#744 『峠の少女』

 僕が大学時代の頃の話だ。

 当時付き合っていた彼女――葵と一緒に、車で一泊二日の旅行へと出掛けた際、どこでどう道を間違ったか細く狭い峠道へと差し掛かってしまった。

 困った事にUターン出来る程の道幅が無く、先へ先へと進むしかない。

 時刻はもう間もなく夜の十一時。さほど遅い時刻ではないものの、街灯も無ければ民家も無い山道を登っていると、不安しか感じられない。

 そうして間もなく頂上であろう辺りまで来て、僕は慌ててブレーキを踏む。ヘッドライトに映し出され、こちらに背を向けて道の真ん中に立っている少女の姿を見付けたからだ。

 どうしよう――と思った。少女はこちらに気付いているのかいないのか、全くそこを動こうとはしない。小さくクラクションを鳴らしても、微動だにしないのだ。

 かと言ってその横を擦り抜けるには道幅が狭すぎる。困った事になったと思っていると、隣の席に座る葵が、「ちょっと声掛けて来るね」と言い出した。

「それはやめよう」と僕は言う。こんな夜更けに、しかも民家も何も無い山道でたった一人で立っている子供が普通な訳が無いからだ。

 だが葵は僕の制止を聞かず車を降りる。そうしてその子の横に立ち、何やら会話をしているらしく、子供が何度か頷くのが見えた。

 すると葵はその子の手を引いて歩き始めるではないか。「おい、どこ行くんだよ」と窓を開けて叫ぶが、葵は振り向く事さえしない。

 慌てて僕は車を降りる。すると葵と子供はいつの間にか道のずっと先を歩いているではないか。

「おぉい、葵!」叫ぶと何故か背後から、「どうしたのよ!」と声がする。

 見れば葵は助手席に乗っている。どう言う事だと車に乗り込むと、葵いわく、僕が突然車を停めたかと思ったら窓開けて叫びだし、しかも車を降りて行くので心配になったとの事。

 再び車を走らせ、僕は今起きた事を葵に話し出した。すると最初の頃は笑って馬鹿にしていた葵だが、彼女が子供の手を引いて遠ざかって行く場面辺りで、「なんだ、見えてたの」と、とても冷たい声でそう言った。

「見えてたんならしょうがない。返してやるわ」

 言って葵は、今までに聞いた事もないような奇妙な歌をうたい始める。

「しょうじょう、せんこつ、あいなん、そうとうばしゅう、こんなんたきつや――」

 それは童謡なのか、それともお経の類か。大真面目な表情でそれを歌い続ける彼女は一種独特で恐怖すら感じた。

 やがて道は麓へと下り着き、平坦な大きな道路へと出た辺りで葵の歌は止んだ。

 葵は何度も背後を振り返り、何かを気にしている様子だった。

 僕は今しがた起きた出来事を葵に話して聞かせたが、葵はすぐに、「それは言っちゃいけない話」と、それを咎めるのだ。

 ――前夜掲載された、“怪談大会”にて語られたお話しの全容である。

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