#710 『雑木林の老婦人』
ある時、ルームメイトである早紀が、「ちょっと気になる事があるんだけど」と私の部屋へとやって来た。
何でも彼女の部屋から見える景色に、時折不審な女性が現われるらしい。
「それって幽霊?」と聞く私に、「そうじゃない」と早紀は笑う。どうやらそれはごく普通の老人女性らしく、夕暮れ時になると決まって外の通りを歩き、そしてとある一点で立ち止まって手を合せるのだと言う。
「なにそれ?」聞くが早紀は、「分からない」と言い、その手を合せる場所はいつも斜向かいにある雑木林の前なのだそうだ。
ある休日の午後、「そろそろだから見に来る?」と、早紀が部屋まで呼びに来た。私は何気なく、「行く」と言って彼女の部屋へと向かう。
早紀の部屋から真正面に、真っ直ぐ直線で続く細い通りが見える。すると遠くから老婦人がこちらへと向かって歩いて来て、部屋から斜に見える雑木林の前で立ち止まり、何か祈りでも捧げるように合掌をする。
「何してんの?」聞くが早紀は、「分かる訳ないじゃん」と笑う。
婦人はしばらく手を合せた後、今度が来た道を引き返して行く。要するにただ祈りの為だけにそこへと来ていると言う事だ。
「何してるんだか聞いてみたいね」と私が言うと、「それはやめとこう」と早紀は渋い顔をする。もちろん私自身も本気で言っている訳では無い。
ある日の夜、最寄り駅を降りるとたまたま早紀と出くわし、一緒に帰る事となった。
てくてくと夜道を歩き、他愛もない話をしていると、例の老婦人と擦れ違った。
「あの人……」
「うん、分かってる。あの雑木林の人だよね」
少々いつもよりも遅いが、日課のお祈りの帰りなのだろう。当然興味はそっちに向かい、「あの林に何があるんだろうね」と言う話題になった。
「誰か殺して埋めた?」と早紀が笑う。私は、「自分もそう思ってた」と返す。
やがてその雑木林が見えて来る頃、「ちょっとだけ中入ってみない?」と早紀が言うのだ。
「ちょっとだけなら」と私は言い、そして人がかろうじて通れそうな藪の隙間から中へと足を踏み入れると――
そこにはこちらに向かって手を合せる老婦人の姿があったのだ。
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