#751~753 『おっことさん』
東北某所に口伝のみで伝わる、とある“もののけ”のお話し。
――昭和四十年代当時、私は小学校の六年生であった。
住んでいたのは過疎の村で、通う学校は一年から六年まで、合わせてたったの八人しかいなかった。
ある時、隣の町から“いさよ”ちゃんと言う女の子が転校して来た。学年は私より一つ下の五年生。残念な事にその時の五年生は誰もおらず、たった一人の六年生も私一人だけ。おかげでいさよちゃんと私はとても仲が良かった。
当時、その学校では“お泊まり遠足”と言う行事があり、三年生から上の学年は強制的に集団行動させられて炊飯から何から全て自分達の力で行わなければいけないと言う、面倒臭い企画に参加しなければならなかった。
そしてその年のお泊まり遠足。いつもならば家から歩いて十数分の所にある村の公民館での宿泊だったものが、何故かその時は、いさよちゃんが通って来ている隣町の施設で行われる事となった。
さて、そこで問題が一つあった。四年生は三人いるのだが、その中の一人、“源太郎(げんたろう)”と言う男子がおそろしく利かん坊で、その子が一人いるだけで、授業も何もかもぶち壊しになるぐらいに騒がしく、そして暴力的で、粗野だった。
源太郎は去年からそのお泊まり遠足に参加だったのだが、やはり日頃と全く同じで誰の言う事も聞かず、終始大騒ぎしっぱなしの三日間であった。
私はもう遠足の前から、「私にあの子のお守りは無理です」と何度も先生に伝えていたが、「そうも行かないから頑張りなさい」で片付けられてしまった。
さて遠足当日。集合時間から大幅に遅れて、源太郎率いる四年生チームが、カブトムシやクワガタなどを片手にやって来た。
「ちゃんと時間通りに来なくちゃ駄目じゃない!」と先生は厳しく言うが、源太郎の返答はいつもと同じで、「うっせぇ」だった。
向かった先の施設は、小高い山の頂にあった。登山ルートを徒歩で登る事十五分。そこで、施設を管理している大垣さんと言う老婦人から、「これだけは絶対に守れ」と言う施設の規則を教わった。
それは、夜の十時以降は絶対にどこの部屋の灯りも点けない事。そして施設内から外に出ない事と言う、その二つ。
他にも、夜になったら窓を開けない、カーテンを開けて外を見ないとか細かい事は色々とあったが、集約すれば全ては一つにまとまり、「夜の十時になったら就寝し、朝まで何もしない事」と言うものだった。
「守らなかったらどうなるんだよ」と、源太郎。その顔はやけにニヤついている。
「おっことさんに食われんつぉ」と大垣さんが脅すと、源太郎は大笑いし、「だせぇ」と馬鹿にするのだった。
おっことさまと言う存在はその地方にだけ伝わる神様のようで、我々の村でもその名を聞く事があるのだが、どうやらその町ではかなりその信仰が厚いらしい。大垣さんは至って真面目にそう言うのである。
さてその晩の事。私といさよちゃんとで作ったカレーを「まじぃ」と馬鹿にしながらも、ほとんど一人で平らげてしまった源太郎は、同じ四年生の二人を連れて夜の森の探検へと出掛けて行ってしまった。
「ねぇ、おっことさまってどんな神様なの?」と私がいさよちゃんに聞けば、「神様って言うよりは、“もののけ”に近いかも」と言う。
「怖い化け物だよ。連れ去られたら二度と帰って来ないから」
そうして夜も更け、もう間もなく午後の九時半となる頃。三年生の二人が、「まだ源太郎君達帰って来てない」と私を呼びに来た。
その晩一緒に寝泊まりしてくれる先生は、女性の三浦先生一人だけ。私といさよちゃんはすぐに先生の元へと駆け付け、源太郎達の事を告げる。
外へと出て、源太郎の名前を呼ぶがまるで返事は無い。そうしてようやく戻って来た頃には、既に夜の十時を遙かに過ぎていた。
先生と一緒に源太郎を怒鳴り付け、さっさと寝ろと言えば、「風呂に行く」と言い出す。そして風呂から出たら女子達が嫌がるのを知りつつ、裸体で施設の中を走り回る。
結局そうしてようやく全ての部屋の電気が消えたのは、深夜零時近くになってからの事だった。
翌朝、まだ陽が昇りきらない頃から大垣さんはやって来て、「外に出なさい!」と我々を怒鳴り付けた。全員が渋々と外に向かえば、そこには町の人達だろう年配の男性と女性が約十人ほど。そしてその人達は我々を睨み付け、「規則守れんのならすぐに出て行け」と激高した。
私といさよちゃん、そして三浦先生は平謝りに謝ったのだが、やはり問題は源太郎の存在で、「だっせ」と大笑いをし、更に住民の人達を炎上させた。
その中の数人は直接源太郎に掴み掛かり、数人で手足を押さえて頭を小突く場面もあった。だが源太郎はまるでひるみもせずに、「バーカ、バーカ、田舎もん」とやり返す。それを見ていさよちゃんは、こっそりと小声で、「あの子、この辺の子じゃないでしょう」と私に聞いたのだ。
「あの子、二年の頃に東京から転校して来た子だよ」
言うといさよちゃんは、「やっぱり」と頷き、「訛りは無いし、何よりこっちの人達の連帯感とか分かってなさそうだもんね」と、困った顔をした。
さてその日の午後、当直の先生は二人に増え、そしてスケジュールを無視してどこかに行ってしまった四年生チームを置き去りに、その夜の作戦会議が行われた。
まず、今夜の消灯時間は夜の八時に設定する事。そしてその時間が来たらすぐに施設中のドアや窓の施錠を確認し、それが済み次第先生が主電源のブレーカーを落とすと言う手筈になった。
そして一人はそのブレーカーの下で就寝。もう一人の先生は私達と一緒に寝ると言う事で決定した。
午後はもう昼食を取ったすぐ後から、夕食の準備となった。
遅めの昼食を取りに来た四年生チームに、源太郎を除く二人を掴まえて今夜の計画を話す。するとその二人は、「もう俺らもあいつと関わるの嫌だ」と、半べそをかくのである。
「夕食は六時から。遅れた者の夕食は無い」と先生は告げるが、源太郎は聞く素振りも見せずに四年生二人を連れてまたどこかへと出て行ってしまう。
さてその夕食での出来事。いやよちゃんが、「源太郎の両親もあんな感じなの?」と聞いて来たので、「見た事無いよ」と私は素直にそう答えた。
実際、源太郎の両親は先生達も会った事が無いと思う。どう言う理由かは知らないが、源太郎は単身この村へとやって来て、遠縁の老婦人の元で暮らしていると聞いた。
その事をいさよちゃんに話せば、「だからあんなに意固地なの?」と聞き、「こう言う場所で悪目立ちしちゃいけないのに」と、顔をしかめる。
さて、時刻はいよいよ夜の八時近くとなる。すると打ち合わせ通り、源太郎を除く二人が息を切らせて施設へと駆け込んで来た。
「大丈夫だった?」と聞けば、「分かんない」と二人は大泣きする。
なんで泣くのと更に聞くと、「後で源ちゃんに殴られる」と、二人は言うのだ。
やがて八時が過ぎた頃、予定通り施設の全てのドアや窓を施錠し、ブレーカーを落とした。そうして源太郎が一人で帰って来たのは、誰もが寝静まった十一時過ぎだった。
開けろ開けろと大騒ぎをしながら施設のドアを蹴る。四年生二人はその声で飛び起き、「開けないで」と先生に懇願する。だが源太郎も生徒である以上そうも行かないのだろう、「ここの部屋は鍵を掛けておきなさい」と言って、先生は部屋を出て行ってしまった。
聞き耳を立てる。玄関先で先生二人と大喧嘩をしている源太郎の声が聞こえる。
「出て行ってもいいが、今夜はもう絶対にここの玄関は開けないぞ」
先生が言うと、「いらんわ、こっから歩いて家に帰る」と源太郎。そうして再び玄関は閉められた。
時計を見る。時刻は既に零時を少し回っている。「あ、もう駄目だね」と、いさよちゃんの声が聞こえた。
少しして、またしても玄関のドアが叩かれた。
「おい開けろ! 開けろって!」と、源太郎の声が聞こえる。だがそれが聞こえている筈の先生達は、まるで開ける気配が無い。
すると玄関を諦めたのか、源太郎は我々の寝ている部屋の窓まで来て、「おい、ふざけてる場合じゃねぇぞ! 早くここ開けろ!」と、雨戸を叩く。何故かその口調はとても必死で、妙に“追い詰められている感”があった。
四年生二人が身を起こし、「開けないと殺される」と呟く。すると、「もうあの子、無理だから」と、いさよちゃんがそれを止める。
「無理ってどう言う事?」
「もう、おっことさま来ちゃってるよ」
顔の見えない暗闇で、いさよちゃんがそう言って微笑むのを私は感じた。
「おい、ふざけんなよ、おいっ!」と、窓を叩く声が、次第に悲鳴になって行く。
「ひぃーーーっ! ひぃーーーっ! 離せよバカヤロウ!」
外の砂利を踏む大勢の人の足音。そして窓から遠ざかって行く源太郎の声。そして一際大きな断末魔の悲鳴が轟いた後、外の物音は何も聞こえなくなった。
翌朝、「源ちゃんは?」と聞く四年生二人に、「もう二度と来ないから大丈夫」と、いさよちゃんは言う。私も私で先生二人に、「源太郎は?」と聞くも、「夜遅くにご両親が来て、実家に帰っちゃったよ」と言われて、その話はお終いだった。
少しして私は、夜中に家の両親がこっそりと話している会話を盗み聞きしてしまった。
「あの子の両親、事業に失敗して蒸発していたみたいなのよ」
「あぁ、だから厄介払いされたんか」
「里親になった二人からも見放されてたって言ってたから」
「それじゃあ隠されても仕方無いな」
――それが源太郎の事なのかは分からない。だがそれ以降、源太郎の姿は学校からもその村からも完全に消えてしまった。
あれから数十年が経つ。今もまだ源太郎のその後について、何の噂も聞こえて来ない。
だが一つだけ私は確信した事があった。おそらく“おっことさま”とは、神でももののけでも無く、“人”である事。そしてそれは何かの集団か、もしくは何か事を行動に移す際の隠語ではないかと、私は密かにそう思っている。
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