#795~799 『能面』

 筆者自身がその話を聞いている内、体調が悪くなって後日持ち越しとなった、曰く付きのお話しを一本。

 九州の某所に在住、甲田敏之さん(仮名)と言う方の中学の頃の体験談。全五話でお送りしたい。


 ――我が家には“開かずの蔵”がある。

 全く開かないと言う訳ではない。が、僕自身は十五歳になるまでただの一度も中に入った事は無い。入りたいと言っても、父と祖父が首を縦に振ってはくれなかったのだ。

 要するに、限られた人しか入れない。限定の“開かずの蔵”である。

 ある時、週刊誌で面白い漫画の連載が始まった。自分の家の蔵へと行くと、槍に突かれて身動き出来なくなっている妖怪と出会うと言うお話しだ。

 当然、そう言う分野に興味を持つ年頃である。家の裏手の蔵の中に入りたいと言う思いは、いつも以上に強くなった。

 ある日の事、僕が真剣に「蔵を見たい」と父、祖父の二人に申し出ると、何故かその日に限って「そろそろいいかねぇ」とお互いに顔を見合わせたのだ。

 そうして差し出された蔵の錠前の鍵。同時に二人は、「あそこには妖怪がおるぞ」と言う。

 当然それは冗談だと思った。――が、二人は僕以上に真剣な顔で、「本当におるぞ」と脅すのである。

「どんな妖怪じゃあ?」聞けば二人は、「よう知らん」と言う。

「見た事無いんか」と尚も聞けば、二人は揃って「無い」と言うのだ。

「ならいるとは言えんじゃろうが」

 言うが二人は、「絶対におる」と言い張る。だがそれが見えない以上、二人には説明が出来ないらしい。

 僕は結局、その鍵を受け取って蔵へと向かった。

 入り口までは父と祖父の二人が付いて来てくれた――が、二人はそこまでで中には入らない。そこで「何しとう?」と聞けば、二人は「扉を閉めねばならん」のだと言うではないか。

「妖怪ば外出してはならん。なんでこの場で合い言葉を決める」と祖父は言う。

 その時言われたのは、“鶴”と“黒”。“亀”と“赤”だった。その両方を答えたら扉を開けてやると祖父は言う。

「分かった」と僕は言い、蔵の中へと入る。同時に本当に蔵の戸は閉められてしまった。

 蔵の中はやけにひんやりとしていた。一階は全てが土間で、土がそのまま露出している。

 中には錆びて使えそうにない農耕具や、中が空っぽの壺や桶、そして乱雑に積まれた大昔の書物、書籍などがあった。

 まず最初に、祖父に言われた通りに蔵の扉の内側に新しいお札を貼り付ける。見ればもう何十、何百とそこに入ったのであろう人の手によるお札が、扉一面に張り巡らされているのだ。

 これはもしかして本物なのかなと思い始めていた頃だ。ガタンと頭上で物音がした。

 ふと気が付く。蔵の中の一角に、上階へと昇る階段があるではないか。

 今の音は二階からだ。思った瞬間、全身からぶわっと汗が噴き出て来た。僕は慌てて扉を叩き、「開けてくれ!」と叫んだ。

 扉の向こうから、「亀」と声が聞こえた。僕は慌てて黒と言いそうになるのを堪え、答えの順番を変えて来ているのを理解し、「赤」と答えた。

 それだけで扉は開いた。既に外では、僕に何かがあった事を察していたらしい、父と祖父は二人揃って何かまじないのような念仏を唱え、燃やした藁の煙を僕に吹き掛けながら、「早う出ろ」と言う。

「何があった?」聞かれて僕は、「二階から物音がした」と答える。

「何か見たか?」と言う問いには、「何も見てない」と言った。

 正直僕は臆病者と二人に笑われる覚悟だったが、意外にも二人の反応は違っていて、「懸命な選択だ」と肩を叩かれたのだ。

 二人は尚も蔵の扉に向かって念仏を唱え続け、藁の煙を左右に払って扉に浴びせる。

 これは本当に冗談で入って良いものでは無かったと、僕はそれを眺めながら心からそう思った。

 ――さて、その晩の事だ。何故か僕は夢の中で、蔵の中にいた。

 手には提灯が一つ。そして蔵の戸はしっかりと締まり、現実で見た通りに内側にはお札がびっしりと貼られている。

 なんか嫌だなぁとは感じながらも、何故か僕は二階へと向かう階段を昇る。そうして向かったその上階は、何故か一面が柱だらけで、他には何一つとして物は無い。

 何でこうも柱が多いのかと思いながら中へと踏み込めば、ふわりと顔に何かが触れた感覚があった。咄嗟に、蜘蛛の巣だと思った。

 だが何故かその蜘蛛の巣は柱と柱の間全てに糸が一本だけ張られているかのように、柱の間を通る度に、ふわりとそれが顔に掛かるのである。

 気持ち悪いなぁ――と思った矢先である。向こうの壁に、“人”がいた。

 巫女の衣装を着込み、その袖を持って薄布の羽衣を頭上に掲げる、女性のような人影である。

 咄嗟に僕は、「さえ子叔母さんだ!」と思った。なにしろその巫女の顔の部分には、のっぺりとした女性の面――能面がかぶさっており、その無表情な顔が少し上の方で僕を見下ろしていたのだ。

 悲鳴を飲み込む。ここで叫んでしまったら、きっと僕はもう終わりだと言う妙な確信があった。

 僕は片手で口を押さえ、ゆっくりとその能面の女性を睨みつつ後ろへと後ずさった。

 階段を下り、扉を叩いた辺りで目が覚めた。見ればそこには両親がおり、「酷いうなされようだった」と教えてくれたのである。

 時計を見る。時刻は夜の十一時で、眠って間もなくの事だったと知る。

 すぐに階下の祖父から呼び出された。家族全員が集まる中、「今見た夢の内容を話せ」と迫られる。

「蔵の中にいた」から始まり、僕は今見た夢の内容を全て正直に打ち明けた。

 誰もが全く馬鹿にもせず、頷きながらそれを聞いてくれた。――が、「そのさえ子叔母ってのはどう言う意味だ?」と、話しの終わりにそう聞かれる。

「さえ子叔母さんは、さえ子叔母さんじゃ。いつも叔母がしているような能面をかぶっておった」

 言うとそれには誰もが首を傾げる。「意味がわからん」と言うのである。

「藤堂さん所のさえ子叔母さんよ。おかあの親戚の、藤堂さんとこの奥さん」

 言えば、「それは分かる」と言う。だがどうしてその奥さんが、能面なんだと来るのである。

 それには逆に僕自身が驚いた。逢えばいつもその顔に能面をかぶった変わり者の叔母である。誰もがそれを見ていながら、何でそこに気が付かないのかと首をひねるしかない。

「能面言ったらあの叔母やろうが」

「何でじゃあ。あんなべっぴんさん掴まえてなんじゃその言い草は」

「べっぴんかどうかは知らんがや。いつもあの面しとろうが」

「お前その言い方は失礼やろうが」

 そんな言い合いをした後で、ようやく全員が気付いた。家族が知っているさえ子叔母さんと、僕は知っているさえ子叔母さんは、同じ人でありながら“見え方”が違うのだと言う事に。

「どう言う事じゃあ?」と祖父。すると父と母が目に見えてうろたえたのが分かった。

「なんかあったな?」と祖父は凄みを利かし、「全て話せ」と両親に向かってそう言った。

 渋々と語り始める父。それは、当時まだ僕が母の腹の中にいた頃の話だと言う――


 夏と冬、彼岸とは関係無しに我が家では“灯送り灯迎え(ひおくりひむかえ)”と言う儀式がある。――そう、例の蔵に関係するものだ。

 その季節になるとなるべく吉日を選び、蔵の二階で灯送りの行をする。そして一日を空けて今度は灯迎えの行である。

 お盆の迎え火、送り火の行に内容は似ているが、実際はその真逆であり、送った後に一夜を空けてまた迎えるのがその行で、後は次の灯送りの日までは全てが“灯守り(ひまもり)”なのだと言う。

 さて、とある初夏の日。祖父は仕事の都合で遠くへと出ていた。仕方無くその年の灯送り灯迎えは両親で行う事となったのだが、そこで小さな事件があった。

 扉の番は母がして、蔵の中へと入って灯送りするのが父の役目だったのだが、運の悪い事に藁を持ったまま外で待機していた母に突然の陣痛が来た。

“破水した”と気付いた母は、咄嗟に母屋に助けを求めた。母屋にはたまたま家に遊びに来ていた藤堂夫妻がいた。

 夫の方はテレビの野球中継に夢中でそれに気付かず、若くして嫁に来たさえ子さんが、その母の助けに応えた。

 母は必死の思いで、扉の番をそのさえ子さんに託した。まずその合い言葉を教え、そして出て来た夫に藁の煙を浴びせる事。それらを伝えて母は母屋へと引き返したのだが、それを受けた方のさえ子さんはその役目の重大さをまるで把握していなかったらしい。行が済んで戻って来た父は、「合い言葉を頼む」と扉に向かって言うのだが、表にいたさえ子さんはその事をまるで覚えておらず、黙って扉を解錠して開けてしまった。当然、他の作法もまるでしないままだったと言う。

 だがその父もまた、「陣痛が来ました」と言うさえ子さんの言葉に動揺し、その時の行はかなり端折られて終わってしまったらしい。父はすぐに母を車に乗せ、掛かり付けの病院へと急いだ。そうして産まれたのが僕と言う訳だ。

「なんて事しやがる!」と祖父は怒鳴り出す。

 祖父の身の丈よりもずっと大きな体躯の父は、その声に圧倒され肩をすくめる。

「なんで今の今までその事を話しやがらねぇ」

「藁は俺が燃した。バケモンは出て行けてないと思った」

 父は言うが、それは更に祖父の怒りを炎上させるだけであった。

 そうしてようやく僕は、どうして物心付いた頃からさえ子叔母さんの顔に能面が貼り付いていたのか、その理由が分かった気がした。

 要するに蔵の二階の妖怪は、僕が生まれたその日に両親の不手際で外へと出てしまい、そしてそのままさえ子叔母さんに取り憑き、今に至るのだと言う事を。

「確認に行くぞ」と祖父は立ち上がる。時刻は深夜一時を回った辺りだ。

「今からですか?」と不満そうな声で言うのは母だ。すると祖父はかなりの怒号で、「全員蔵まで来い!」と叫ぶ。

 今回は何の儀式もしないまま蔵の錠前を開け、何の作法も無いままに全員で二階へと上がって行ってしまった。

 最後にその階段を昇ったのは僕だった。

 ミシ……ミシ……と、酷い軋み音を聞きながら昇っていると、ふとその背後に気配を感じた。

 階段の途中で振り返る。すると開け放った扉の前に、“何者か”が立っていた。

 外から入る月明かりでその人影はシルエットでしかなかったが、それがもう何者なのかは即座に理解した。

 巫女の衣装に薄布を頭上に掲げ、立つその姿。それは先程、僕の夢枕に立った例の妖怪の姿と全く同じだったのだ。

 二階では、「やはり無ぅなっとる」とか、「開けてみんちょったか」と、父と祖父とで言い合っている声が聞こえる。だが僕はその眼前に立つ恐怖に足が震え、逃げるどころか声を上げる事も出来ないままそこにいた。

「敏之、なんばしよう?」

 母の声が聞こえた。同時にさっと身を翻して外に飛び出る妖怪の姿。さすがにそれには母も気付いたのだろう、僕のほぼ真上辺りから、「きぃやあぁぁぁぁぁ――っ!」と叫び声を上げていた。

「やられた」と、祖父は口惜しそうに言う。

 結局、例の妖怪はずっとその蔵の二階にいたのだ。かつて僕の生まれた日に起こった事件で、妖怪はそこから逃げ出す事は出来ていなかったらしい。

 代わりにさえ子叔母さんと僕を使い、約十五年に渡って長い長い計画を立てていたようだ。

 さえ子さんを僕に妖怪のように見せ、そしてそれに騙されて儀式を行わずその蔵の扉を開けさせる時を、ずっとその蔵の中で待ち続けていたらしいのだ。

 そうしてその蔵の妖怪は世に放たれた。そしてこの話はそれで終わりである。


 ――ある冬の夜。灯迎えを行って帰って来た父と祖父が、雨も降っていないと言うのに全身ずぶ濡れで家へと帰って来た。

 何故か二人はとても満足げで、「あいつぁ蔵に戻った」と言う。

「どうやって?」と聞くが、それには答えてくれない。だがそれは確かに戻って来たようだ。時折蔵の前を通ると、中の二階の辺りからなかなかに騒々しい物音が聞こえる事がある。時には猿か鳥か、何の獣かも分からない甲高い鳴き声が聞こえる時もあった。

 そう言えば最近、さえ子叔母さんがようやく子供を授かったのだと言う。

 高齢出産なので親戚、親類一同とても心配したのだが、子供は無事に産まれたらしい。

 だがその子供はほぼ誰の目にも留まらぬよう自宅でひっそりと育てられ、三歳にしてどこかの施設に預けられたと聞いた。

 同時に蔵の二階の声と騒音が、ぴたりと止んだ。

“灯送り灯迎え”の儀式は、今も続けられている。

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