#718 『満ち潮の排水溝』
僕がまだ子供の頃の話である。
家は海辺にあった。いわゆる漁師町で、いずれは僕自身も漁師になるんだろうなぁと言う感覚で毎日を過ごしていた。
ある時、友人数人と海辺まで歩いて行くと、隣町の子供が遊びに来ていた。
特に顔見知りと言う訳でもなかったが、自然にその子達と合流し、かくれんぼをする事となった。
さて、何度かその遊びを続けていると、突然その隣町の子の一人が何か奇声を上げ始めた。
さすがに遊んでいられる状況じゃないなと察して皆で出て行くと、防波堤の近くで二人、「一人だけ、出てこれなくなっちゃった」と半泣きしているのである。
どうした事だと聞けば、そこから下に続く階段を指差し、「あの穴の向こうから戻って来れなくなった」と言うのだ。
そこはいわゆる排水溝で、少し離れた所にある工場から出る下水が流れ着く場所。但し水質汚染が酷いと言う事で工場は稼働中止となり、今はそこからは何も流れ出ていない筈の巨大な横穴なのである。
「一人だけ戻れなくなったってのはどう言う意味だよ?」と、何人かで階段を降りて行き、その穴の奥へと進んでみた。すると――
「たすけてー!」と、鉄格子の奥から叫ぶ子が一人。一体どこからそこへと入ったのか、猫の子程度なら抜けられるであろう格子の向こう側から、その子は泣き叫んでいるのである。
まずいぞと思った。潮はまもなく満ち潮となり、いずれはこの横穴も水に沈む筈。現に水位は歩道部分のすぐ下まで来ているのだ。
「大人呼んで来るから、お前は奥に進め。工場の方からなら上へと上がれる場所あると思うから」
言われてその子は泣きじゃくりながら渋々と暗がりへと姿を消した。
やがて大人達が駆け付けて来てはくれたが、もうその頃には潮は上がって先程の横穴はすっかり水の中に沈んでいた。
「なんて遊びしやがるんだ」と大人達は僕らを叱りつつも、工場側へと様子を見に行ってくれた――が、結果そこからは誰も見付からず、潮が引いた後も横穴からは誰の姿も発見されなかったと言う。
驚いた事に、そこ穴に入った子は僕らの友人でも、隣町の子達の友人でも無かった。要するに見ず知らずの子供だったのだ。
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