#700 『客の来ないお好み焼き屋』
これは筆者がちょうど二十歳だった頃の体験談である。
ある日の事、女性の友人と一緒に昼のランチを食べに行く約束をして家を出た。
駅前のとある雑居ビルの三階にお好み焼き屋があるのを見付け、そこに落ち着く事にした。
――が、入ってすぐに後悔した。休日の昼の混み合う時間だと言うのにその店には全く客の姿はおらず、しかも店内は煌々と照明が灯っていると言うのにやけに暗い。
「出よう」と、言い掛けた言葉を飲み込む。奥から顔を覗かせる男性が、「いらっしゃい」と声を掛けて来たからだ。
仕方無く僕らは、比較的明るい窓辺のお座敷のテーブルに落ち着く。そうしてまずはビールとオレンジジュースを注文するのだが、そこの店主らしき男性は鉄板に火を入れて厨房へと戻ったきりなかなかドリンクを運んで来ない。
「失敗したよなぁ」と僕は言うが、友人は「面白いじゃない」とどこか楽しんでいる様子。
するとどこからかボソボソと話し声が聞こえて来る。だがもちろん店内には誰の姿も無い。一体どこだろうと思い目で探すのだが、トイレへと立った友人が、「カウンターの内側で独りごと言ってた」と耳打ちして来た。
「誰が?」聞けば、「さっき来た店主」と友人は言う。
注文したものも持って来ないで何事だよと思っていると、突然店内の電気が一斉に消える。するとカウンターの内側から顔を出した店主が、「駄目だよ、駄目だよ」とやけに情けない声を上げて店の入り口に向かって小走りに駆けて行くのだ。
ハッと、息を飲む。暗くなった店内の入り口付近、壁際に背の小さい“誰か”の影があった。
店主はその影に向かって進んで行く。そうして「電気消しちゃ駄目だよぉ」と泣きそうな声で言い、その影に覆い被さるようにしながら壁を探る。するとまた店の照明が明るくなった。
そうして店主はカウンターの内側へと引っ込むのだが、やはり注文したドリンクを持って来る様子は無く、またしてもブツブツ、ブツブツと独り言を漏らすのである。
そして再び暗くなる店内。するとまた店主が、「駄目だよぉ」と泣きそうな声で出て来る。見ればやはり暗がりの壁に小さな背丈の“誰か”がいる。
「やっぱ出よう」言って僕らは、店主がカウンターへと引っ込むと同時に立ち上がる。
「あの……俺等帰るから」その背に声を掛けるが、店主は相変わらずブツブツと、「そんな事ばかりしているから全部駄目になるんじゃないの」と、訳の分からない事を呟いている。
帰り際、“誰か”が立っていたであろう箇所を眺めながら店を出たのだが、そこにはどこからか人が出入り出来るようなドアも何も無く、それどころか店の照明のスイッチさえ無い。
ありゃ何だったんだとビルを降り、歩き出す。すると隣を歩く友人が、「絶対に顔上げちゃダメ」と僕に言うのである。
これは後で聞いた話だが、三階の例の店の窓辺――ちょうど僕らが座っていた辺りから、店主がこちらを見下して笑っているのが見えたそうなのだ。
「マジかよ」と僕が言うと、「その隣には女の子の顔もあった」と友人。
今から三十年程前の、都内某駅前での出来事である。
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