エネルギー効率で言えば、アンドロイドもサイボーグもさして変わりはない。特にテッドは外部出力をなるべく抑えるようにという思想のもと造られた個体であるから、必要とするエネルギーの摂取総量で言えばハクスリーのそれを2割ほども下回る。どちらも規格品のバッテリーの他、経口で多糖類を摂取し、消化吸収することでかつての人類とは比べ物にならないほど長時間稼働できる。

 しかし、それでも限度があった。断絶以降続く混乱で規格バッテリーの備蓄は漁りつくされていたし、地表の植物もあらかた枯れ果て、野生の動物などにもめったにお目にかかることは無かった。人々は、残った僅かな資源を奪い合って生きていた。


「ええと、医者はどこだと言っていたかな」

「フォート・モハビです」

「そうか、そうか」とハクスリーは頷いた。また、いつもの曖昧な状態に戻っていた。

 66号線は、およそ南西の方角に向かって真っすぐ伸びているように見えた。路面は灰混じりの泥があらかた覆っていたが、時折アスファルトに走る大きなひび割れはそのままの形を表面に浮き彫りにしていた。道路の脇に目を向ければ、朽ちようとしてそのまま時を止めた、地面よりほんの少しだけ濃い灰色の灌木がそこかしこにあった。大気が濁っているのが、地平線の霞み具合でよく分かった。

 もうずっと晴れることのない空はいつでも薄暗く、時間の感覚を曖昧にした。あるのは真っ暗闇に包まれた夜か、ほんの少しだけそこから逸脱した茫洋たる時間帯、ただそれだけだった。かつて人工網膜の端に正確な時刻を表示してくれた標準周波数電波は、絶えて久しい。

「ここからフォート・モハビは遠いだろうか」

「どうでしょう。カリフォルニアとの州境の町だったと思いますが」

「そうだったような気もするな」

「なら、一週間もあれば」

「私はいいが、おまえの怪我は大丈夫かね、テッド」

「ええ、心配ありませんよ」

 そうかそうかと、満足気にハクスリーは頷いた。

 広大に過ぎるアメリカ西部の土地を徒歩で移動すること自体に、問題はなかった。生身の人間と違って人工筋肉に乳酸は溜まらず、疲れを覚えることもない。見晴らしの良く、不審な者が近づいてくればすぐに分かるこの道も、かえって都合が良かった。

 ただ、1日の内数時間は必ず休息しなければならなかった。人間の脳は、睡眠という形で必ずそれを欲するからだ。ために、辺りが暗くなってくれば休み、やや明るくなってくればまた歩き出すというサイクルを自然とることになった。

 道で誰かとすれ違うことはなく、また誰かに追い越されることもなかった。荒野を走る道、街中を伸びる道。視界の限り真っすぐに続く道、緩やかにカーブしていく道、様々な角度をもって交差する道。どこまでも同じような幅で続くそれらは、ただひたすらに2人のものだった。ハクスリーは口数の多い方ではなかったし歩きながらであれば猶更で、テッドも輪をかけてそうだったものだから、自然足音と規則正しい息遣い、そして風とそれが枯れた雑草や灌木を揺らす音だけが旅のほとんどを支配した。

 どこまでも66号線は続き、やがて右手にそびえる岩山を迂回するようなゆるやかなカーブに差し掛かって、ハクスリーがふと斜面を見上げる姿勢で立ち止まった。

「どうかしましたか?」

「うるさい。声を立てるな」

 正気のハクスリーだった。

 立ち尽くすしばしの間の後、舌打ちをしながらまた、ハクスリーは歩き出す。

「いたような気がしたんだがな、人が」

 言い訳がましい口調で、前を向いたまま零した。

「息子かもしれん、あそこからおれが来るのを待っているのかも。そう思っただけだ、そんな訳はない」


 辺りの地形が再び平坦になり道が真っすぐに伸びるようになって、同じような景色が幾日も続いてから3日目、霞の中に平屋の連なる屋根が見えるようになった。平屋というには、幾分屋根が高い。街はずれにある倉庫の並びのようだった。

 辿り着いてみれば、殆どの倉庫はシャッターが破壊され、中が荒らされ価値のありそうな資材などはあらかた持ち去られた後だった。駐車場にいくらか車は止まっていたが、どれも灰が分厚く積もって、タイヤがぺしゃんこに潰れているものばかりだった。土砂や砂礫が脇に山と積まれていて、道から外れたところにある背の高いセメント工場はすべて静止していた。

 道は町の中心に向かって伸びていて、歩くほどに道路脇に積まれる残骸が増えて行った。それは風化寸前までぼろぼろになった機械油の缶の山であったり、支柱のさび付いて傾いだダイナーの看板であったりした。看板の字は辛うじて「スカイライン・チキン・バスケット」と読めた。その向こうにある、窓という窓をすべて失い中が真っ黒に煤けている建物がその名残であるようだった。

 やがて車線が増え見晴らしが少し変わったもののその他は何も変わらず、人の気配はまるでないままだった。2人は、廃墟となった街をまたぐように通り過ぎた。

 66号線の終端で交差する州道に歩を進め、町の反対側まで辿り着いた頃には、半日近くが過ぎようとしていた。

「フォート・モハビはあと1日かそこらだったと思います」

 うん、とハクスリーは頷いた。

「でも、今日はここで休まないか」

「ええ、勿論」


 フォート・モハビまではテッドの言う通り1日がかりの行程だったが、そこは今まで通り過ぎてきた町同様、荒廃し静寂に満ちていた。

「病院は、ここか?」

「そうですが、今は誰もいないようです」

「そうか……」

「技師も、探してみましょうか」

「そうか、技師だ。そうだった」

 町の北側から入って南に抜け、分岐路に差し掛かろうという折、珍しく雨が降ってきた。最初はそれと気づかぬほどまばらで小さな雨滴だったのが、すぐに雨滴は大きくなり服や地面を叩く音が辺りを満たし、やがて辺り一面を叩くような強さで降り注いだ。

 灰色の雨滴の、酸の強い雨だ。かつてホームセンターで10ドルかそこらで贖えたような安っぽいビニールのレインコートは備えがあったから、テッドは背嚢から2人分を取り出してハクスリーと分け合った。ただ、街中での雨であればどこかでやり過ごすのが無難だった。

 向かう先の方には分岐路の一部にあたる、高架になった40号線が見えていた。

「あそこまで走りますか?」

「いや、あの家のポーチを借りよう」

 ハクスリーが指さすのは、黒々と焼け落ちたモーテルの向こう側にある民家だった。まだ原形を留めていて、ポーチの屋根も無事なように見えた。

 アスファルトを外れ、早くもぬかるみ始めた地面を小走りに駆けて、2人はポーチに辿り着いた。かつて主人や来客を迎えていたであろう木製の椅子やテーブルは割れたままになっていて使えそうになく、足元の床も足を乗せたところが軋んでたわむ有様だったが、見込んだ通り屋根は無事だった。

 ハクスリーは脱いだレインコートを、テッドの方に乱雑に投げて寄越した。いつの間にか、正気に戻っていたようだ。

「この家は、まだ人がいるかもしれん」

 しゃがみ込んで、灰混じりの泥が積もった床、そして母屋へと交互に視線をやりながら、独り言のように呟いた。

「足跡がまだ新しい。玄関の扉に向かっていて、扉もきちんと締まっている」

 鋭く、舌打ちをした。

「ハズレだ。おい」

 テッドを呼びつけ、再びレインコートを受け取ろうとしたところに、扉の方から声が掛かった。

「何をしている」

 玄関扉が細く空いて、ひとりの老人が太く角ばった木材を両手に覗いていた。

「この家には何もない。とっとと失せろ」

 眼鏡を掛け、頭頂のすっかり禿げあがった老人は、警戒心も露わに吐き捨てた。

 ハクスリーは害意はないと示すように両手の手のひらを前に向け、テッドもそれに倣った。

「雨宿りをしていただけさ」

「失せろ、今すぐにだ」

「オーケイ。邪魔をして悪かった」

 テッドからレインコートをひったくるように受け取って身に着け、気まずい素振りで立ち去ろうとした時、敵愾心をむき出しにしていた筈の老人がおずおずと言った風に声を掛けてきた。

「なあ、少し待ってくれ、そっちの」

「おれか?」

「ああ、あんたの方だ」

「おれに何か?」

 ハクスリーが向き直った。

「あんた、身内を探していないか? 若い……男だ」

 苛立ち始めていたハクスリーが、にわかに色めき立った。

「おれに似た顔立ちで、二十歳そこそこの?」

「ああ、そうだ」

「右頬に大きな傷のある?」

「それは……無かったかもしれん。無かったと思うが……」

 やや戸惑った老人の答えだったが、ハクスリーは笑みを浮かべた。

「おれの倅かもしれん。名前は?」

「いや……教えてくれたような気もするが、忘れてしまった」

「どこで会った? いつ?」

「少しばかり前だったかな。わしに、えらく親切にしてくれてね」と言って、老人はドアを開け角材を扉脇に立て掛けた。たったそれだけの動作がいかにも億劫そうな、痩せさらばえた老人そのものの動きだった。

「長い話になるし、風も出てきた。良かったら、中に入るかね」

 白湯ぐらいなら出せる、と言ってから老人は「ピューヒュレクだ」と名乗った。

「ドイツ系でね。どうかマーティと」

 老人の差し出した手にハクスリーは応えることなく、「ハクスリー・ヒル。ハックでいい」とだけ名乗った。

 ピューヒュレクは若干気まずそうな素振りを見せはしたものの、笑顔を崩すことはなかった。

「あんたを一目見て分かったよ。とても良く似ている」

「だろうとも」

 ただ、とピューヒュレクは言い淀み、テッドの方にちらりと視線をやった。

「あんたの連れ、あれはアンドロイドだな。そいつはちょっと困る」

「勿論、ここに置いていくさ」

 喜色に顔を緩ませながら、ハクスリーはテッドに向かい顎をしゃくった。

「ここにいろ」

「はい、分かりました」

 テッドが言われたとおりに玄関脇に控え、ハクスリーの背後で締まる扉を見送ってから数秒後、中からほんの少しだけくぐもった銃声が2発、響いた。

 それでもなおテッドは言いつけに背かず待っていたが、ドアの向こうからハクスリーの悲痛な声が「テッド、おお、息子よ」と喚くのを聴いて、ノアノブに手を掛けた。鍵は掛かっていなかった。

 玄関から伸びる廊下の先で、ハクスリーが壁に背中を預けてへたり込んでいた。その脇にはたった今彼の手から投げ出されたはずのリボルバーが転がっていて、それを挟むようにピューヒュレクがうつ伏せに倒れていた。その身体は、ピクリとも動かなかった。

「テッド、ああ」

 ハクスリーが仰ぎ見た。今にも泣き出しそうな顔だった。

「人を、殺してしまった。なんということを、わたしは」

 テッドは、ピューヒュレクの身体を検めた。銃による真新しい外傷は2ヶ所、左側の肩甲骨のやや内側、そして後頭部にあった。テッドは頭の傷口をとりわけ念入りに確認してから、ハクスリーの方に向き直り、膝をついて視線を合わせた。

「アンドロイドです」

 それは事実だった。後頭部の傷からは緑がかった冷却液が零れだしていて、その内側に覗くのは電子頭脳の回路とその破片だけだった。それに脇腹から背中にかけて服を破り飛び出しているのは、刃渡り5インチほどのブレードだった。ブレードの根元から、ピューヒュレクの胴体に繋がる多関節のアームが中途半端に延びていた。テッドはところどころ黒ずんだそれを少し触ってみたが、身体機能が停止して動かなくなったのか、経年劣化で固着してしまったのか、それ以上は動きそうになかった。断絶の初期に人々がそれらに対して抱く恐怖から多くが駆逐されたはずの、暗殺に特化したタイプのアンドロイドに違いなかった。

「そうか、アンドロイドか」

 ハクスリーは、それを聞いて心底安堵した様子を見せた。

「良かった。人間ではない。そうか、良かった」

 自分に言い聞かせるように繰り返し、自らの両肩を抱いた。

 テッドはハクスリーの背中を気づかわしげに撫でながら、いつもの笑みを浮かべていた。


「セオドアはいなかった。そっちもそうか?」

「はい」

 眉間に険しい皺を刻んでいたハクスリーだったが、テッドの返事を聞いてわずかに表情を緩め、鼻から深く息を吐いた。

 ピューヒュレクの家を、ひと通り家探しした後の事だ。

 ピューヒュレクが口にしたセオドアの情報はまったくの出まかせであったというのがハクスリーとテッドの結論だったが、それでも万が一ということで、時間を掛けて家の中をひと通り漁ったのだった。

 奇妙な家だった。間取りは尋常なものだったが、例えばキッチンの調味料棚には電熱線を抜いたドライヤーが整然と詰め込まれていて、寝室のウォークインクローゼットにはサイズのまちまちな服が何の規則性もなく吊られていた。極めつけは客間で、壁の全面には子供かそれ以上に空間認識の曖昧な者が描いたようないくつもの顔、そしてそれに向かい合って座らされるアンドロイドあるいはサイボーグたちの並ぶ姿があった。彼らは様々な形や高さのスツールに腰かけていて眼窩と口内には目いっぱい砂礫が詰め込まれており、すべての個体が機能を停止していた。幸いというべきか、それらの中に、ハクスリーの息子の姿は無かった。

「町に、他の人間はいなかった」

「そうかもしれません。でもまだ探せば、」

 言いかけたテッドを制するよう、口元に拳を当てていたハクスリーが顔を上げた。

「ラスベガスだ。そこに行くと言っていたような気がする」

 そこなら人もたくさん残っているはずだと、そう続けた。

「わかりました。ではそこへ」

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