#716 『焼き芋』
怪談と言ってしまうと少々違うんじゃないかなと言う感じのお話しを一つ。
今ではスーパーマーケットなどで気軽に買える焼き芋だが、かつては冬になれば焼き芋売りの移動販売車が回って来ていたのが主流だった時代の話。
ある冬の事。遠くから聞こえて来た焼き芋売りの車だろうアナウンスが、家の前でぴたりと止んだ。おそらくは自宅マンションのエントランス付近でしばらく客待ちをする予定なのだろう。
私は洗濯物を干しにベランダへと出ると、その真下に軽トラが停まっているのが見えた。
ふと――男と目が合った。その軽トラの後部にその中年男性が立ち、何やら作業をしている様子のまま二階ベランダにいる私をじっと眺めていたのだ。
男はにやけるでもなければ何かを言おうとしているでもなく、ただ無表情のまま私を見ていた。気持ち悪いと感じた私はすぐに洗濯物を干すのを止め、家の中へと引っ込んだ。
それ以降、家の前にその焼き芋売りの車が停止する事がしょっちゅうあった。短ければ三十分。長ければ二時間近くそこにいる。なんとなくだが私がベランダに出て来るのを待ち構えているかのような気配さえあった。
ある時、買い物帰りにマンションへと戻ると、既に焼き芋売りの車がそこにあった。
見付からなきゃいいなと思いつつなるべく早足でそこを通り過ぎようとしたら、例の男性が車の影から私の事を覗いていた。
やはりあの男だ。思い、私は走って家へと逃げ込んだ。
夫が帰って来てその事を話せば、「それは考えすぎじゃない?」とまるで取り合ってくれない。
「それに、家の前に停車しているからって言ったって、路上駐車以外の悪い事はしていない訳なんだから」
これじゃあ夫はあてにならないなと思い、どう言う自衛手段を取るかで私は悩んだ。
ある日の事、夫が大きな紙袋を抱いたまま家へと帰って来た。「それ何?」と聞けば、想像した通りに焼き芋の入った袋だったのだ。
「今日も家の前に停まってたから、話を聞くついでに買って来た」との事。
さすがに私は夫の無神経さに腹が立ち、「絶対に食べないで」とお願いしたのだが、夫はそんな事などまるで無視して熱々の焼き芋にかぶりつく。
「なんかね、夜勤もやってる子らしくてね、時々この家の前で仮眠取ってるんだって」と夫は言う。
なんの事かと聞けば、いつも家の前で停まっている焼き芋売りの運転手の事らしい。
「まだ十九歳だってさ。頑張ってるなぁって思ったので、思わず沢山買っちゃった」と夫は笑う。
それだと私が見た中年男性とはイメージが違うなと感じた。
さてその翌日から、夫の行動が利いたのか焼き芋売りの車は家の前では停まらず通過するだけとなった――が、洗濯物を干す時はたまに、階下に例の中年男性が立ってこちらを睨んでいる時がある。
焼き芋売りは全く関係無かったのだ。
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