#11 浴衣

 インフルエンザから回復して、おれはようやく日常を取り戻して働いている。結局1週間も休むことになってしまい、職場のみなさんには迷惑をかけるし、収入は減って、病院代もかかって…散々だ。


 りおちゃんへのお礼がてらBAR木の実に行きたいけど、そんな金の余裕はない。色々考えて、日持ちする焼き菓子をいくつか買って、BAR木の実の前に行って、りおちゃんにLINEした。


「お疲れ様!

 今日ちょっと時間なくて飲んだり

 出来ないんだけど、こないだのお礼

 したいから、ちょっとだけ店の外

 出られないかな?」


 重いドアが開いて、りおちゃんが出てきた。

「ごめんね仕事中に。これ、大したもんじゃないけど、食べてよ。」

「えっ、すみません、勝手に押しかけちゃったのに…。」

「いやいやすごい助かったよ!また時間ある時来るから!」

 おれも方便を使えるようになった。


 インフルエンザになる前に撮ったダンスの動画をDVDに焼いて、コンテストでの受賞歴なんかを書いた簡単な経歴書を付けて、良かったら使ってもらえませんか、と、LOVE&※の所属事務所とレーベルに送ってみた。

 完全にダメ元ではあるけど、良いものにはなってると思うんだ。


 数日後、手紙に書いたメールアドレス宛に、事務所からメールが届いた。まさか連絡が来るとは期待してなかったし、連絡が来るということは…と新たに期待してしまった。

 送付ありがとうございます。採用する機会があればまたご連絡します、といったことが書かれていた。要約すると、丁重に断られたってことだ。

 まぁダメ元ではあったんだけど、それなりに落ち込む。ちょっとだけ木の実に行くか、と心の口実を作った。


「何か元気ないですね、どうしたんですか?」

「んー、ダンス関係で仕事応募してみたけど、断られた。」

 そうなんですね…と言って、気まずそうにするかなあと思ったら、意外とりおちゃんはすぐに言葉を連ねた。

「いつもすごく頑張ってますし、ダンス好きなの伝わって来ますよ。

 今回ダメでも、きっと見ててくれる人は居ますって。」


 ありきたりな言葉ではあるけれど、りおちゃんの精いっぱいの優しさなのはよくわかる。やっぱり、いい子だ。こんないい子がおれを好いてくれるなんて。

 おれは中学で初めて付き合った人も先輩だし、それからずっと、付き合う人もそうでない人も年上の人ばかりで。こんな真面目な同い年の子と付き合おうなんて、考えたこともなかった。


「そういえば、もうすぐ花火大会ですよね。お家、近くじゃないですか?」

「あ、そうそう。うちからめっちゃきれいに見えるんだよ。特等席。」

 去年はあいこさんと、縁側でビール飲みながら見、ようとしたら、あいこさんはビールしこたま飲んで、打ち上げ前に縁側で爆睡した。

 おれは、そっとあいこさんをおれのベッドに運んで、添い寝した。

(朝になって、先に起きてたあいこさんから『狭苦しいんだけど。体痛い。』とクレームが来た。)


「いいなぁ、私も見てみたいです、特等席で。」

 え、何、そういうやつ?いいの?

「お、何何おふたりさん、デートの約束?失恋割終了かぁ?!」

 不動産王、ほんとうるさい。声帯どうなってんだよ。この狭い店で、でかい声を出さないでくれ。

「もー、中元さん…。」

 あ、否定しない。りおちゃんは小声で、あとで連絡します、と言った。

 まじで失恋割終わるんだろうか。こんなベタな展開で。看病しに来てお粥といい、りおちゃん何事もベタだねぇ。女たらし系ベタな人生送ってきたおれ、そういうの新鮮で嫌いじゃないよ?

 ていうか、ここまでの流れ、不動産王の煽りも含めてベタすぎないか。

 この店は皆ベタ大好きなのか。


 花火大会は雨天予報を受けて前日に中止が発表されたが、当日は結局曇りだった。事務局の皆さんの心中をお察しする。中止の発表の時点で、あーこれはりおちゃん来るのも流れたなぁと思ったが、

「花火大会はないけど、焼き鳥屋さんのテイクアウトとかでプチお祭りしませんか?」

と提案された。うーん、気が利いている。


 当日おれは、りおちゃんのうちの近所まで車で迎えに行った。さすがにこんなチャラそうヒモ顔微妙に長髪フリーター男が実家に迎えに来たら、ご両親の心中もお察しだ。

待ち合わせ場所にいたりおちゃんをみてびっくりした。

「浴衣…。」

「買っちゃってたし、せっかくだから、って思って。」

 すげ、またベタ。でも男はベタが好き。主語でかくて申し訳ないけど。


 焼き鳥とかたこ焼き、あとノンアルのビールを買ってうちに…いや、あいこさんちに戻る。そうあいこさんち。忘れかけてたけど、おれの家じゃないのよ。

 あいこさんに謝るべきか否か。名義変えてないし、軽くゴメン、と心の中で呟く。


 飲んで食べて、ひと段落したとき。りおちゃんが

「じゃーん」

と言って、手持ち花火を取り出した。またまた気が利いてるぅ。

 庭にろうそくを立てて、二人で花火をした。あいこさんと居た頃は、花火をしようなんて発想がなかった。生活時間帯もずれてたし。

 りおちゃんはまだ敬語だけど、お店にいる時よりだいぶくだけててよく笑って。こんな顔するんだ、って思う瞬間が何度もあった。こうやって、同世代の子と、ベタだけど楽しいお付き合いするのもありなのかな。


 花火を片付けて、少し会話が途切れた時、今なんじゃない?と思って、ギラついてない女たらしモードに切り替えた。

「りおちゃんといると、すごい楽しいよ。

 悲しいこととか、悔しいこととか、ちょっと忘れてた。

 ね、りおちゃん、おれと。」


「私彼氏いますけど、大丈夫ですか?」


 えっ。

 ごめん、女たらし君ちょっとよく分かんなかったかも。


「彼氏。いますけど。それでも大丈夫ですか?」

 よく気の付くりおちゃんは、ゆっくり言い直してくれた。

 いや、いやいやいや。

 彼氏いるのに何でうち来てんのよ。そして、彼氏いるからごめんなさいじゃなくて、彼氏いるけど大丈夫ですかって何?りおちゃん、おれが彼女と死別したことも、二股掛けられたことも知ってて、二股提案してんの?

「え、あのさ、じゃなんでうち来たの…しかも浴衣着て…。」

「だって普通にイケメンだし、寂しそうだし。あと、浴衣着てたら本命ってことになるんですか?」


 えー。えーーーーー。こわ。怖い怖い怖い怖い。

 嘘でしょ。真面目でいい子で初心な感じのりおちゃんどこ?!


「彼氏いたら、ナシ?まぁ付き合わなくてもいいですけど。」

 うわ。セフレ提案してきた…。もうやめて。女たらし君耐えられないかも。おれ結構純粋だったのかも。

 そして、トドメにこう言った。


「私、浴衣自分で着付けできますよ?」

 りおちゃんは、ふ、と笑った。


 くっそーーーーー!腹立つーーーーー!!

 こなれた感じで誘ってきやがった!

 その誘い乗ってやろうか?あん?女たらしの本気なめんなよ?


 と、我を忘れて乗っかりそうになったが、いや違う、と思い直した。

 何も、ここがあいこさんの家だからとか、そういうことじゃなくて。

 おれは、勝手に作り上げた、”純で真面目で不器用でいい子なりおちゃん”という幻想を好きになってただけなんだ。そうじゃない、傷付いた男に二股掛けようとして誘ってくるりおちゃんのことは、少なくともまだ、好きじゃない。

 そして何より、幻想のりおちゃんに、おれはいっぺんたりとも欲情しなかった。

 りおちゃんの誘いに乗る、論理的な理由はなかった。こんなことに論理なんて持ち出すものじゃないけど、感情をかき乱してくる相手には、論理で対抗するのが一番だろ。


「もう、お開きにしよ。送るよ。」

「はぁい。ざんねーん。」

 ぜんぜん残念そうじゃない。ほんと恐ろしい子…!


 りおちゃんを送る車の中で、おれは考えていた。

 白いお粥を作ったから純粋で真面目、なんて、時代錯誤も甚だしい。古き良きヒモをやりすぎて、頭まで古くなっていた自分を反省した。

 そして、おれは、行きずりに寝たユイさんと同様に、りおちゃんの名前の漢字を知らなかった。曲がりなりにも、付き合いたいと思った人なのに。きちんと向き合ってないのはお互い様だった。


「浴衣着てきたから~、って、おっかしかったなぁ。」

 腹立つ。相変わらず腹立つ。

「でもりおちゃんも、浴衣着付けできますよ、なんて言ったじゃん。」

「あ、反撃されちゃった。」

 そう言って笑うりおちゃんは、好きにはならないけど、面白いし悪くないよ、と思った。


「りおちゃん、名前、漢字でどう書くの?」

「瑠璃の璃に桜で、璃桜。」

 ごめん、何か勝手に理央とか理緒だと思ってた。おれは、浅はかだし、人間をよく見てない。あいこさんのことも、何だか死んだ後の方がよく分かってきた気がする。


 璃桜ちゃんと別れて、また家まで車を走らせる。

 腹立つことではあったけど、今回の件でひとつ良かったことがある。

 おれは今、本気で、だれかと付き合うことを検討できる状態になっている。

そろそろ、引き出しを開けるべきなのかもしれない。あいこさんが遺言状を仕舞った、あの引き出しを。


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