#757~758 『畳の下のリノリウム』
美容室に勤務する、Aさんと言う女性の方の体験談。
――ある日私は、友人のB子と一緒に某県まで旅行に出る事となった。
宿はB子が取った。格安の旅館なのだと言う。着いてみればその安さが良く分かる。内装がとても手抜き工事なのだ。
部屋は三階となっていた。鍵をもらいエレベーターで上がると、まずその造りの異様さに驚く。降りた先の通路はエレベーターを中心に四方向へと分れており、まずその向かう方向で迷うのだ。
また、降りた真正面にはかなり無駄に思える広いスペースがあり、そこにはソファーやテレビ、そして自動販売機などが並んでいる。
「妙な造りの宿だよね」そう言うB子に、「まぁ安いんだから仕方ないよ」と私は笑った。
到着した部屋もまたおかしな造りをしていた。普通は入ってすぐに靴を脱ぐ場所があり、障子戸などで仕切られている筈なのだが、その部屋は入ればそのまま素通しの部屋なのだ。しかも部屋の中には押し入れと言うものも、床の間も無い。ただのっぺりとした、風情の無い畳敷きの広い空間なのである。
その時はまだ、その奇妙な違和感に対し特に何も思ってはいなかった。私とB子は大浴場へと向かい旅の汗を流した後、宴会場にて夕食を取った。
「なんか、変だよね」二本目のビール瓶を開けながら、B子は言う。
私もその意見には頷くが、何がどう変だと言う結論には至らない。
私とB子はロビーで酒を買い足し、部屋で飲み直す事にした。そうして迎えた夜の十一時。もう一度風呂に行こうと言う事になり、大浴場に二人で向かう。
「あれ、風呂が入れ替わってる」とB子。見れば確かに、先程入った風呂の入り口の暖簾が“男湯”となっており、その横の看板には“女風呂、地下へ”と書かれてあった。
私達はその横から続く狭い階段を降りた。心なしか地下の照明は暗く感じ、どこか不気味な印象がある。
浴場には私達以外誰もいなかった。
「貸し切りだね」とB子ははしゃいで見せるが、おそらくその内心は私と一緒だろう。とにかくその状況が怖いのである。
その浴場は夕方に入ったもう一つのお風呂とは違い、とても無機質で洒落っ気の無いものだった。なんとなくだが、風呂と言うよりは魚を飼う“いけす”のような感がある。
「ねぇ、あれ――」と、B子が指をさす。そして私もそれを見て一瞬で悟った。それは病人や怪我人を補助する為の介助用の浴槽であった。しかも見ればその浴槽は横に三つも並んでいる。
じわじわと私の脳内で今まで感じていた違和感がまとまって固まり、一つの結論へと向かいつつあった。
「ごめん、ここ無理」とB子。それは私も同感で、結局シャワーを使う事もせずに浴場を出た。
「ここ、病院だよね」言われて私は頷いた。――が、「部屋に戻ってからにしよう」とB子にうながす。今その話をここでしたら、その恐怖に耐え切れそうにないなと感じたからだ。
急いで浴衣に着替え浴場を出る。再び暗い通路を戻り階段へと差し掛かると、そこでまた驚くべき光景を目にする。先程降りて来た階段は、その段の下側が空洞になっている吹き通しのものだった。要するに、その階段を正面から見ればその裏側が見えるようになっているのだ。
裏側には、通路があった。それはほぼ真っ暗で何も見えはしないのだが、確かにその階段の横から真っ直ぐに通路が延びているのは分かる。それが証拠に、遙か遠くの方で消火栓の物だろう赤いランプが見える。だが――
「通路、無いよね」と、B子はその階段の横の壁を見て呟く。
確かにその横から続くであろう空間は無い。だが、元々はあったであろう造りはしている。階段の真横には不自然な壁があり、それが行く手を阻んでいるのだ。
手のひらで叩く。するとそれはとても安価な板材で塞がれているのか、籠もった感のある空洞の音がする。
咄嗟に理解した。この宿に来てから感じていた手抜き工事な内装の酷さは、こう言う素人的な工事によるものだと。そして至る場所に見られる不自然な空間や間取りは、全て何かしらの隠蔽の痕なのだと。
「ねぇ、なにかいる……」とB子。
彼女の指差す方向を向けば、真っ暗な通路の向こう側に見える赤いランプが見えているだけ。
「何が?」と、言い返す前に私も気付いた。その遠くにあるランプが、ふっ、ふっと等間隔で点いたり消えたりを繰り返している。
いや――違う。消えているのではなく、“何者か”がその灯りを遮っているのだと気付くのには時間は掛からなかった。
遠くから聞こえるはっきりとした足音。そして消える灯り。それを合わせて想像するに、何者かが左右に大きく揺れながらこちらに近付いて来ていると言う強烈なイメージ。
「上がるよ」と、私は言う。だがB子はその暗がりを凝視したまま動かない。
「B子、上がるよ!」大声を上げて彼女の背を叩けば、ようやくB子は「いやああああ!」と悲鳴を上げて階段を駆け上る。
私もすぐにその後を追ったが、通路の向こう側から来る“何者か”の走る足音を聞き、その階段の下の空洞から足を掴まれそうになる想像で、身体が震えた。
部屋へと戻り、一連の違和感についてB子と話し合った。思った通り私の感じていた事はB子も全く同じようで、以前は別の施設だったものを旅館として改築したのがこの宿で、そしてその以前の施設と言うものは病院か介護系のものだったに違いないと言うもの。
思えばその証拠となるような箇所はいくつもあった。この十字に作られた間取りは病棟に良くある造りだし、エレベーターを降りた真正面に存在している謎のスペースも、元はナースステーションか何かだと思えば納得も行く。
そう言えばこの宿に来た時に見たロビーの内装の雑さも、そこにあったであろう診察室や検査室などを塞いだ痕だったのかも知れない。
宴会場はいくつもある部屋をぶち抜いて作った広間かも知れないし、最初に入った大浴場は後から作ったものだったのかも知れない。
疑えば疑うだけ私達の想像が合っているような気がして、私とB子は部屋の畳をそっとめくってみると――
「リノリウムの床だ」二人の声が揃った。
もはやこの建物が、そう言う系の施設であった事は明白となった。さぁ、それではどうしようかと悩むが、今のこの時間ではどうする事も出来ない。怪異が起きませんようにと布団に入るが、眠気は一向にやって来ない。
翌日、朦朧とした頭で宿を出る。地下の駐車場へと向かい、車に荷物を詰め込む。そのタイミングで、「ねぇ、あれ」とB子が壁の一画を指差した。
見ればその駐車場の壁にひっそりと奥まった場所があり、その奥には暗がりから続くドアがあった。
「見てみない?」とB子。開く訳はないと思いながらも、私はB子の後に続いた。
前に立ち、ドアノブを握る。――と同時に、「開いた」とB子は驚く。
ぎぃと鈍くて低い音がして、ドアはこちら側に向かって開いた。そして私とB子は息を飲む。そこから見えるのは暗闇の通路であり、遙か遠くには梯子状に抜けた微かな灯りが見える。
一瞬で悟った。昨日の深夜に降り立った地下の浴場へと続く階段があれなのだと。
そして――例の非常用の赤いランプも見えた。つまりは昨日と逆の方向からその灯りを見ていると言う事だ。
「ねぇ」と、B子。
見ればその赤いランプは、ふっ、ふっと等間隔で点いたり消えたりを繰り返している。
足音だ――と、私は気付いた。
「B子!」少々きつい口調で彼女を呼ぶが、何故かB子はぼんやりと向こうを眺めるばかりで動こうとしない。
「ねぇB子! 閉めて!」
半ばB子に体当たりをするかのようにドアを閉める。すると少し遅れたタイミングで、「ドンッ!」と、その内側から“何者か”がぶつかって来た音が響いた。
結局、その宿で体験したのはそこまでで、私とB子は観光もそこそこに家へと帰った。
後で私はその宿の事を懸命に調べてみたのだが、以前が何の建物であったのかについては、何も情報が出て来る事は無かった。
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