#6 他界

 「ゴリ田さんって他界しちゃったの?」

というツイートをたまに目にする。ライトにあいこさんの死を確認してる訳じゃない。アイドルオタクを辞める、あるいは、推しのアイドルグループを乗り換えることを、「他界」と呼ぶんだ。本当の意味で他界しちゃったんだよなぁなんて、笑いたくなるけど笑い事じゃない。そして、「ゴリ田さんと仲いい垢」こと「ユーザーネーム:おせきはん」ことおれも、こういう、ゴリ田さんの消息を尋ねるリプライを貰うことがある。


 正直、非常に困る。

 結局他人であるおれが、本当のことを言うべきか。そしてその経緯を話すとしたら、おれたちの関係も話すことになる。オタク界隈で、男女のオタクが同居してほぼ恋人関係になってました、なんて言うのは、やたら生々しくてあんまり言いたくない。さらにその片方が亡くなったとなると、妙に「物語」になってしまう。

 おれたちはもはや、フォロワーという関係ではなくなり、恋人なの?どうなの?と(おれだけ)自問自答するような段階に居たので、今更「ゴリ田」と「おせきはん」の関係をどうこう言われるのもしっくり来ない。


 こういう時はただ、「仕事忙しいみたいだよ」とだけ返す。


 「鮫皮」さんが、家にやって来る。鮫皮さんは、おれとあいこさんの共通のフォロワー。数少ない、というか唯一の、あいこさんが「ゴリ田」であり、おれが「おせきはん」であることを知っていて、かつ、おれたちが同居して以降、この家に来たことがある人物だ。

 あいこさんの葬儀のとき、オタ友の中から鮫皮さんにだけ連絡した。でも、鮫皮さんはちょうど出張中で、どうしてもスケジュールに穴をあけてこっちに来ることはできなかった。DMだけのやり取りは、鮫皮さんの「…」で溢れていた。おれは鮫皮さんに電話することすらできなかったんだ。


 久しぶりに鮫皮さんからもらったDMには、

「ずいぶん経ってしまったけど、ゴリちゃんにお線香あげたい」

と綴られていた。おれは、仏壇もないからお線香あげられないけど、思い出話しに来てよ、と返した。

 駅前に迎えに行ったら、前回会ったときよりずいぶん髪が短くなった鮫皮さんが居た。

「髪、いい色だね」

「ありがと、でももう結構落ちちゃってさあ。前はもっといい感じのピンク」

鮫皮さんはあいこさんより一つ上のお姉さんで、はつらつとした喋りと、顔いっぱいに笑う人懐っこさが素敵な人だ。人見知り気味で慣れるまでは物静かなあいこさんも、鮫皮さんには軽口叩いて、いい友達だった。


「おせきはんもさぁ、大変だったでしょ。急にだったんだよね。あんなに若くてさ、元気だった人が、こうなっちゃうもんなんだね…」

 過剰に寄り添うでもなく、少し時間が経ってから、自分の中であいこさんの死を咀嚼してから会いに来てくれる鮫皮さんには、感謝してる。

 家に着いて、あいこさんの部屋だった和室に通す。あいこさんの机には、あの、おれが撮った写真が飾ってある。

「これ、おせきはん撮ったでしょ。ゴリちゃんがかわいい」

 さすが、お見通しだった。



 あいこさんとおれ、そして鮫皮さんは、お互いにしか自分が「○○の中の人」であることを教えてなかった。おれは別にばれてもいいやって思ってたけど、あいこさんと鮫皮さんはそこは隠したがってた。

「色々面倒なことになるかもしれないから」

って。

現場で出会った数少ない女オタ同士の鮫皮さんとあいこさんは、すぐに意気投合したらしい。そして、あいこさんと仲良くなったおれも、その輪に混ぜてもらっていた。鮫皮さんは、ちょっと浮いてるおれを面白がってた。

「不良青年、けっこういいコールすんじゃん。舐めてたわ」

とか言って。


 同居を始めて割とすぐの頃、S県での現場終わりに、あいこさんが

「せっかくだからうちで飲もうよ、ちょっと遠いけど」

と鮫皮さんを誘った。おれはドキーッとした。おれたちの関係をまだ全然話してなかったから。あいこさんどうするつもりなの…と冷や汗が出たけど、あいこさんは鮫皮さんときゃいきゃいつまみや酒を選んでいた。

 あいこさんが

「古い家だけど上がってー」

と鮫皮さんを招き入れる。玄関にめちゃめちゃおれの靴置いてありますけど?!あいこさん、事前に言っといてよ、このくらい片付けられたのに。気の回る鮫皮さんが気づいてないはずなかったけど、何も触れず

「えーいいじゃん趣きー。庭広!侘び寂びー」

 適当な和風観を披露する。


 ひとしきりライブの感想を喋ったり、あいこさんの秘蔵のグッズをお披露目して話がひと段落した時だった。

「え、ふたりはさ、同棲してんの?」

鮫皮さんがノーモーションで火の玉ストレートをぶち込んできた。ここはあいこさんの家であり、鮫皮さんは元々あいこさんの友達。おれに何も言えることはない…とだんまりを決め込んだら、あいこさんが

「あーまぁそんな感じ。四月からうちにいるの」

とあっさりと答えた。おれは、目の周りがかっと熱くなり、前を見られない。

「そーなんだ、って大体分かってたけどね。不良青年、全然喋んなくなったし」

 鮫皮さんはいつもの人懐っこい笑顔でカラッとした雰囲気にしてくれた。やるじゃん君、となぜかおれを褒める。厳密には同棲じゃなくて同居なんだけど、まぁいいや。


「オタク同士で住むとかさぁ…」

うわ、何か言われそうな気配。おれは身構えた。

「めっちゃ楽しいじゃん。情報解禁リアタイで一緒に喜べるし、ライブの円盤出たら即日上映会でしょ?すごいいいじゃん。おせきはんずるい、あたしもゴリちゃんと住みたい!あたしもここ住もうかな」

「いやあんた仕事あんじゃん」


 ホッとした。鮫皮さんは、おれたちのことを、男と女以前に、オタクとオタクって思ってくれてた。いやまぁおれ自身が全然あいこさんを女性として見ているけど。

「いいでしょ、代わってあげないよ」

やっとまともに喋れるようになったおれがそう言うと、キーやな奴!やな奴!ゴリちゃんを返せー!と鮫皮さんが乗ってくれて。その後、あいこさんがトイレに立った隙に

「よかったじゃん、おせきはんすんごいゴリちゃんに懐いてたもんね。幸せ者め」

と言ってくれた。おれが、まぁ向こうがどういうつもりかはよく分かんないしさ…とモゴモゴ言ってたら、

「バッカ、ゴリちゃんが好きでもない奴、しかも男の子と住むわけないって、あんたも分かってるでしょ」

と言ってニヤニヤしていた。おれとあいこさんのことをどちらもよく知っている人って、

そういえば鮫皮さんだけだな、とその時初めて気づいた。



「今度の新曲さ、ゴリちゃん絶対好きそうな感じだったね」

 そう。だからおれは、あんまり聴けてないんだ。鮫皮さんは、おれにどういうテンションで居てほしいだろうか。感傷的になったほうがいいのか。吹っ切れてる風で、昔話を楽しくしたほうがいいのか。

「この家って、いつまで住んでていいとかあるの?」

 急に鮫皮さんが聞いてきた。いや、あいこさん名義で、賃貸じゃないから期限はないよ。そういうと、

「そっか。よかったね。おせきはんが『もう大丈夫』って思えるまで、ここに居なよ」

 嬉しかった。おれ自身が一番、ここに居ることに迷いと罪悪感を覚えていたから。涙目になったのがバレないように、少し下を向く。


「そんでさ、ゴリちゃん、アイコっていう名前だったんだね」

「え、何で分かったの」

「今おせきはん言ってたよー」

 鮫皮さんはケラケラ笑って、おれも、まじかぁ恥ずいなぁって笑った。おれは今まで、どうにも気恥ずかしいから、鮫皮さんの前であいこさんのことを呼ばないように気を付けていた。あいこさんとも、ゴリ田さんとも。意外とそれでも会話が成り立っちゃうから日本語ってよく出来てる。


「あたし、あんなに仲良かったけど、ゴリちゃんの名前知らなかったんだね。今の今まで気づかなかった」

 鮫皮さんはそう言って、少しだけ泣いた。

 それでも、本名知らない間柄でも、おれたちは顔つき合わせて笑って、一緒にコールして、くだらないリプし合って、だれにも教えてないあいこさんとおれの本当の関係性を共有してたんだ。


「アイコちゃんって、可愛い名前だね。

 でも、あたしにはずっとゴリちゃんだよ。

 おせきはんも、これからもおせきはん」

 でも、と言って鮫皮さんは手帳を取り出した。手紙書きたいからさ、住所と名前教えて、って。確かに、あいこさんに伝えたいと思ったら、もうログインできないアカウントのDMじゃなくて、写真の前に置ける手紙の方がいい。この家の住所と、「渡瀬 愛子」という名前、そしておれの名前も書いておいた。

「いい名前だね。ふたりとも、いい名前」

おれも、鮫皮さんの名前を教えてもらった。「広田 真奈美」と言うのが鮫皮さんの名前だった。


 鮫皮さんの持って来てくれた、とらやの小型羊羹を食べる。現場前に、ライブハウスの外であいこさんがよく食べていた。さすがにふつうの羊羹を丸ごと食べる訳にはいかないから。あいこさんと暮らすと、あのでっかい羊羹を分け合って食べなきゃいけないこと。鮫皮さんでも知らない。


 駅で見送る時に、鮫皮さんが言ってくれた。

「何か困ったら連絡してよね。おせきはんはさ、まだ自分が思ってる以上に若いんだか 

らさ。鮫皮としてでも、広田としてでもいいから」


 いや、鮫皮さん。どちらで呼んだって、おれにとっては、あなたが明るくて優しくて、おれとあいこさんを見守ってくれてた、頼れるお姉さんなのは変わらないよ。これからも、おせきはんと鮫皮さんで居てくれたら、おれは嬉しいよ。

 てか、鮫皮とゴリ田とおせきはんって。センチメンタルも吹き飛びそうなアカウント名にしてて良かったよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る