#727 『塾の帰り道』

 僕が通っていた学習塾に、素行の悪い子がいた。名前をN君と言う。

 N君とは学校こそ違うが、学年もそして帰りの方向と降りる駅とが一緒で、自然に良く話し掛けられていた。

 ある日の事、「面白いもん見せてやるからちょっと付いて来い」と言われた。

 こうなるとなかなか彼には逆らえない。もう時刻もかなり遅い時間ではあったが、「ちょっとだけなら」と頷いてしまった。

 最寄り駅で降り、改札を抜け、そしてN君が向かった方向は駅の真下を通り抜ける連絡通路であった。

 そこは狭く暗い一本道で、痴漢が出るとか強盗が出るとかで評判の悪い場所である。

 さすがにそんな場所を、しかも夜遅くに小学生二人で通るのはひたすら危険で、僕は何度もN君を止めたが、「俺はいつもここ通ってるから大丈夫だって」と、無理に進んで行ってしまう。そして前を歩くN君が、「ちょっとここ見てみ」と、とある壁の一画でしゃがみ込んだ。

 見ればその壁を押さえる鉄柱の桟が地面と平行に走っており、その一画に“それ”はあった。小指の先ほどの小さな白い粉の山である。

「これ、盛り塩って言うんだぜ」

 知ってる。そしてそれが意味する事も。

 ここ絶対にヤバい――と理解したその直後、事もあろうにN君は、その盛り塩を手で払い除けたのだ。

「何するの?」聞けばN君は、「一回やってみたかったんだ」と笑う。

「実はここ、至る所に盛り塩されててさ。しかもそのどれもがすぐには見付からないように隠されてんだよ。だから一回、全ての盛り塩見付けて壊してやろうと思ってさ」

 それは駄目だよと、言う前にN君は行動に移していた。もう既に全ての箇所は押さえているのだろう、次の場所へと向かうとまたしてもパッとそれを払う仕草をしている。

 三カ所目、塩を手で払うと同時に頭上の蛍光灯が瞬き始めた。しかもそれは僕らの真上だけではなく、真っ直ぐに伸びる通路の全てがそうだった。

「もうやめようよ」と僕はN君を止めるが、「今日こそは全部やり遂げる」と、N君は興奮した様子。

 あぁ駄目だ。この子に付いて行っちゃ、もう戻れなくなる。そう僕が確信し、彼に見付からないようそっと後ずさりし、その後は一気に出口に向かって走り出した。

 その後、N君が全ての盛り塩を払ったのかは分からない。後日、塾で会ったN君は、昨夜の事を咎める事もなくごく普通に接して来るのである。

 いや、“ごく普通”ではない。どう言う訳かN君はやけによそよそしく、しかも態度や言動がとても穏やかに見えた。

 以降、塾内で彼が素行の悪い態度を取る事は無くなった。まるで人が変わったかのように、物静かになったのである。

 やがて僕は中学へと進学し、塾も変わった。そして志望の高校へと合格した辺りだったと思う。たまたまN君のお母さんと最寄り駅で会ったのだ。

「N君、元気ですか?」と聞けば、お母さんは困った顔をして、「健康ではあるんだけどね」と言葉を濁す。

 昔は親ですら困るほどに活発だった子なのに、ある時期から中身が変わってしまったんじゃないかと疑えるぐらいに大人しくなってしまい、困惑しているのだと言う。

 多分、あの晩からだと僕は直感する。

「それにねぇ……」とお母さんは口ごもり、「なんか最近は外にも出ないで引き籠もり気味なのよね」と教えてくれた。

 何故かいつも部屋の入り口には必ず盛り塩をしていて、部屋を覗くと電気も点けない暗い中で、床に正座をして座っているらしい。

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