#782 『長谷部さんの家』
昭和三十年代の頃の話である。
そこの集落の外れに、長谷部さんと言う老人が住んでいた。
集落から一軒だけ大きく離れた場所にあり、妻には先立たれて今は一人暮らし。近隣の人々も何かと長谷部さんの事は普段から気に掛けていた。
ある晩の事、「長谷部さんの家が燃えてる」と、外からの叫び声。慌てて外へと飛び出してみると、本当に長谷部家は真っ赤な炎を上げて燃え盛っているではないか。
「火を消せ!」と声が上がり、若い男衆を中心に、田んぼのあぜ道を通って長谷部家へと向かう――が、妙な事にどうにもその家へと辿り着けないのである。
どう言う訳か辺りが異様なまでに暗い。普段ならば田んぼに張られた水が月明かりに反射してそれなりに道の在処を教えてくれるのだが、何故かその夜に限っては自分自身がどこをどう歩いているのかさえも判別出来ないぐらいに暗いのだ。
電灯持って来い、提灯持って来いと声は掛かるが、どんな照明器具を持ってしてもその暗さには敵いようが無く、とうとう誰もが長谷部家に向かうのを諦め掛けた時。
「あれ、炎じゃないな」と誰かが言った。
見れば確かに長谷部家は赤く染まっているが、良く良く見ればそれは炎ではなく、単なる赤く光っているだけ。しかも立ち上る炎もまた良く見れば湯気か煙のようで、決して燃えている訳ではなかったのである。
「燃えてないんなら、今日はもう諦めて帰ろう」
結局はそう言う話となって誰もが家に戻ったのだが、その翌朝に長谷部家を見れば、今度はその家とその周囲の木々までもが白く発光でもしてしまったかのように、透けて見えてしまっているのである。
人々は近くまで寄って、「長谷部さーん!」と呼んでみるが、応えは一向に返って来ない。
やがて夜が来て、そしてまた朝が来た。今度こそ集落中が驚いた。長谷部家は完全に燃え落ちて、黒い煤ばかりのカスとなっていたのである。
さて、長谷部老人はその燃え残りの煤の中にいた。当然、煙に巻かれての窒息死だったらしい。
近隣住民はどうして通報しなかったのかと消防署に責められたが、あの晩の出来事はどうにも説明しようが無かったのである。
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