#7 はがき

渡瀬愛子様宛に、はがきが届いた。往復はがきだ。


「愛子へ

 元気で生きてる!?

 俺はまだ大阪です。意外と辞令来ないもんだわー。

 10月に菜々子が式挙げるの聞いてる?

 菜々子、愛子に連絡したけど返信ないって悲しんでたよ。

 これ読んだら連絡してやってよ。

 俺も、返信待ってるよ。」


 は。

 誰だよ。


 往復はがきの返信用はがきには、”山下亮介”という名前と、大阪の住所が書いてあった。絶妙に聞いたことありそうでない名前だ。Facebookとかで検索しても一番情報得られないパターンの奴…あ、でも住所分かってるから突撃は出来るな。行こうかな大阪。


 と考えて、さすがに気が早すぎるし、おれにそこまでする権利はないことに気が付く。でも、こいつが誰で、どうして往復はがきなんてまどろっこしいことをこの時代にしているのかは突き止めたかった。

 全然冷静じゃない頭で、返信用はがきにマジックで「お前は誰」まで書いたところで、さすがにこれは穏やかじゃない、と思い直し、「ですか」と付け加えた。

 バイト先に行くときに、ポストに突っ込んだ。その直後に、住所を控えてなかったことに気づき、投函口に手を入れてみたけどもちろん届かなかった。


 久しぶりに掛け持ちのバイト先がどちらも休みの日、おれは居間で昼寝を堪能していた。

 それなのに、いきなりピンポンが鳴った。宅急便なら再配達してもらおうとシカトを決め込んだが、ピンポンピンポンピンポンピンポン全然諦めない宅急便屋に腹を立てながら、勢いよく玄関を開けた。


 全然知らない、おれより少し小柄の、若いサラリーマン風の男が立ってた。

 ネクタイしてないし、袖まくりしてジャケットも脇に抱えてるから、多分セールスじゃない。


「え、誰…ですか……。」

 おれが尋ねるとその男も、(え、誰……)という顔をしていた。

「…ここ、渡瀬愛子さんの家ですよね。愛子さん、居ます?」


 こいつ、あいつだ。名前控え忘れたからもう覚えてないけど、あの絶妙に居そうな名前の、往復はがきのあいつだ。

「いや、あなた誰ですか。おれが先に聞きましたよね。」

「あ…ごめんなさい、山下です。愛子さんの友人で…。」

 友人か?あれが友人の馴れ馴れしさか?そして山下だったか?もう絶妙すぎて合ってるか合ってないか分からない。


 山下は急に勢いを取り戻して喋り出した。

「あなた、ハガキ返信してきた人ですよね。『お前は誰ですか』って書いたでしょ。

 何であなたが書いたんですか。愛子は元気なんですか。」

 痛いところを突かれた。確かに、彼氏であったとしても本人が亡くなっていたとしても、おれが勝手に書く、しかも全然穏便に収められていない返信をしたのはまずかった。


「………あいこさんは、亡くなりました。」


 そういうと、山下は、口を半開きにしたまま黙り込んでしまった。

 絶対、元彼だろうなと思った。急に死なれたら、リアクション出来ないよね。分かるよ。

 と思ったら、山下はおれよりタフだった。

「…それ、本当なの?

 君のこと信用してない訳じゃないけど、信用してる訳でもないし、君が愛子に何かして居座ってる訳じゃないっていう証拠もないよね。本当に愛子死んだの?」

 タフだけど混乱してる山下は、要約するとおれのことを全然信用してなかった。それも分かるよ。おれは、山下を居間に通した。

 山下は、年は結構上だろうけど、子犬系の顔してて、ヒモ顔のおれとは真逆の雰囲気で、あいこさんおれの顔好みって言ってたくせに元彼全然おれと違うじゃん!とイライラした。


 誰かが死んだことを証明するって、意外と難しい。

 家の中に居ない、ってことだけじゃおれの無実は証明できないし、あいこさんの家族に電話して証言してもらうとかもできない。家族がいないから。

 香典返しのお礼状とか残ってないかなとか考えて、書類の引き出しを探ったら、最強に説得力のあるものが見つかってしまった。これを出すのは酷だけど、これ以上待たすのも酷かもしれないと思い、「それ」をちゃぶ台の上に置いた。


 あいこさんの、死亡診断書の写し。


山下はそれを見つめて、少し顔を落として、小さな声で

「君は何で、ここに居る?」

と言った。気が付けば”あなた”から”君”になり、タメ口になってる山下に、親切に、おれとあいこさんの関係と、おれが孤独死対策要員だったことを話してやった。


「ショック受けてるとこ申し訳ないですけど、次はおれの質問に答えてください。

あのはがき、何だったんですか。」

 山下は、ゆっくり答えてくれた。おれの予想通りあいこさんの元彼で、あいこさんがここに引っ越してくるタイミングで別れた。そしてあのはがきは、あいこさんが頼んだものだった。

「愛子が、死んでずっと発見されないのは嫌だから、四半期に一度送ってくれって。

元気だったら返信するから、1週間返信が無かったら見に来て、って。」

 四半期って言うな。3ヶ月って言え。サラリーマン風吹かすところがうざい。

 そしてこのシステム、あれだ。中学校のとき、国語の教科書に載ってた、疎開先の娘にはがき送らせる父ちゃんの話。あいこさんやることが小粋だね。

いや、そうじゃなくて。


「愛子は、君と俺と、二重に保険をかけてたってことだね。」


 そういうことになる。自分が死んだときのために、最初は元彼を使い、そしておれも追加した。

「それって…」

「最低だよね。」

 おれが言いかけたのを遮って、山下はまくし立てた。


「そもそもこのはがきだって、俺が彼女出来たり結婚したりっていう将来を想定してないよね。四半期に一度の生存確認なんて、有って無いようなもんだし。それに君と付き合ったならもう俺は用済みなんだから、そう言えばよかったのに、しなかった。自分が死ぬかもしれないからって、2人の男に気持たせて、振り回して、あっさり死んで。」

 あいこさんが悪く言われるのは苦しいけど、全く山下の言う通りで。


「ホント、最低だよ……」


 えぇ…。

 山下はちゃぶ台に涙が落ちるくらい号泣し始めた。おれは、おれ以外の「号泣する成人男性」を初めて生で見たかもしれない。

「こんなっ…最低な女なのに……なんで俺………。」

 鼻水垂らしそうな勢いだったので、ティッシュを箱ごと渡してやった。おれを見てるみたいで、いたたまれない。山下も、きっと、ずっと、あいこさんのこと好きだったんだ。なぜか背中まで撫でてやったおれは、ほんとに優しい。


「ごめんね、取り乱しちゃって…。いきなり上がり込んで、びっくりしたよね。

君も辛いのに、尋問みたいなことして、ほんとごめん。」

 泣き止んだ山下は、思ってたより人懐っこくて優しそうな顔で少し笑い、鞄を持って立ち上がった。

「待って。」


「はがき。今までのはがき、見せてください。持ってますよね?」


 完全に当てずっぽうだけど、確信していた。山下は、あいこさんの返信はがきを全部持って来ている。おれだったら、絶対にそうするから。あいこさんが生きているか死んでいるか分からない状態で会いに来るなら、持たずにはいられないと思うから。


 山下が鞄から出したはがきの束、その中の、おれと暮らしている期間のものを抜き出して読んだ。

 仕事のこと、食べたもの、遊びに行った場所、ライブに行ったこと。

 おれが見てきたあいこさんの生活そのものだった。

 でも、おれの情報だけがすっぽり抜け落ちていた。

 あいこさんは、はがきの中ではずっと一人で暮らしていた。

 次は、おれが号泣する番だ。

 ティッシュの箱がこっちに寄せられた。




 何故か、今おれは、個室の焼き肉屋で山下と肉を食っている。


 おれが泣き止むころには夕方になっていた。山下が帰るのにちょうどいい時間のバスがなく、1時間は待ちそうだったので、車で送ります、と言った。山下は

「それなら、飲み行こう。お礼にごちそうするから!」

と、明るく言ってきた。おれが戸惑っていると、

「君は、聞きたくない?愛子のこと。

俺は聞きたい。愛子が死ぬまでの1年半のことを知りたい。

嫌なら、無理強いはしないけど」


 聞きたい、と即答できるわけじゃなかったけど、今を逃したら一生知ることはないだろうとは思った。

 そして、今、ここに居る。

「よく食うねー。俺もうカルビとか食えなくなってきてるからさ!若いねーほんと」

山下は、いや、亮介さんは、敵対心を無くして見たら明るくて面倒見のいいお兄さんという感じだった。


「あいこさんと、どっか行ったりしたんですか。」

「大学の卒業旅行ってことで、ポーランドとチェコとオーストリアを電車で回ったな

 ぁ。就職してからは、カンクン行ったりとか。」

 敗北感がすごい。おれは、海外連れていくどころか、東京に連れて行ってもらってた。


「凹んでる?でも俺は、アイドルのライブとか連れてってもらえなかったよ。

 あんな家じゅう米だらけにするくらい好きなものを、一緒に楽しめなかった。

 君が羨ましい。俺は。」

 おれも亮介さんも、今、一緒に失恋してるんだなぁと思った。


「君は死別だけど、俺はハッキリ振られちゃったしさぁ。」

 あいこさんの病気が分かってほどなくして、こっちにUターンしたいと言ったとき、亮介さんはプロポーズしたらしい。

「何にも分かってないね、って言われたよ。いつ死ぬか分かんなくて、自分の未来が見えなくなったことに苦しんでるのに、何で将来の約束させるのって。俺に愛子の辛さを受け止める覚悟ないの、見抜いてたんだろうね。

 逆に君には、死ぬまでの期間とその後を任せようって思ったんだからさぁ、悔しいよね。」


 笑って話す亮介さんがまた泣き出さないか心配になったので、亮介さんの仕事のことを聞いたり、おれが留学したいと思ってることを話したりした。

 行きたい都市決まったら教えてよ、現地の友達とか紹介するから、と言ってくれた。

 おれも優しいし、亮介さんも優しい。

 優しい男2人を手玉に取って、あいこさんはとんだ悪女で、最低で。

 あいこさんの情報は増えたし、あいこさんにとっておれがどういう存在だったか、少しは分かった。でも、おれと過ごしながら亮介さんとも往復書簡してた気持ちは分からない。

 亮介さんを駅まで送ってひとりになったら、自分がどんな気持ちになるのか不安で、このままずっとこの個室に居たい。大好きな人と暮らした家に帰るより、大好きな人の元彼と居るほうがいいなんて。

 あいこさん、お前は、誰ですか。

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