第120話 逆鱗

 宿泊していた宿に戻る。


「出ていけ」

「……前金で宿泊代は払っていたはずですが……」

「そういう問題じゃねぇ。そんなギルド証を持った奴を泊める訳にはいかねぇんだよ」


 宿を追い出された。


 この街の冒険者向けの宿では、冒険者ギルド証の提示を求められる。

 Gランクだと中々泊めてくれる宿が無くて、この宿はようやく見つけたのに……この×マークと『出入り禁止』と目立つように書かれたギルド証を提示すると、こうなる訳だ。

 そういう事ならこの街の冒険者向けの宿で、私を泊めてくれる宿は無い。


 街の外に出て森に入り、野営する。


 ……。


 揺らめく焚火の火を見つめながら、思いふける。


 まあね……仮面と着込んだ服を脱いで、別人を装って宿に泊まる事も出来るけどね……。

 そもそも、こんな酷い街からはさっさと立ち去って、次の街へ行けば良いのだけどね……。

 スレナグの街なんか半日で見切りつけ訳だし、なるべく早く聖教国から離れたい訳だし、Eランクになるにしても、この街に拘る必要なんて無いんだけどね……。


 ……。


 パチパチと音を立てる焚火を見つめていると……沸々と、怒りが込み上がって来る。


 駄目だわ。

 逆に、このままこの街を去る気には……ならない。


 プルトの町を出た時に襲われた強盗や、スレナグの街の違法奴隷商達に対しては、面倒だとあっさりスルーして逃げておきながら、今回はスルーして立ち去る気にならない。一般的な罪の重さで言えば、強盗集団や違法奴隷商達の方が、今回の嫌がらせする奴等より、罪が重いのは明らかなのに。


 強盗集団が私を襲ったのは、マジックバッグを奪う為。お金の為だ。

 違法奴隷商が私を狙ったのは、権力者に取り入る為。権益の為だろう。

 決してその罪を許す訳でも認める訳でも無いけど……こいつ等の行動原理は理解出来る。犯罪に手を染めているとはいえ、生活の為なのだろう。その為にエネルギーを注ぐのは、まだ理解が出来る。


 しかし、今回の奴等の行動原理は理解出来ない。

 グラッツが私の薬草採取の報酬を横取りはしていたが、Cランク冒険者の奴にとっては端金だ。金が目的ではなく、私への嫌がらせが目的だったのは明らかだ。

 私には、そういう損得関係なく、多大なエネルギーを注いでまで、嫌がらせに執着するの人の気持ちが分からない。気持ちが悪い。

 前世で散々、弱い者苛め、弱い者いびりに遭ってきた私だが……そこは未だに理解出来ないのだ。だけど、そういう事をする奴が存在する事を、うんざりする程に思い知らされている。


 そして私は……そういう存在が何よりも嫌いだ。胸糞悪い。


 ――私が何をした? 何の得があってそんな酷い事するの?


 グラッツに、私が何かしたか?

 一応、グラッツとしては”私が割込みをした”というのが理由だったか?

 しかし、あんなのただのイチャモンだ。きっかけでは有るけど、その後の私に対するあの執拗な悪意による仕打ちをする程の理由になる訳が無い。


 前世の学生時代に『お前が俺の椅子に当たった』だの『お前が俺に向かってくしゃみしやがった』といった事を理由として、数年間苛められ続けた事があった。

 ではもし仮に、時間を巻き戻せて、椅子に当たらない様に、くしゃみをしない様に気を付けたら……その後数年間、虐められる事は無かったのだろうか?


 そんな訳が無い。


 何かしら別の事で粗捜し、こじ付けによって『お前のせいで、こうなってるんだよ』という体裁でイチャモンを付けられ、結局数年間苛められたのであろう。


 もしグラッツの言う、割込みに当たる行為を私がしなかったら……あるいはグラッツという人物とは、今の状況にはならなかったかもしれない。

 だけどその場合は、おそらく第二、第三のグラッツに変わる人物が現れて、私に嫌がらせをすると思う。受付嬢や周りの反応から考えても、この街の冒険者ギルドはそういう場所だ。


 ――弱者には何しても良い――この街の冒険者ギルドはそういう場所なんだ。


 気にくわないな。


 前世では仕事が出来なくて苦悩してた私が、今世では仕事が出来る様になったと喜んでいたのに、その私の仕事にケチを付けてくれた事も許し難い。


 クソが……。


 どうしてくれようか……。


 ◇


「中々居ないな……ゴブリン」


 翌日、私は迷宮都市ヴェダ付近の森を抜けて山奥まで来ている。

 グラッツが事ある毎に何故か私の行く先々に姿を現していた件だけど、おそらく浮浪者を小銭で買収して、私の動向を探ってるのではないか、と想定した。

 薬草採取の時にも何人か浮浪者っぽいのがウロウロしてたんだよね。今思えば街の近くとはいえ、森の中なのに不自然だったよ。

 なので、野営しながら夜が更けて人の気配が無くなるのを待ち、暗くなると同時に猛ダッシュで山までやってきたのだ。

 誰にも追跡されていないはず。


 そして今、探しているのはゴブリンである。

 もうギルドでは仕事を紹介して貰えないし、常設依頼の薬草採取にまで冤罪を着せられた。

 もう残るは常設依頼のゴブリン退治だけだ。


 ……いや、まあ……。

 分かってる。


 今の状況で私がヴェダの冒険者ギルドに、ゴブリンの討伐証明の耳を持ち込んでも……素直にいくとは思えない。いく訳が無い。


 どうやって私が討伐した事を証明するか……。


 ……いや、証明とかも意味が無いな。

 薬草だって、本当はグラッツ達が集めた訳では無い事を、受付嬢のエミリアも周りも知っていた訳だし。


 私が正しい事の証明なんて誰も求めてないし、同調者も居ない。

 そんな状況での証明なんて、踏みにじられるだけだ。



 前世でも胸糞悪い事があったな。



 あれは私が三十過ぎた位の時だった。


 当時、私が勤めていた会社には厄介者が居た。

 中途採用で入社した二十代後半の男性で、入社当時は器用で物覚えが良くて仕事が早い。明るくて話が面白い。お調子者な所は有ったが期待の人材だった。

 しかし彼のそんな評価も、入社二年過ぎた頃には変わっていた。

 根気が無いので難しい仕事から逃げるのだ。確かに作業だけは要領よく早いのだが、何時まで経っても優秀なアルバイトという域を出ない。単純作業しかやろうとしないのだ。いくら手が早くても正社員として雇われているのに、アルバイトレベルの仕事しかしないのなら、彼を正社員として雇っている給料でアルバイトを二人雇った方がマシである。

 なまじ手先は器用で口が回る為に、その場しのぎだけは上手くて、厄介な案件は他の人に擦り付ける。私もよく擦り付けられたものである。

 彼は化けの皮が剝がれるまでは、確かに人柄も明るくて仕事が出来る優秀な男に見えた。実際に人間関係が一年でリセットされる学生時代や、短期アルバイトとしては、彼は上手くいってたのだろう。


 しかし社会人となれば、そうはいかない。

 その場しのぎの付けが貯まり、言動の整合性が取れなくなり、独善的で短気な短所が目立ち始め、次第に疎まれていった。

 彼も色々な事が上手くいかなくなり、評価されない事に不満を持ち、荒れ始めた。

 

 そんな荒ぶる厄介者に対して、周りの人達は何故か私に「お前、なんであいつを注意しないの?」的な事を言い始めた。

 彼を非難しておいてなんだけど、私も大概仕事が出来ない人間なので、職場での立場は低かった。なのでこういう厄介事の鉄砲玉にされるのだ。

 しかし流石に彼を単独で注意するのは嫌だったし、私単独では意味は無いと訴えた。かなり独善的でキレ易い彼は、自分を正当化する為なら自分以外の誰かを貶す事に、一切の躊躇はしないタイプに見えた。

 本来注意すべき立場であるはずの直属の上司も「彼のああいう行動はいかんよねぇ」等と訴えをオウム返し、分かり切った現状説明を繰り返すばかりで、何も行動しなかった。

 次第に何故か「彼が荒れて周りに迷惑をかけている現状を作り出したのは、注意しない私である」みたいに延々言われ続けた。「それなら一緒に注意しましょう」という私の提案は流しておきながらだ。

 いい加減しつこいので『まず私から注意するけど、私だけの意見では無い事を伝えるし、私が要請したら次は私が指定した人が注意する』という約束を周りの連中から取った。

 

 そして彼を注意した。


 凄まじい逆恨み受けた。

 ”お前のせいでこうなった”という体裁を取る為なら、こじ付け、粗捜しだけでは飽き足らず、捏造までして私の悪事を言い立ててきた。

 肝心の注意内容――言い換えれば彼にとって都合の悪い部分に関しては、一切答えない。

 自分に原因が有りながら自分では何もケジメを付けられず、自分にとって都合の悪い事は無かった事にしてもらうしかない、強がってるだけの弱虫。

 ある程度の反発は覚悟してたが、正直、あそこまで底の浅い男だとは思わなかった。


 そして周りの連中に約束通りの証言を求めると「知らん。二人の問題だろ? 巻き込むなよ」「そんな事言ってない。ほっとけばいいのに」「そんな事言ったっけ? それより揉め事は困るよ。他所でやってくんない?」等と壮絶に梯子を外された。

 注意しなければ仕事しない扱い。すれば勝手に揉めた自爆野郎扱い。好き勝手言ってくれる。


 だけど実は、私はこの梯子を外されるだろうと予想していた。

 なのでボイスレコーダーで、約束の件を録音しておいたのだ。


 うん、引くよね?

 こっそりボイスレコーダーで録音しとくなんて。

 私自身もやり過ぎだと思う。

 でも言わせて欲しい。

 あの時の私がそうせざるを得ない程、それまでの人生で鉄砲玉にされたり、梯子を外されたり、色々無かった事にされ続けたのだ。

 鈍くて要領が悪くて察しが悪くて決して賢くない私が、こうなる事を的確に予測出来る程に、そういった経験を積んでいたからなのだ。


 そして周りの連中にボイスレコーダーによって、約束の件が言い逃れ出来ない事実であると証明出来た……はずだった。

 

 証明なんて意味が無かった。


 キモイ異常者と言われてハブられ、誰ともまともに話が出来なくなった。そもそも、誰も証拠となる録音そのものを聞いちゃくれない。

 自分達の方から約束を破りながら証拠を突き付けられたら、その部分に触れずそれとは別の事で私を悪役に陥れ、私が加害者で自分は被害者という体裁をとって、私を拒絶して無かった事にしようとする。

 注意した彼と、やっている事が同じだ。


 流石に私も相当に頭に来て「もっともらしい事ばかり言ってますけどっ! まともな事言ってるんですかね? まともな行動してるんですかね? あなた達は!?」と事ある毎に言いまくった。

 周りの連中から「お前、余計な事言い過ぎなんだよ」と言われれば「『余計な事』と言う事は、逆に言えば嘘では無いという事ですよね? 嘘付きのあなた達より何倍もマシでしょう」と言い返し続けた。


 しかし、私の同調者は誰も居ない。

 職場内で完全に誰からも、相手にされなくなってしまった。


 結局「あいつ、もっともらしい事ばかり言ってたけど、まともな奴じゃなかったな」と皆から後ろ指差されながら、会社を去る事になったのは……私の方だった。


 ……本当は分かっちゃいたんだよね。


 周りが私に求めていたのは、厄介者の攻撃の矢面に立って、生贄になる事だ。

 厄介者も憂さ晴らしをする為の、泣き寝入りする攻撃対象を求めていた。

 あの時の状況下で、その事に抗った私の方が、まともでは無かったのだ。


 職場は仕事する場所。出来てなんぼの世界。出来ない奴に人権は無い。真実を議論する裁判所じゃないんだ。

 そんな場で、仕事の出来ない弱者の語る余計な真実なんて、被害者面する加害者の語る捏造話よりも何倍も害悪なのだ。


 私が淘汰されたのは、当然の事だった。


 理解はしている。

 だけど傷付いていない訳が無い。


 あの一件は、後に私が自殺を決行するに至る要因の一つになったのだから。


 悔しくて悔しくて悔しくて……でも何も出来なくて……それがまた悔しくて。


「……」


 ……前世の事なのに、クヨクヨし過ぎだな。


 前世は前世。

 今世は今世。


 ……そうだな。


 今世は前世と違うじゃん。

 前世では泣き寝入りするか、抵抗すれば淘汰されるしか無かった。

 淘汰されて、悔しくても、何も出来なかった。


 でも今世の私には、圧倒的な暴力があるじゃないか。なんであんな屑共相手に、泣き寝入りせにゃならん。


 いや、分かってるよ。


 危険な考えだと思う。

 賢い選択では無いと思う。

 悪目立ちした結果、悪魔バレの可能性もあるかもしれない。


 だけど、ここで何もしなければ、何もしなかった事を、泣き寝入りした事を時々思い出してはウジウジしてしまうのだろう。

 それでは前世と同じだ。

 その結果、悪魔バレに繋がろうともその時はその時。

 転生当初は森を怖がる様だったが、今なら山奥に逃げ込んでも生きていける。


 このまま何もしなかった事を後悔する位なら、悪魔として追われて後悔してやるさ。

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