終末を巡る旅
南沼
1
「医者を探してるだけなんだ」
それがハクスリーの口癖だった。
「倅が、腕をやってしまってね」
門番を気取る2人組の自警団に誰何された時も、まるで壊れたプレーヤーを再生するかのように同じ口調でそう言った。
2055年の冬、アリゾナ州北部の国道66号線沿いにあるトラックストンという田舎町の入り口でのことだった。厚く雲の立ち込める鈍色の空はるか遠く、北の地平線間際に黒く低くせり上がるグランドキャニオン、草木の枯れ果てた荒野、鼠色のアスファルトとそこに横たえられたバリケード代わりの焼け焦げた車たちが、彼ら4人の他にある全てだった。
「いると思うか?」
胡乱げな視線でハクスリーを見やりながらつっけんどんに返す男たちは、色褪せたバンダナで口元を隠していた。
一見すれば砂塵に汚れた生身の人間である彼らも、この時代、この荒野で生きて立っているということは全身くまなく機械化したサイボーグか、もしくはアンドロイドに相違ない。呼吸器系に目の細かいフィルターを備えていない筈はなく、であればバンダナは敵味方を同定するため、あるいは身内同士の結束を示すシンボルに違いなかった。
「すみません、医師ではなく、技師を探しています」
ハクスリーのやや後ろに控えていたテッドが、控えめに口を出した。
薄汚れた格好はハクスリーと同じだったが目深にフードを被っていて、ジャケットから左腕を抜き内側で吊っているようだった。その三角巾と思しき布さえ、元の色が何なのか分からないような有様だった。
「ああ、そうだった、そうだった」
笑うハクスリーの口元に、幾重にも皺が寄った。
「ついでに、ディーゼルオイルを少し、分けて欲しい」
もうからっけつなんだ。大げさな身振りで振り返る視線の先には、ハクスリーの倍ほども年代物に見える、おんぼろトラクターの姿があった。
分厚く雲の立ち込める灰色の景色の中、止めたばかりのトラクターのエンジンの熱が、透かす景色をゆらりと歪めて見せた。
門番たちが、顔を見合わせた。
誰が覚えているだろうか。
人間が世界から、少なくとも北米大陸から姿を消したその時のことを。
人に代わり、人を模した機械と、脳だけを生身で残す人間たちがその地を歩くことになった、記念すべきその日のことを。
多量の火山灰混じりの黒い酸性雨に満ちた地上を生身で歩く術をついぞ身に付けぬまま、人間たちは表舞台を退く憂き目にあった。
ただ一言『断絶』とよばれる大災害の極めて初期に、人間が築き上げた通信インフラは原始的なものを除いてほぼすべてが壊滅した。
アンドロイドたちが完全なるオフラインで正常に動作することは製造段階において勿論想定されていたが、環境の変化は劇的に過ぎ、またその時間は長すぎた。人びとの良き僕たらんとして作られたはずのアンドロイドたちのうち一体、また一体と予期せぬ動作を起こす個体が増え、それらのうち少なくない数が、人類の脅威となった。それらが単なる不正動作の結果なのか、自我と呼ばれるべきものが芽生えた結果なのか、誰にも確かなことは言えなかった。
今や、誰が思い出せるだろうか。
永遠に続くと信じ続けた、栄華の日々を。
人が人であるために欠くべからざるものであると無邪気に信じながらも捨てざるを得なかった、おのれの肉体を。
「おまえ、フードを脱げ。ゆっくりとだ」
骨董品もののアサルトライフルを吊り下げた男が、銃身をテッドの方に振った。
テッドは素直に従い、ゆっくりとフードを下ろしてゆく。
「アンドロイドじゃねえか」
もう一人が、腰の後ろから拳銃を抜いた。大型のリボルバーで、こちらも負けじと型が古い。
「待ってくれ、待ってくれ」
慌てたようにハクスリーがとりなすものの、舌が全く回っていない。
「わしの倅だ。アンドロイドなんかじゃない」
「じじい、ぼけてやがるのか」
何を言ってやがると呆れ顔の男たちだが、彼らの判断は正しかった。
砂塵にまみれてはいるものの、あまりにも左右対称な顔立ちに、薄い青紫色に輝く瞳。十分に注意深くまたアンドロイドに造詣の深いものであれば、テッドと呼ばれたそれがゼネラル・エレクトロニクス&ロボティクス社がごく初期に世に出した型式であることに気が付いたかもしれない。
「わたしは、あなた方の脅威ではありません」
伸びきったゴムほどの人工筋肉しか持たないうえに、左腕は千切れかけています。そういうテッドの言もまた、正しかったかもしれない。アンドロイドが世の中に膾炙するに至るその最初期の過程は軍事用などの特殊なケースを除き、どのメーカーも世間にネガティブな波風を立てぬよう細心の注意を払っていたからで、ご多分に漏れずテッドの身体スペックも白人成年男性の平均的なそれを上回ることのないよう、慎重な調整がなされていた。
しかしこの状況において、曖昧な微笑みと控えめな口調で語るその言葉が、男たちをなだめることはなかった。
アサルトライフルを鋭くコンパクトなスイングで振りかぶった男は、そのまま銃底をテッドの顎に突き込んだ。
硬い音と共に、テッドがよろめいた。
「頼む。本当にやめてくれ」
とりなすように両の手を差し伸べるハクスリーを、アサルトライフルの男は乱暴に振り払った。
「いい加減にしろ。くそじじい」
吐き捨てて、うずくまるテッドに銃口を向けた。
おお、おお、とうめきながらも縋りつこうとするハクスリーの袖の辺りを掴んで、もう一人がリボルバーを突き付けようとした。
その時だった。
今までうろたえるばかりの、よたよたと老人そのものの動きだったハクスリーが、何の前触れもなく電光石火の反応を見せた。
拳の関節を巻き込むようにして一瞬のうちにリボルバーを奪い取ったとみるや、狙いをつける動作もなしに男の顔面の中央を撃ち抜いた。
乾いた銃声に反応してアサルトライフルの男が体ごと振り向こうとするよりも、ハクスリーの第2射の方がずっと早かった。ほとんど連続した銃声が響いた。
ハクスリーはアサルトライフルの銃身を片手でぐっと掴み、他方力なく崩れ落ちようとする男の頭部、そして既に仰向けに倒れ込んだもう一人の男の頭部を過たず続けて撃った。
人が変わったような鋭い視線で倒れた2人を睨み、間違いなく機能が停止したのを確認してから、ハクスリーは男たちの装備を漁りだした。
「なんということを……」
首を振りながら呟くテッドを、ハクスリーはブーツの先で容赦なく蹴り飛ばした。
「黙れ。この役立たずが」
お前もこうしてやってもいいんだぞ、と吐き捨てるその形相は、先ほどまでのそれとは真実、別人だった。
ハクスリーがテッドを見出したのは、あるいは見出されたのは、これより2年ほど前の春ごろのことだ。
その頃のハクスリーはまだもう少しばかりしゃんとしていたがそれも今と比較すればの話で、見た目だけは屈強な中年の身体のまま道端をあてどなく歩く、徘徊老人そのものだった。
ニューメキシコとテキサスの州境間近、巨大な円形トウモロコシ農場の、かつてはグレートプレーンズの豊富な地下水を汲み上げては散布していたスプリンクラーの朽ちた残骸にもたれ込むようにして座り込んでいた一体のアンドロイドの顔を、じっと覗き込むのがハクスリーだった。
「セオドア、こんなところ寝ていたら、風邪をひくぞ」
もちろん、それまでの数千時間の稼働時間のうちで、そんな名で呼ばれたことは無かった。それでも、この瞬間に彼はセオドアという名、テッドという愛称を得た。元の主人をとうに失い、野良となり彷徨い果ててエネルギー切れを待つばかりだった身の裡に、新たな原理が生じたのもこの時だった。
「ひどい怪我だ。可哀そうに」
ハクスリーは彼の潰れて千切れかけた左肘を見て、痛々しい怪我を負った肉親を憐れむ時そのままの口調で言い、テッドはそれに曖昧な笑顔で答えた。
「この近くに病院はあったかな。医者はどこにいるんだ」
「ここから南西に、大きな町があります。病院も、きっとそこに」
嘘ではなかった。ここから国道45号線を南西に下れば、ナラ・ヴィザやトゥクムカリの街に着く。
北東にあるダルハートの方がより近いし大きいのだが、その町でまさに、彼は左腕を失いかけたのだった。
ペットとして愛玩していた機械犬をけしかけて、アンドロイド狩りを楽しむサイボーグたちがひしめく街だった。人為的にかつ粗雑に倫理回路をバイパスされた機械犬は、合金製の鋭い牙を誰彼構わず突き立てた。アンドロイドとサイボーグの違いなど、テッドのように分かりやすい型式でもない限り、一目で判別できるものではない。だからよそ者や、あるいはただ気に喰わないという理由だけで隣のブロックに住む住人をアンドロイドと決めつけては犬に襲わせた。時には、不正改造によって外部認識を深刻に阻害された個体が、飼い主を襲うことすらあった。
一度は大型犬にのしかかられ、肘を嚙みつぶされるところまでいったテッドが逃げ出すことが出来たのは、ささやかな幸運が味方したからに過ぎない。
それを敢えて説明することはなかったが、ハクスリーはあっさりと「わかった。さあ、行こう」と頷いて腰を伸ばした。
こうして、一人と一体の、奇妙な旅が始まったのだ。
ハクスリーは大体の時間を曖昧な認識のまま過ごしていたが、時折ふとした拍子に正気を取り戻した。それは夜の荒野、打ち捨てられ窓も無くなり錆だらけになったバスに寄りかかって休んでいる時であったり、あるいは薄暗く肌寒い朝方、頼りない灌木の茂みに腹這いになりながら、野良となってうろつく危険な機械犬から身を隠す時であったりした。
それは分かりやすい変化だった。だらしなく緩んだ表情は寄せた眉根とともに引き締まり、眼光は猛禽動物さながらの鋭さで周囲を射た。半ば開きっぱなしだった口元は固く結ばれ、それを開く時は痛烈な攻撃性を帯びる言葉ばかりが発せられた。ベルトに差し込んだ拳銃の存在すら忘れて慌てふためく有様だったのが、稲光のような素早さと躊躇の無さで標的を撃ち抜いた。冷徹な差別主義者の、まるで化石のように古いタイプのガンマン。それがハクスリーの、もうひとつの顔だった。
正気のハクスリーは、彼の息子を探していた。
「西に行くと言っていた。フォート・モハビまで行けば、まだ生きている工場があるらしい」
そして昔話とともにテッド、テッドと事あるごとにその名を話の端に上げた。
顔は母親そっくりだが、生まれた頃からハクスリーとおなじ胡桃色の巻き毛だったこと。
とても病弱で、喘息の薬を手放せない子供だったこと。
長じるにつれて身体は抜きんでて大きくなり、ハイスクールではバスケットボールのスター選手だったこと。
アトランタの大学で経営学を学んでいたが、卒業後はニューメキシコ戻って州警察の巡査になったこと。
銃撃事件に巻き込まれた事を切っ掛けに、サイボーグ化手術を受けたこと。
「髪の色は、まあお前に似ているが、それ以外は似ても似つかん」
心底忌々しいものを見るような目で、そう吐き捨てて締めくくるのが常だった。テッドのことは、ただの小間使いのアンドロイドとして認知しているようだった。
そして断絶前後、あるいはそれ以降のセオドアの様子を語ることは、決してなかった。
「今の街は、何というところだったんだ」
「トラックストンです」
ふん、と吐き捨てながら、夕暮れ前の黄味がかった雲が上空を覆う66号線を大きく迂回するようにハクスリーはそぞろ歩く。アスファルトの道を外れ、足元の灰が積り水はけの悪い土は粘土状になって足跡を残した。
背後を振り返れば、空に薄く細く昇りゆく黒煙があった。
残り少なくなったトラクターの燃料タンク直下に仕掛けた爆薬が、爆発した跡だった。
「どうせ、あんなのろくて目立つものに乘ったところで逃げきれん」
それならばと、捨て駒兼陽動に使ったのだった。そもそも人のいない農地の傍に乗り捨てられていたものを、なんとか修理して騙しだまし乗っていたのだから惜しむものでもない。爆発の仕掛けはプラスチック爆弾と雷管、そして原始的なアナログ時計を使った急ごしらえだったが、追手の姿がみえないところを見るに、目論見は当たったようだった。
「それにしても、予備の弾丸すらないとはな」
ハクスリーが愚痴をこぼすのは、トラックストンの門番から奪ったリボルバーのことだった。アサルトライフルには目もくれず、しかしこればかりは気に入ったのかそのまま我が物顔で奪い取りズボンのベルトに差し込んでいた。
テッドはただ、困ったような顔でハクスリーの後を着いてゆくばかりだった。
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