#770 『剥がれた能面』

 前二夜に引き続き、ボーカリストのMさんの体験談。

 ――私はミュージシャンの仕事と同時に、美容師の仕事も持っている。

 ある時、昔馴染みの男の友人から髪を切って欲しいとの連絡が来た。しかもその彼の自撮り写真も添付されての事。要するに写真を見せてイメージを掴んでもらおうと思ったのだろう。だがそれを見た瞬間、私の全身が粟立った。

 何故かは知らない。意味も分からない。ただ暗い部屋の中で彼自身が自撮りをしているだけの写真でしかないのだ。

 妙に気味が悪かったものの、「いいよ」と返事をする。だが結局、その友人からの連絡はそこまでで、予定を立てる間もなく話は立ち消えてしまった。

 それから少しして、またしてもその友人から連絡が来る。色々と私生活で揉めていて連絡出来なかったと言う事を詫びた上、もう一度髪を切って欲しいと、また別の自撮り写真を添付して送って寄越した。

 再び私の全身が粟立つ。何なのだろうこの違和感はとその写真を懸命に眺めてみると、気になる点をいくつか見付ける事が出来た。

 まずその写真は、自分の家の部屋なのだろう場所で撮られているにも関わらず、周囲がやけに暗い。しかしその本人の頭上にある照明はちゃんと点いているのが分かる。

 どうしてこんなに暗く写っているのだろうと更に目を凝らすと、その暗い部屋の中、壁の一カ所だけがぼんやりと白く光っていた。

 引き延ばす。なんとなく人の顔に見える。

 今度はその写真を加工し、明度を高く上げる。すると白く明瞭化されたその白い“何か”は、日本古来の能の面のようであった。

 もしかして――と、以前にもらった写真も見てみれば、そこにもやはり同じように能面が浮かび上がっている。私はさんざ迷った挙げ句、本人にその事を告げると、「本当だ!」と驚いたような返事がかえって来る。だがしかし本人曰く、部屋を暗くしてはいないし、その壁には面どころか何も飾ってはいないとの事。

「あんたなんか呪われてるか、私生活でロクな事してないとかじゃないの?」

 聞けば彼は「そんな事無いよ」と言いながら、そのまま音信不通となってしまった。

 それから約十年の年月が経った。先日、珍しくその友人から連絡が来た。

 どうやら彼はヤミ金に手を出し、金を返せないまま居場所を転々として、最後は船上生活者として生計を立てていたらしい。

「もう一回、自撮り写真送って寄越せ」と私が言うと、彼は渋々現在の写真を送って来た。

 そこには例の能面は写ってないものの、何故か妙に、「全てに見放されたな」と感じる精気の無い表情の彼が写っていたと言う。

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