#789 『二つの月』

 私が小学生の頃の話なので、既に五十年ほど前の事になると思う。

 当時私は岩手県の山間部の集落に住んでいた。学校は全校生徒合わせて三十人もいなかった時代だ。要するに今で言う限界集落のような場所である。

 同じ学年に、等(ひとし)と丈三(たけぞう)と言う名前の男子がいた。その二人がある日、学校に来るなり「月を二つ同時に見た」と興奮した面持ちで言うのだ。

 見たのはその前の日の夜だったらしい。おそらくはどこかで道草を食っていたのだろう、学校から家へと帰る途中に大きな峠を一つ越えなければいけないのだが、もうとっぷりと夜も更けた時刻にそこを通り掛かり、前方と後方に一つずつ昇る月を二人で見たそうなのである。

 その話は誰も一切信じてはいなかった。なにしろその二人は普段から酷い悪童で、平気で人を叩くし嘘も吐く。典型的な嫌われっ子だったからだ。

 だがその翌日から、二人同時に学校へと来なくなってしまった。先生に理由を聞くが、「家庭の事情」としか答えてくれない。

 だが一週間経ち、丈三の方だけがようやく学校に復帰して来た。何故か今までの悪童ぶりは微塵も無く、授業中に騒ぐ事すらもしないまま大人しくしているのである。

 さてある日の事、学校の学芸会の準備で帰りが結構遅くなってしまった。先生は「危ないから集団で帰れ」と言うので、同じ方向の子供は学年関係無く一緒に帰る事となった。

 そして私の集団には例の丈三の姿もあった。――陽は完全に沈み、辺りは真っ暗。特に峠から先は街灯も無い為、ほとんど月明かりばかりを頼りに道を進んだ。

 そこで突然、「後ろ向いてみろ!」と丈三が叫んだ。

「お前等が馬鹿にして信じなかった月が、今ならちょうど二つ同時に見れるから。さぁ、後ろ振り返って見てみろ!」と叫ぶのだ。

 当然誰も振り返らない。なんとなくだが、振り返ってしまえば等や丈三のようになってしまうのは想像が付いたからだ。

 泣き始める下級生。尚も後ろを見ろと叫ぶ丈三。私は思わず、「みんな走って!」と言えば、それを合図に皆が一斉に駆け出した。

「後ろを見ろよぉぉぉぉぉ――っ!!!」

 背中側で丈三が吠えた。声はいつまでもいつまでも続き、結局我々が峠を越して麓に辿り着くまで丈三は同じ場所で吠えている様子だった。

 翌日、等が学校に復帰した。もちろん丈三の姿もあった。

 代わりに下級生の一人が学校に来なくなった。理由は分からないが、もしかしたらあの晩、その子だけが後ろを振り返ってしまったのかも知れない。

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