#786 『出勤して来る亡者』

 私は某文具メーカーで働いているのだが、早朝、出勤して来ると同時に同期の里中から、「部長呼んでたぞ」と声を掛けられた。

 これは何かあったなと察し、すぐに部長の元へと走る。するとその部長、私の顔を見るなり「今しがた連絡が入って、お前の部署の里中が亡くなったそうだ」と言うのである。

 いやいやちょっと待ってください。今、部長が呼んでたぞと教えてくれたのがその里中ですがと伝えると、部長曰く、「さっきの内線電話に出たのが里中か」と驚いた顔をする。

 そっと二人で部署を覗きに行くと、間違い無くその噂の主である里中は一人きりの部屋の中で書類整理をしている。

 部長に連絡をして来たのは里中の奥さんで、今朝早く主人が心筋梗塞で亡くなったとの事。

「ありゃあ自分が亡くなった事、気付いてないな」と部長。私もそれに賛同し、頷く。

 やがて皆が出勤して来る時間となる。そしてどこをどう経由して広まったか、あっと言う間に「里中さんが死んだ」と、「その死んだ人が仕事に来ている」の両方が広まった。

 当の里中はそんな噂など知りもしない様子で、いつも通りに黙々と仕事をしている。そんな様子を見て怖がる人もいたが、大抵は涙ぐんだり哀れんだ顔をするばかりだった。

 だが午後ともなると既に全員がその状況に慣れたか、里中とはごく普通に接している。それを見て私自身も「おかしい」と感じ始め、「あれ、死んでないんじゃないんですかね」と部長に聞けば、「俺もそう思う」と部長。

「じゃあ今朝の電話は何だ?」と逆に聞かれ、「むしろ本人にそう聞くべきでしょう」と私は答えた。

「――はぁ、私は亡くなってましたか」里中はいつも通りな無表情でそう答える。

「本当か嘘かは知らないけど、君の奥さんからそんな電話が掛かって来たんだ」と部長は素直にそう伝えた。

「では帰ったら聞いてみます」と、里中は帰宅した。

 後日、里中は出社して来なかった。代わりに、「身内に不幸があったので」と、当分の休暇を伝える電話が掛かって来た。

 誰が亡くなったのかは、流石に聞く事は出来なかった。

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