたが、やがて何かに気づいたのか穏やかな微笑みを浮かべて光に飲まれた。ベルトリウスは少しばつが悪そうに私に向き直り「二人で話がしたかった」と言った。ここ数日彼がずっと何かを抱え込んでいたのは私も気づいていた。だから私は彼の要求に応えることにした。彼の言うことは非論理的で整合性を欠いていたが要約するとこういうことになる。


 彼はここに来た時からずっと違和感を感じていた。最初はその正体が何かわからなかったが、キンゲーツの推論を聞いた時にふと気づいた。彼が感じていたのは何者かの視線であり、我々はずっと監視されているのだ、というのが彼の主張だった。メルドアに神学について教えを乞うたのも、そういった人ならざる何かの存在を感じ取ったからだったそうだ。

 こういった閉鎖空間で命のやり取りを繰り返し精神的に追い詰められたせいでそういった錯覚を覚えた、というのが私の見解だが、彼はそれを聞いても納得しようとしなかった。確かに彼は冒険者の嗅覚とでも言おうか、ある種の超人的な洞察力と勘を備えており、私もそれに助けられたことは一度や二度ではない。彼を調査隊の一員として招集したのも、そういった能力にある程度の評価を認めていたからでもある。その我々を見つめる何かの眼差しにベルトリウスは本能的な危機感を抱いたのだった。

 そもそもの主張が理性や論理に基づいたものではないのだから、それを説得しようとすれば必然的に感情的なものになってしまう。私も感性の部分では彼の言うことに共感できる部分もあったので、それをごまかすために彼との問答はより激しいものとなってしまった。こんな状況では皆何かしらの不安を抱えているのは当然のことだ。しかし未知の探求とは得てしてそういうものである。ここまで来てすごすごと引き返すわけにはいかないのだ。


 私たちは妥協点を見出すことができないままそこで立ち尽くしていた。このまま広間に戻されれば彼は一人調査隊を離脱し王都へ帰還するかもしれない。そうなれば後続の者が来るのは必須だし、残された三人で探索を継続するのは困難だ。私はどうにかしてベルトリウスを繋ぎとめておかなければならなかった。

 結論から言えば私はそれに成功した。その選択が正しかったのかどうかはわからない。


 ベルトリウスとは互いに駆け出しの頃から見知った仲だ。苦楽を共にし冒険者として日々成長していく中で彼との関係はより深いものになっていった。彼が私に対して友情を超えた気持ちを抱いている、というのは私の勝手な思い過ごしだったのだろうか。だけどそれを確かめる勇気は私にはなかった。

 私は二度とその答えを知り得ない。自分自身の手で春の若芽のようなその気持ちを摘み取ったのだ。彼の心を弄び、自分の目的のために利用した。私の失ったものと彼の失ったものと、果たしてどちらが大きかったのか。どちらにせよ私たちは痛みと快楽以外何も得られなかった。

 それでも忘れたくなかった。彼の温もりを、息遣いを。例え時間が戻ってしまったとしても。だからここに書き記す。私の願いと呪いを込めて。






 ようやく自分で納得できる推論を立てることができた。ここは魔物の研究施設だというキンゲーツの推論は、ある意味では事態の本質を捉えていた。迷路のような構造、無尽蔵に湧き出る敵、時間の停滞と生命の保障。これらはすべて壮大な実験のために用意されたのだ。そしてその対象は私たち自身である。

 我々はこの遺跡を作った何かに試されているのだ。その強さや、知恵や、揺るがぬ意志を。この場所そのものがそのための巨大な実験装置なのである。

 我々をより深くへと誘いながらそれを拒むように魔物が現れるのもこれで合点がいく。この場所の時魔法も、実験体にいちいち死なれたのでは効率が悪いからだろう。あるいはここは闘技場のような場所で、我々が四苦八苦する様を好奇の目で見つめる何者かがいるのかもしれない。だがどちらであっても我々にとっては大差ない。

 そうである以上、ここに入らない限り周辺に危害が及ぶようなことはないと思われる。実力の足りなかった者は諦めて帰ればいいだけの話で、むしろ力試しの場としては持って来いだ。そのうちもっと有益な利用法を誰かが考え付くことだろう。そして私はまだ諦めるつもりはない。この試練の先に何があるのか、それとも何もないのか、自分の目で確かめなければ気が済まない。

 それにこの場所では何にも縛られることなくただ力を振るうことができる。生死を気にせず竜と戦える場所などここ以外にあるはずもない。自分が冒険者としてどこまでやれるのか、その限界を私は知りたいのだ。


 そろそろしびれを切らした王都の連中が新しい調査隊を派遣しに来る頃だろう。だから私は彼らのために自分の知り得た限りのものをこの一階の広間に残しておくことにする。ここに書かれていることを信じるかどうかは彼ら次第だが、無用な悲劇が再び起きるのをあえて静観する意味もないだろう。

 この報告書が後に続く者の一助となることを願う。

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