取引の対価
男性は、毎日同じ女性を見つめていた。視線の先にいる女性は楽しそうにキャンパス内を歩いている。その姿に、彼は心を奪われるようだった。彼女と親しくなりたい。しかし、彼は彼女と釣り合うだけの魅力が自分にないと感じていた。
そんな彼の視線を遮るかのように目の前に立つ。いつもと変わらぬ淡々とした声で質問した。
「寿命を売らないか」
急に現れた私に、彼は戸惑った表情を見せた。しかし、彼は彼女に近づくためならと、取引を受け入れる。
受け取ったお金で、彼は彼女と同じ大学に入学した。毎日、彼女の姿を探し、遠くから見つめ続けた。
「出来ることなら話しかけたい」
そんな思いが彼の背中からもはっきりと見て取れる。
しかし彼女は気付かない。彼はそのことにひどく苦しんでいた。私は再度、取引を持ちかける。彼は得たお金で、自身の身なりを整えた。少しでも彼女の目に止まりたい。僅かな希望にもすがる思いだった。毎日、彼女の後をつけ、行動の全てを把握した。しかし、彼の努力は報われず、彼女は見向きもしない。
彼は、さらに寿命を売った。そして、彼女と同じバイト先に勤める。バイト先のオーナーに頼みこみ、同じシフトに入れてもらった。これでようやく気付いてもらえる。ついに彼は彼女に声をかけた。
彼女は戸惑いを見せていた。どうやら彼女も彼のことを前から気付いていたらしい。彼はそれを聞いてとても喜んだ。自分のやってきたことは間違いではなかったのだと確信する。彼は再び私との取引を行い、さらに寿命を売った。
寿命を売って得たお金で、彼女にプレゼントを買う。丹精込めて選んだプレゼントを手に、彼女の元へと向かった。しかし、「気持ちは嬉しいけど、受け取れない」と断られてしまう。
落胆した彼は、また寿命を売ることを決意した。自分がいかに彼女を想っているかを伝えたい。ただその一心だった。彼女に寄せる想いを断ち切ることができない。今度は高級店を予約し、彼女を誘った。自身にとって彼女は特別であると伝えたかったのだ。しかし、彼女は「価値が分からないから」と再度、彼の誘いを断った。
それでも彼は、諦めることが出来ない。再び私と取引を行い、さらに寿命を売る。そして、そのお金で彼女に指輪をプレゼントすることに決めた。彼は彼女に対する想いを示すために、最後の一押しをする覚悟だった。指輪を手に、再び彼女に会いに行く。彼女は驚きと共に、困惑した表情を見せた。
彼女が控えめな声で告げる。
「私には他に好きな人がいる」
彼女からの拒絶を受けて絶望した。彼女を愛していた。彼女を幸せにしたかった。寿命を売ってまで彼女に尽くしたのに。受け入れてもらえない現実に立ち尽くす。
「ごめんなさい」
そう告げた彼女の後ろ姿を見送る。一人、寂しさと絶望感に打ちひしがれながら、彼女の背を見送った。彼女にアプローチするため、あらゆる努力を惜しまずに行ってきたのに。現在は非情な終わりを告げた。酷く落ち込んでいた彼だったが、次第に怒りが湧いてくる。彼女に対して真剣に尽くしているのに、その気持ちが報われないことに腹立たしさを感じた。
「こんな風に扱われていいはずがない」
彼は最後の取引をした。
夜を駆ける黒いワンボックス。彼女を待ち伏せ、強引に車へ詰め込んだ。彼女を手に入れるために、今まであらゆる手段を尽くした。そして、ようやく彼女を手に入れることが出来た。最初からこうすれば良かったんだ。
今までの自分の行動を振り返り、「俺は悪くない」と自身を正当化する。これこそ誰もか望んだ結末だ。自分の欲望だけを優先して生きれば良かったんだ。
「彼女はまだ俺の魅力を知らない。一緒にいれば、俺の魅力に気づくに決まっている」
興奮した面持ちで家路に着く。
自宅に着いたとき、ドアの脇に立っている私に気が付いた。
「上手くいったか?」
そう尋ねると、彼は血走った目で自信満々に
「完璧だ」と答えた。
「良かったな」とだけ返し、その場で固まり動かなくなった彼を背に、立ち去った。
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