#10 おかゆ
「あ、いらっしゃい。今日早いわね。」
「うん、今日は2コマ目のクラス休講だから。」
仕事が早く終わったので、BAR木の実に来た。
あれ以来おれは、2週に1回ぐらいはここに来ている。あんまり金ないけど、おれを妙に気に入った不動産王こと中元さんが、
「失恋割ってことで、彼女出来るまで安くしてやるよ!」
とでかい声で言ったから。
ママもりおちゃんも、話を聞くときは和やかで、そっとしてほしい時はそっとしてくれる。ママはともかく、りおちゃんは、自信なさげに見えて意外と人のことによく気が付くし、客あしらい上手いよなぁと感心する。
BAR木の実は、ウイスキーをたくさん揃えている。もともと、ママと中元さん夫妻がウイスキー好きで、ママが早期退職したのを節目に、自分たちの持つ物件の中でちょうどいい場所・広さのこの場所に店を構えた。素敵な、第二の人生だ。
人生の大先輩を前に、おれなんか引き合いに出しちゃいけないだろうけど、おれも早く第一・五の人生を踏み出したいよ。涙を流すことはなくなったけど、いまもあいこさんの家で、ふとした時にあいこさんを思い出し、センチメンタルに浸っている。
「元カノさん、どんな人だったか聞いてもいいですか?」
りおちゃんが言った。
「あー…なんか飄々としててしっかり者で、頭良いお姉さんなんだけど子どもっぽいところもあって、けっこうそっけなくて、小柄でかわいらしい顔してるけど言うことは辛辣…。」
「それぜったいお兄ちゃん振り回されてたでしょ!
あんた優しいから、そういう捉えどころない女にはまって言うこと聞いちゃうんだろ?」
やめてくれ不動産王。豊富な人生経験でおれの人生を透視しないで…だいたい、いや丸きり合ってるから。
「すごい好きだったんですね。褒め言葉と悪口のバランス全然取れてない。
二股されたのに。」
りおちゃんまで意地悪だ。やっぱ頭いい子は察しがいい。
みんなの言う通りだよ。
おれは、おれが弱いタイプの捉えどころないあいこさんに振り回され、まんまと好きになり、こうして未だに好きで。
進んでるようで、全然前に進めてない。ランニングマンでも踊るか?
BAR通いなんかして悠長に暮らしているが、おれの蓄えはちょっとずつ目減りしている。当たり前だ、あいこさんに生活費も光熱費も全部賄ってもらって、自分の携帯代しか払ってなかった、今時珍しい由緒正しきヒモだったから。
ダンススクールの方はクラス増やしてもらってるけど、仕出し屋はシフトこれ以上増えることはないし、でももう1つバイト増やしたりするほど時間の余裕もない。
普通だったらここで正社員目指して就活するんだろうけど、大卒後いきなりフリーターになって2年経ったおれに、まともな職あるのかな…。
それ以前に、おれは留学する費用を貯めるという目的もあってあいこさんちに転がり込んだんだ。留学するなら、せっかく入社してもすぐ辞めることになる。
軽い八方塞がり。もっと深く考えれば、何か道があるのかもしれないけど、この状況は 完全に、おれの怠惰が招いたものだ。
ダンススクールで増やしてもらったクラスは、何とガールズヒップホップで。
通称ガールズは、その名の通り女性らしい艶めかしい動きが特徴的なヒップホップダンス。男性でもできるっちゃできるけど、おれには未知の領域だった。
しかし意外にもこれがおれにはハマっていた。
もともと体は柔軟だし線が細いから、あんまり違和感なく、むしろこのヒモ顔と、ちょっと色気ある動きがマッチしていい感じ、と自分では思っている。
金に困っての苦肉の策が、おれの幅を広げてくれた。
そして、ふと思ったんだ。
あれ、おれの推してるアイドル・LOVE&※ラブアンドライスって、結成初期のからのファンが曲提供するようになったんだよな。と。
おれ、ワンチャン振付させてもらえないかな?女の子っぽいダンス、結構いけるぞ?
いや、その頃と今じゃLOVE&※の状況が違いすぎるのは分かってる。大物アーティストと組んで、シングルはオリコンでも必ず10位内には入る。素人のおれなんて付け入るスキはない。
でも!夢は自由だから!やってみなきゃ始まんないから!!
iPhoneを固定できる三脚だけ買って、家の鏡の前で動画撮って、DVDを送ってみることにした。まだライブで披露されてなくて振付のない、カップリング曲やアルバム曲の中から、バラード・アップテンポな曲・エレクトロ系と3曲選んでそれぞれ振付してみた。
前にあいこさんが言ってた。
「おこめちゃんたちはさ、抜群に脚長くてスタイルいいとかじゃないけど、表情が可愛くて愛嬌があるから、顔周りの振りが多くて表情あるダンス合うと思うんだよね。」
アイドルオタクによくある、”自分は踊れないけど、アイドルダンス観すぎて妙に目が肥えてきて、御託並べだす”やつだ。でも、結構的を得てるとは思ったので、フォーメーションで魅せるというよりは、手を使った覚えやすくかわいい振付にした。
表情も、すっごい気恥ずかしいけど、女の子がしたらかわいいであろう表情を頑張ってやってみた。
これを、3人分×3曲、計9本の動画にする。もちろん全て一発OKになるわけじゃないから何度も何度も撮り直し、全て終わるころには23時になってた。
疲れからかすごく体がだるくて、ベッドに倒れ込んだ。
翌朝、おれは、体温計なしでもわかる高熱を出した。
フラフラになりながら車を出して病院で検査を受けた。インフルエンザ。熱が下がっても2日はバイト休まなきゃならない。あんまり金もないのにこれは痛い。
翌日も熱は下がらず、夜まで何も食べる気にならなくてただただ布団被ってたら、iPhoneがヴン、と鳴った。
りおちゃんからだった。
「こんばんは!
今日お客さん少なくて空いてるので、
お近くにいたら遊びにきてください~」
りおちゃんとは先々週、お店でLINEを交換した。
「店の混み具合とか臨時休業とか教えるからさ!」
と、不動産王に半ば強引に交換させられた。薄暗いあかりの中でも分かるくらい、りおちゃんは赤くなってて、(あー、そういう感じのやつか…)と察した。
「ごめん、昨日からインフルで。
ずっと寝込んでるわ。
元気になったら顔出すね。」
りおちゃんから即レス来た。
「大丈夫ですか?!
私、明日昼間予定無いから、
ポカリとか食べるもの持って
行きますよ!
一応医学部生なので、感染る
とかはご心配なく。」
いや、こんな町はずれまで申し訳ない…と思いつつ、ポカリは尽きたし、ゼリーとか喉に優しいものも欲しい。厚かましくもお言葉に甘えることにした。
おれが風邪で寝込んだ時、あいこさんは
「ちょっと、感染さないでよー。」
とそっけなく言いつつ、鶏ガラスープの卵粥や、しょうが蜂蜜湯を作ってくれた。
「身体あっためな。」
と言って渡してくれる、しょうががいっぱい入ったしょうが蜂蜜湯は、おばあちゃんキライだったと言ってたけど、やっぱりおばあちゃんと暮らしてたんだな、と思うような味だった。
翌日りおちゃんは、手袋をしマスクを着け、よくある水色の防護服を着て現れた。
うん…りおちゃんは正しい。医学を学ぶものとして正しい感染対策だよ。わざわざこんなとこまで、貴重な休日に時間割いて来てくれたことも、凄くありがたい。
でもなんだろう、おれは「本日の感染者!」と書かれたタスキを掛けられたような気分になった。
りおちゃんは食料と、お手製のお粥まで持ってきてくれていた。
シンプルな白いおかゆの真ん中に赤い梅干し。りおちゃんの真っ直ぐな性格が出てるなぁと思った。久しぶりに食べる、味付け無しのお粥は美味しかった。
「こんな閑静な所に1人で住んでるって、ちょっと不思議な感じ…。」
仕出し屋のおばちゃんと言ってる内容は同じだけど、表現はかなりソフトだった。
誤魔化してもなぁと思って、白状した。
「実はここ、元は彼女の家でさ。
おれ、ここに転がり込んだんだけど、彼女半年前くらいに死んじゃったの。
なんか出てくタイミング逃しちゃってさ。」
務めて明るく言ったつもりだったけど、りおちゃんは、え…と固まってしまった。
申し訳ないなぁ気を使うよなぁ、なんて思ってたら、りおちゃんは大粒の涙を流し始めた。
「え、え、え、どうした?!大丈夫?ごめん変な話して!」
「…ごめんなさい…なんか、辛いんだろうなって考えたら、勝手に泣けてきちゃって…」
おれは、嬉しかった。
かわいそうとかじゃなく、おれの苦しさを感じ取って、共鳴してくれてるような気がした。
りおちゃんは、本当にいい子だ。勉強上手く行かないけどひたむきに頑張ってて、こうしておれの看病しに来て、涙まで流してくれて。
こんな真面目ないい子に、軽々しく抱きしめたりキスしたりなんかしない。おれも女たらしとしての矜恃がある。
「ありがとね…」
と言いながら、透明な手袋を着けたりおちゃんの手を握った。
あいこさんの家で、あいこさんの部屋の隣で、これはOKなんだろうか。
いやでも、おれ今フリーだし。あいこさんはもういないんだし。
しかも、ただ手握っただけだし。
え、全然いいでしょ!ねえ!!
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