#684~699 『黄泉路くだり』
今回は少々――いや、かなり長いお話しになる。まず最初にこの話を提供してくださった関西在住の藤田恭子さん(仮名)に厚くお礼を申し上げたい。
本来ならばここまでの容量の話をTwitter等で載せるのには気が引けるのだが、ご当人の熱い希望によりこの媒体での掲載へと踏み切る事にした。
これから語らせて頂くお話しは、恭子さん自身が体験した、とある地方の道祖神にまつわる出来事。
本人曰く、「もしかしたらこんな形の神隠しなんかも存在するのかも」と言う一文で、その手紙は締め括られていた。
みっどないとだでぃ史上最長の話となるが、興味深い話なので是非読んでいただきたい。
それではどうぞ。
――今から四十年も前の事である。当時就職した会社では、年に一度の慰安旅行があった。
正直、行きたくはなかった。内容的には旅行だが、実際は泊まり掛けで付き合わされる飲み会のようなものである。そして新人である男子も女子も、上司や先輩達の愚痴や説教を聞いて有り難がるだけの接待係。当然、面白くもなんともないのだ。
早朝、会社の前からマイクロバスへと乗り込み、片道二時間のルートをあちこち観光しながら六時間も掛けて到着する。
着いた先は奈良県にある村で、仮にその村の名前をT村とする。
そこは驚くほど何も無い場所だった。最寄り駅から車で十五分ほどの所にある村の一つの集落で、僅かばかりの民家の中にいくつかの店が存在している程度の場所。そこに、我々が一泊する予定の保養所があるのだ。
到着し、私達が部屋に落ち着いたのはまだ陽の高い午後の二時頃の事。
上司達は既に浴衣に着替えて大浴場へと向かうのだが、私達はなるべくそこに関わらずにいたいので、銘々外へと出掛ける事になった。
保養所の玄関に、その周辺の簡易地図のようなものが壁に掛かっていた。
あちこちに観光出来るであろう場所が書かれていたが、どこをどう見てもただの田舎町で、遊べそうな所はまるで見当たらない。
そうこうしている内に私一人が同僚達に置いて行かれ、結局単独で外へと出る羽目となる。
集落で唯一の繁華街であろう辻を通り、高台の方へと向かう。勾配はそこそこにきつく、すぐに息が上がった。
先程、保養所の玄関で見た簡易地図で、一カ所だけとても気になる場所があった。それがその坂の上にある筈なのである。
やがてそれは見えて来た。白い鳥居に注連縄が下がる、山道への入り口である。
鳥居の前に看板があった。
“御観山途”
間違い無くここである。辺りは鬱蒼と茂る森に囲まれ、その木々の間からそっと顔を覗かせているかのような、そんな山道だった。
どうやらその山道は、“おみさんろ”と読むらしい。横の説明書きを見れば、どうやらそこはかつて修験者達の修行の場所のようであった。
看板には徒歩で約十五分と書かれている。徒歩十五分でどこに出るのかは分からないのだが、どうやらその山道の頂上付近には道祖神が祀られているらしく、元より郷土史や土着信仰系に対しては昔からやけに惹かれる私である。当然、ちょっとだけ覗いて来てみたいと言う欲求に駆られる。
だが、同時にどこか恐れもあった。山道の奥はやけに闇が濃く、昼の最中であると言うのにどうにも先が見通せない。
しかも道は板と杭とで作った土盛りの階段である。どう見積もっても歩きにくい事この上無いだろう。
さぁどうしようかと思っていると、突然背中側から「もし」声を掛けられた。
振り返ればそこには会社の古参の先輩である冨田さんの姿。背の小さい、恰幅の良い中年の女性である。
「あぁ良かった、藤田さんに似ていたけど、こんな所に一人でいる訳無いと思ってたんで、声掛けにくかったのよ」と、冨田さんは笑う。
冨田さんは違う部署であり、滅多に話す機会も無いので、私は少し戸惑った。
「どうして先輩、ここにいるんです?」聞けば冨田さんは、「宿でここの噂聞いて見に来たの」と言うのだ。
「ここのって……この山道の事ですか?」
「そう、この“黄泉坂”の事」
聞いて驚く。黄泉坂とはどう言う意味だろう。
「藤田さん、見に行くんだよね? 私も一緒でいいかな?」
もちろんそれは……と言った所で、藤田さんは私の手を握って「行こう」と急かすのである。
仕方無く私は彼女と一緒に鳥居をくぐる。
まず最初に、静寂が訪れた。途端、やけに得体の知れない圧倒感と、一瞬で下がる気温を感じる。
鳥居の内側は、外で見るよりもずっと暗く、そして紫煙のような絡み付く霧が辺りを埋めている。
寒い――と、思った。鳥居の外と内側ではこれほどの差があるのかと、私は驚く。
「ねぇ……でしょう? ……だから、私も……って思ったんだよね」
隣で冨田さんがやけに饒舌に語り掛けて来るのだが、どうにもそれが私の頭の中へと入って来ない。私はぼんやりとしながら彼女の手を取り、階段の一段目を踏みしめた――とその瞬間、ずしっと肩と背中に“重み”がやって来た。それは一瞬で理解が出来る、“人が背中に乗った重み”であった。
声が出ない。悲鳴を上げたいのに、喉元まで声が上がって来ない。それほどの戦慄である。
身体中の毛穴が開く感覚と、髪が逆立つ感覚。耳元にはその背中の“誰か”がしているであろう呼吸する音までもが感じられと言うのに、隣の冨田さんに助けを求める事も出来ないのである。
背中の誰かは、男だと直感した。しかも子供や大人ではない、老人の域に達した男性だ。
だが不思議と、重いのに足が止まらない。私はどちらかと言えば小柄で非力な方なので、普通は女性を背負っただけでも潰れてしまうぐらいにか弱いのだが、何故かその時ばかりは倒れそうな程に重い筈の足が、止まる事なく前へ前へと進むのである。
“口を開くな”
突然、背中の男からそう話し掛けられた。――いや、その表現は正しくない。
それは厳密には“声”ではなかった。とても陳腐な言い方になるが、それは直接脳内に流れ込んで来る言葉ではない思念のようなもので、いわゆる“テレパシー”と言った類なのかも知れない。とにかくその背中の男は、とても厳しいイメージで、“何も話すな”と、そう語り掛けて来たのである。
“喋るな。頼むから何も話さないでくれ”――と。
どう言う意味だ? 思った次の瞬間にはまた別の思念が流れて来て、今度は“横を見るな”と言うのだ。
横を見るなとは? 横には手を繋いだ冨田先輩がいるだけだ。だが……なんとなくその男の言わんとする事は読み取れたような気がした。
軽く視線を横に傾ける。だが、真横にいる筈であろう冨田さんの姿が視界の端に写らない。
同時にまた男の思念が流れ込む。
“横を見るなと言ったじゃないか!”と、激しい口調のような、怒気をはらんだ思念だった。
“もう見るな。もう決してそちらを向くな”
言われて私はそっと、“分かった”と答えた。するとなんとなく安心したかのような思念が伝わって来る。
ふと、気付く。いつの間にか道は下り坂になっていた。
いつ頂上へと着いたのだろう。見たかった筈の道祖神の祠は既に過ぎ去り、道は今度は転げそうな程の勾配の下り道に変わっているのである。
冨田さんと繋いでいる手がやけに汗ばんで滑る。だが一向に彼女はそれを離してくれる気配が無い。
「……だよねぇ?」とか、「……なんて思うじゃない?」と、冨田さんは相変わらず一方的に話し掛けて来るのだが、どれも一向に言葉としてまとまっておらず、私の耳にはその言葉尻しか届いて来ない。同時に背中の男が、しきりと“絶対に返事をするな”や、“横を見ないでくれ”と私に忠告するのである。正直、うるさくて仕方がない。
いつの間にか辺りは闇夜であるかのように暗くなっており、そして少しするとまたぼんやりと明るくなり――と、明暗の行ったり来たりを繰り返す。
疲労のピークが近いと、私は思った。相変わらず人を一人背負ったまま足は進むが、それはほぼ強制的に歩かされてるような感覚であり、私自身はもういつ倒れてもおかしくはない程に疲れ切っていた。
あぁ、もう駄目だと思ったその時、ぼんやりと向こう側が明るく見え、そしてその光の中に白い鳥居があったのだ。
「帰れる」そう思った瞬間、冨田さんは私の手を振り解く。
“振り向くな!”と、背中の男の思念が伝わって来たのと同時に、私は背中を強く押されて前のめりに膝から転ぶ。
痛い――と、言いそうになり懸命に口を閉じる。そして、“振り向かずに逃げろ。這ってでもあの鳥居をくぐれ”と言われ、私は無言でそれに従う。
最初の数歩は這い、そして懸命に痛みに堪えながら立ち上がり、足を引き摺るようにして鳥居を抜ける。同時に霧は晴れ、一瞬で空が明るくなり、自然の中に流れる騒音が耳へと戻って来る。
背中の重みはいつの間にか消えており、私は現実世界へと戻って来たと言う安心感からか、そこで全ての記憶は途絶えた。
気が付けば見知らぬ天井の見知らぬ部屋だった。
だがその部屋の白さや私のベッドから伸びる管の類が、病院のベッドの上だなと想像出来た。
腕を動かすが、上手く動かない。喋ろうにもろくに声が出ない。一体何事だろうと思っていると、看護師さんがそんな私の様子を見付けて白衣の先生を呼んで来てくれた。
「大丈夫、過度の疲労と栄養失調だから」と、先生は言う。だが何が大丈夫なのか全く分からないし、どうして私がそんな状態になっているのかさえ理解が及ばない。
だが先生の説明を聞いて驚いた。なんと私が行方をくらまし、今までに十日ほどの時間が流れていたと言うのだ。
とりあえずその日は安静とし、その翌日、会社の上司達が病院まで駆け付けて来てくれた。
河西部長と、遠藤課長。そして何故か役職でもない鈴木香さんと言う先輩女性社員の顔もある。
会社の先輩と上司以外にもう三人、病室に同席した人達がいた。
一人はその村の駐在さんだと名乗る警察官の格好の男性。そしてもう一人は地元の議員だと言う須垣さんと言う年配の男性。そして最後は地元商工会の会長を務めていると言う、大津さんと言う男性だった。
私は点滴が効いたのか、もうその頃にはそこそこに話せる程度に回復していたので、かなりぼんやりとしながらも皆からの質問にゆっくりと返答をする事が出来た。
「なんとなく状況は飲み込めているから、どんな荒唐無稽な出来事でも、包み隠さず話してください」
地元議員の須垣さんに言われ、私はマイペースに事の全てを順に話した。但し上司のいる前だったので、冨田さん名前だけは伏せて語った。
すると、思った通りなのだが会社の上司と地元の方三人の反応は真逆と言ったぐらいに違っていた。部長と課長は終始、怒ったような馬鹿にしているかのような表情をしているのに比べ、地元三人は恐らく何かを知っているのだろう、とても真剣で神妙な顔をしていた。
「ちょっと信じられないなぁ」
私の話が終わった途端、部長がやけに大きな声でそう言う。その表情は嘲笑そのもので、それが私の気持ちを少し苛つかせた。
だがそこで、上司と一緒に同席した鈴木先輩が口を開いた。
「すいません、私、藤田さんがその鳥居くぐるの見てました」
本当かよと遠藤課長が驚く。そこで私は冨田さんの名前が出るのを恐れたのだが、意外にも鈴木さんは私の予想を遙かに裏切るような事を言った。
「やけに背の高い、痩せ細った全裸の女性が一緒でした」
――どう言う事だろう? 冨田さんはちゃんと服を着ていたし、それに彼女の身長は私よりも低かった筈。
そこで思わず私は、「それって本当に冨田さんでしたか?」と聞いてしまった。すると皆から予期せぬ反応が返って来た。
「冨田って……誰?」
思わず口走ってしまった名前だが、会社の三人はまるでピンと来ていない。私はそこで誤魔化しながら、「業務課の冨田さんにそっくりな人だったんです」と告げたのだが、やはり三人の反応は同じで、「誰それ?」状態だったのだ。
そこで私は思わず熱くなってしまった。何度も、「業務課の冨田さんです」とか、容姿体型を説明しても、三人は三人共に、「そんな人はいない」と言う。まるで意味が分からない。
「藤田君、ここちょっとおかしくなっちゃってんじゃないの?」と、課長はこめかみの辺りを指先でくるくる回しながら笑う。それには部長も鈴木先輩も同じ反応だったが、やはり地元の三人はそのやりとりすらも大真面目な顔で聞いていたのだ。
結局、私はあの時、鳥居をくぐって御観山途へと向かった後から七日間、行方不明のまま捜索願いが出されていたらしい。そして七日後の昼に発見された後、三日間を意識不明のままで過ごし、今こうして目を覚ましたのだと言う。
そして後はもうひたすら部長と課長の説教めいた小言と皮肉が続き、「ともかく帰って来てくれて良かった」と、全く思ってもいないような顔で言われた後、「しばらく療養して戻って来い」と引き上げて行ってしまった。
不快な上にどっと疲れた。そう思っていた所で、「申し訳ありません」と、突然謝られた。見ればそれは地元商工会の会長、大津さんだった。
「我々はあなたの言っている事全て嘘だとは思っていないし、理解も出来ています。ただその全てを他所から来たあなたに背負わせてしまっている事、地元の者としてとても申し訳無く思っております」
やはり何かある――と、私は悟った。だがもちろん、まだその全容はまるで分からない。
「済まないがもう一回、あそこで何が起こったのか話してもらえないかな」
議員の須垣氏に言われ、私はベッドの上で軽く頷く。そうして私は先程よりももっと細かく順を追って話す。すると意外な事に、須垣氏と大津氏が食い付いて来たものは、私の背に乗って来た男の存在だった。
「それは男の人でしたか?」
「えぇ、見た訳ではないのですが男の人でした」
「若い人でしたか、それとも大人でしたか?」
「それも見た訳ではないのですが」と前置きし、「なんとなく老人だと思いました」と正直に話した。
須垣氏と大津氏が同時に顔を見合わせる。それを見て駐在さんがとても不安そうな顔で天井を仰ぎ、やけに事態は深刻なのだなと私は思った。
次に大津さんから、「頂上にある祠に何かしましたか?」と聞かれた。
これもまた素直に、「見てません」と答え、「気が付けばもう下り坂でした」と伝えた。
またしても二人の顔が曇る。大津さんは困った顔で髪を掻き上げながら、「すいません、ちょっととても重要な事を一つお聞きしたいのですが」と、私の顔を見る。
「黄泉坂の途中で、何かを口にしましたか?」
聞かれて私は、「いいえ」と答える。「背中の人に忠告された通り、何も喋らず山を下りました」と返すと、「そうじゃない」と大津さん。
「そこで何かを食べたり飲んだりはしませんでしたかと言う意味です」
あぁなるほどと思い、「いいえ何も」と答えれば、「まだ事態はマシか」と、須垣氏が小声でそう呟いた。
「すみませんが、一体あそこで何があったのか、私にも分かるように説明してもらえませんか?」
言うと大津さんは、「そうしたいんですが」と言いながら、「まだちょっと深い所までは話せないんですよね」と、説明を断るのだ。
そこにもう一人の人物がやって来た。一見すれば裏社会の存在を匂わすようないかつい風貌の男性で、その頭髪は短く刈り込まれている。
「××寺と言う所で住職をしている小瀬です」と、その男性は名乗った。
私がお坊さんだったと安堵した所で、その小瀬さんは、「歩けるようになったらもう一回、黄泉坂を登りましょう」と無茶な事を言うのだ。
「何故ですか?」
「戻すんです」
「戻すって、何をですか?」
「“降りて来てしまったモノ”です」
小瀬さんは答えてはくれるものの、内容はとても片言で、充分な知識を得られるものではなかった。
「帰りたいでしょう? ちゃんとした状態で家に帰りたいならば、やはりもう一度登って、戻して来ないといけないでしょう」
全く意味は分からないが、地元住職の人がそう言うのだからきっと何かあるのだろう。「大丈夫、私が付き添いますから」と言うのを聞いて、渋々頷きながらも、「一つだけちゃんと教えてください」と交換条件を出した。
「“黄泉坂”って、どう言う意味ですか? さっき大津さんも、あの山道をそんな呼び方をしておりましたが」――と言いながら、そう言えば冨田さんもそう呼んでいたなと私はその時の事を思い出す。
「あぁ、“御観山途(おみさんろ)”の事ですね」と、須垣氏。「それは戦後に付けられた名前です。元々は黄泉坂と呼ばれていました。昔はその辺りに多くの修験者がいましてね。そこで皆が同じ目的を持って修行をしておりました」
「はい。古神道や山岳信仰の類ですね」
「うん、まぁ、そんな感じのものです。要するに地元の人間は、単に昔の名前で呼んでいると言うだけの事です」
そこで話は打ち切られた。結局の所、御観山途の深い部分については何も分からず終いだった。
それから数日は寝たきりの安静のままだった。
どう言う訳か部屋にはテレビも何も無く、本も新聞もないまま退屈な日々を過ごすばかりであった。
だが来客はあった。議員の須垣氏と、商工会会長の大津さんだ。
頻度的には大津さんの方が多かったが、何故か二人同時に来る事は無かった。
二人はお互い、来ると簡単に挨拶をしてから窓辺に立つ。一体何をしているのかは分からないが、左右両手を妙な形に結び、窓越しに外へと向かって妙な念仏のようなものを小声で唱えているのだ。
「本当は小瀬さんが来てくれると一番いいんだけどね」と、大津さん。
「小瀬さんは忙しいのですか?」と聞けば、「そうだねぇ」と大津さんは笑い、「今、懸命に“降りたモノ”を探してるからね」と言うのだ。
まただ。思いながら、無理とは分かりつつ「降りたモノって何ですか?」と聞くが、「全部終わったら話しますよ」と、大津さんは煙に巻いて帰ってしまう。
そう言えばそれとは全く関係の無い事かも知れないが、私がその病室で目を覚まして以来、毎晩深夜ともなると外から妙な音が聞こえて来るのだ。
――びょぉぉおぉぉぉん ――じょぉぉぉおぉぉん
良くは分からないが、なんとなく三味線か何かの弦楽器が奏でる音のようだ。
それは遠くなり近くなりと、弾いている者があちこちを彷徨ってでもいるのか、音は様々な方向から聞こえて来ていた。
一度はこの病室の窓をかすめるかのような近距離で音が鳴った。
――びぃやおぉぉぉぉぉぉん
なんとなくだがしばらくその音は窓の外で余韻を残していたような気がする。ちなみに私の寝ている病室は二階である。
「降りたモン、見付かりましたよ」
数日後、須垣さんはそう言って病室へと入って来た。
「さぁ、じゃあもう退院の準備しちゃいましょう。先生にも許可はもらって来たので、後はもう一回だけ山登って、降りて来るだけでいいから。そうしたらもう駅まで送るので、電車乗って帰るだけですからね」
それを聞いて私は、なんとなく最後まで詳しい説明はしてくれないんじゃないかと言う不安に駆られた。
病院の先生に挨拶をし、ふらつく足で玄関へと向かう。久し振りの外の空気はやけに淀んで湿っており、曇天の空は今にも降り出しそうな気配があった。
須垣さんは私を助手席に乗せ、「すぐですよ」と車を走らせた。
やがて辿り着いた先は、川沿いに位置する民家の裏手の高台だった。
確かにそこには白い鳥居があった。だがなんとなく、以前来た場所と違って見えるのである。
「なんかここ、私の知っている場所と違いますが」言うと須垣さんは、「そりゃあ山の逆側の裏手方面ですからね」と笑うのだ。
その後に続き、聞こえるか聞こえないか程度の小声で、「本来はこっちから登らなきゃいけなかったのに」と呟いたのを、確かに私は聞いた。
車を停め、鳥居の前に立ち、「藤田さんはそこに倒れていたそうですよ」と、石段の上を指差す。見れば確かに、鳥居からこっちは綺麗な石畳で造られているのだ。
「実は藤田さん、こう言う事はあまりおおっぴらには言えないのですが……」
と、須垣さんが言い掛けた所で遠くから声が掛かる。見れば少し離れた場所に、商工会町の大津さんともう一人、神主さんだろう装束を着た男性が立っていた。
「やぁ藤田さん、ようやく退院ですな」大津さんは笑いながら近付いて来る。
そしてもう一人の神主さんだろう人が、「本日、同行します青島と申します」と私にそう挨拶するのだ。
「同行って……小瀬さんじゃないんですか?」
聞くと大津さんは、「訳あって青島さんに代わってもらいました」と言うのである。
「どうして?」
「えぇと……まぁ、鳥居の向こうってのは基本神道の分野なのでね」
と、歯切れの悪い言葉で言う。意味は分かるが、それで小瀬さんが降りると言う理屈にはならないような気がした。
青島さんは鳥居の前に立ち、祓詞(はらえことば)のようなものを唱え、そして私に振り向き「行きましょう」と促した。
鳥居をくぐるとまた以前と同じ感覚がやって来た。
まず最初に静寂が訪れ、そしてあの圧倒感と、下がる気温が来る。
周囲は日没のような暗さとなり、周囲には紫煙のような霧が立ち込めている。
あの時と同じだ――と思った所で、「お掴まりください」と青島さんが私の手を握る。
身体がびくっとした。これではあの時と全く同じではないか。思った所でまたしても全身の毛穴が粟立った。
そして階段の一段目に足を掛ける。そして――それはまたやって来た。ずしっと全身の骨が軋むぐらいの重さの“何か”が背中に乗って来たのだ。
“何でまた来た!”
今度こそ私はその何かに怒鳴られた。
“もう無理だ。二度目は助けられん。何でまたここに来た。どうして帰らなかった”
言われてみればどうしてだろう。あれだけ怖い目に遭ったと言うのに、どうして私はまたここに来てしまったのだろう。
「……なさいよ。……って言ってるんだから、もう諦めなさい」
隣で神主さんが、語尾しか聞こえない言葉で語り掛けて来ている。
“話すな。絶対にそっちを向くな”と、背中の男性が語り掛ける。
前回の冨田さんの時と同じだが、違う部分はあった。冨田さんは一方的に自分の事を話していたのに比べ、今回の青島さんはずっと背中の男性と話が噛み合っていた。
背中の男性が、“一言も口を利いては駄目だ”と言えば、青島さんは、「……ってもう手遅れだよ」と笑う。
又、“何で家に帰らなかった”と背中の男性が言えば、「……で、帰れる訳ないじゃない」と青島さんは言う。なんとなくだが、青島さんが背中の男性に対し、言葉を返しているように思えるのだ。
どうしよう。この背中の人は、私に懸命にアドバイスをしてここから逃がしてくれたのに。
もはや後悔しか無かった。気が付けば既に山道は下り坂となっていて、隣では青島さんが楽しそうな声で、「もうすぐだねぇ」と笑っているのだ。
暗い森の山道の中、向こうに微かな光が見える。そしてそこには鳥居があった。なんとなくだが、あの鳥居をくぐった先はもう既に現世ではないなと言う気がしていた。
“大変だろうが、ここからは背後を振り返らず、後ろ歩きで今来た道を帰りなさい”
背中の男がそう言った。同時に背中がすっと軽くなる。
“目を瞑って。頂上を過ぎるまで目を開けないで”
言われて私はその通り、そっと目を瞑る。すると今度は青島さんの手が、私の手を振り解こうとするかのように、乱暴に払ったのだ。
少し先の方で、猿があげる金切り声のような悲鳴が轟いた。私は言われた通り、おぼつかない足取りでゆっくりゆっくりと後ずさりを始める。
それは途方もない時間だった。目を瞑ったまま前に歩くのだって困難だと言うのに、その時の私は背後を振り返らないようにして後ろへと下がり、山を登ったのだから。
全身から汗が噴き出た。緊張と疲労とでいつ倒れてもおかしくない程に、疲れ切っていた。
それでも足の感触で道がもう下り坂だなと分かった時のあの安堵感。そこから私は目を開け、そして山道を下った。そうして再び入り口の鳥居をくぐれば、またしても目が裏返る感覚があり、そこで待っていたのか須垣さんと大津さんの声が近付き、なんとなくだが私を抱き留めてくれたような感触があったような気がしたのだ。
二たび、私は例の病室で目覚めた。
困り顔の先生は、「許可など出していないのに、どうして外出なんかしたの」と怖い顔で私を睨んだ。
「でも、須垣さんが退院の許可をもらったと」
言うと先生は、「須垣さんって誰?」と聞くのだ。
私が「この村の議員さんだって聞きましたが」と言えば、「そんな議員いたっけな?」と首を傾げる。
「前に商工会の大津さんと一緒に来た、あの議員さんですよ」
言うと、「良く分からんから本人に聞いてみる」と病室を出て行くと、本人はその外で待っていたのだろうか、先生はすぐに大津さんを連れて戻って来た。
「須垣さん、知ってますよね?」
聞けば大津さんは少しだけ悩んだ挙げ句、「少なくとも私の知り合いにそんな名前の人はいない」と言うのだ。
まただと、私は思った。
前回は冨田さんの存在が消え、今度は須垣さんが消えた。思う事あって私はすぐに例の神主さんである青島氏の名前を出すが、やはりその青島氏も消えている。
死んだとか、行方不明ではなく、存在そのものが“無い”ものとなってしまっているのだ。
少しして小瀬さんが病室を訪れた。小瀬さんは、「なんで私を待たずに登りましたの?」と咎め口調であった。
もはや事実そのものが取り代わってしまっているのだ。私は「信じてはもらえないだろうけど」と言う前提で、今日起きた出来事を二人に話した。
二人は前回同様に全てを受け入れ信じてくれたが、それは今日起きたものではなく、既に六日も前の話だと教えてくれた。
「もうやめましょう」と、小瀬さん。「あなたはもうここにいては駄目だ。もう自宅へとお戻りください」
「それで大丈夫なんですか? 降りたモノ、放ったらかしになっちゃいますけど」
「もういいですよ」と、今度は大津さん。「もう他所から来た方にこれ以上付き合ってもらう訳にも行かないし――」
行かないし……なんだろう。大津氏はそれ以上は何も言わない。
結局その翌日、私は病院を退院し、大津氏の運転する車で駅へと向かった。
「もうここには来ないように」と、大津さんは言う。もちろんもう二度と来ないと、私は無言で心に誓った。
駅前の小さなロータリーに、妙な人がいた。長襦袢を着込み、中央の植え込み部分に座り込んで、何やら楽器を掻き鳴らしている老人だ。
その前を通り過ぎる瞬間、その老人は車内の私をそっと睨んだ。だがその両目は既に光を失っているのか、白く濁っていた。
駅前に車が横付けされ、「お元気で」と大津さんは言う。そしてそれに継いで、「くれぐれも、もうここには来ないでください」と言われ、私は先程と同じように無言で頷いた。
――じょぉぉぉおぉぉん――と、音が聞こえた。見れば先程の老人が立ち上がり、楽器を持ったままこちらを向いていた。私は逃げるようにして駅へと飛び込み、切符を買ってホームへと向かう。
ホームから外を見れば既に大津氏の車は無く、例の長襦袢の男の姿も見当たらない。
やがて電車が到着する。私はそれに乗り込み、そしてようやくそのT村から脱出する事が出来たのだ。
長い間放置されていた自宅へと戻る。洗面所の体重計へと乗ると、体重が十四キロも減っていた事に驚く。
私はその日の内に会社へと連絡し、翌日から出社する旨を告げた。
だが会社へと出向けば既に私の机は他の人が座っており、私は別室をあてがわれてどうでもいいような雑用ばかりを任される。
午後、社長室へと呼ばれ、「精密検査を受けて来て欲しい」と言われた。
「検査ならば入院した先の病院で受けました」と伝えるが、どうも社長が言うのはそう言う検査ではなく、精神科へと向かって私の記憶が正常なのかどうかを調べて来いと言う話らしかった。
私はすぐに退職届を書き、それを机に残したまま無断で早退をした。
帰り道、私は悔しさのあまり、家に着くまで泣いた。もうその頃にはどうにでもなれと言う絶望感で、帰宅するなり布団にくるまり、餓死するまで寝ていようとさえ思ったのだ。
実際、それからの二日間は少量の水を飲んだだけで何も食事をとらなかった。だが三日後に届いた会社からの書類と退職金の額を見て驚き、少しだけ心の変化が現われた。
その明細書に書かれた金額は、僅か数年働いただけの者に支払われるような額ではなく、口止め料も含まれているんだなと想像出来る程の数字だったのだ。
これだけあれば当面生き延びられるなと安堵する。そんな時――
家の電話が鳴る。出てみればそれは実家の母からで、そう言えば長い事入院していた事を話していなかったなと思っていると、母は一体何を思ったか、「仏間に飾ってある遺影の一つが落ちて割れた」と、私に告げるのだ。
正直言えばそれはどうでも良い話である。が、何故かその話を聞いた瞬間、私は何かに心動かされた。
そしてそれは母にとっても同じ事だったようで、「恭子には全く関係ない話なんだけどねぇ」と、言い訳をする。
「ねぇ、お母さん。その遺影って――」聞けば母は、「まだそのままだけど」と言うのだ。
私はあまり深く考えず、「すぐ行くね」と電話を切った。
時刻は午後の三時。少々遅い出発ではあるが、今出ればなんとか終電までには実家へと辿り着ける筈である。私は取るものも取りあえず家を飛び出した。
――実家のある最寄り駅の改札を出たのは、田舎にしてみればほぼ真夜中の二十三時過ぎであった。
駅には両親揃って、車で迎えに来てくれていた。
久し振りの挨拶もそこそこに、その場に姿が見当たらない、妹の芽生子(めいこ)の事を聞く。すると両親は、「大学の研修で地方に行っている」と言うのだ。
さて、問題の遺影は仏間の中、落ちたままの状態でそこにあった。
割れたガラス片は飛び散り、畳の上に四散している。どうやら本当に落ちたままにしていたらしい。私はスリッパ履きのまま仏間に踏み込み、裏返しになった遺影をそっと持ち上げその写真を見た。
それは幼い頃、幾度か見た記憶のある先祖の誰か。白髪交じりの頑固そうな老人男性であった。
一瞬で私は理解した。かつての御観山途にて私の背に乗り、二度までも私を助けてくれたのはこの人だと。
「お父さん、この人誰?」
聞くが父は、「分からない」と首を振る。
「爺ちゃんが生きていたら多分知っていたかも知れないが、俺は何も聞かされていないから、いつの頃のどんなご先祖さんか分からないんだ」との事。
その夜は、留守にしている妹の部屋で眠った。家を出た私の部屋はもう無いのだから仕方無いのである。
果たしてあの遺影の老人は誰なのだろうか。そして、どうしてあの御観山途までやって来て私を助けてくれたのだろうか。考える事は沢山あったのだが、ゆっくりと訪れるなだらかな眠気に、全ては暗転して消えて行った。
翌朝、私は無理を承知で父に聞いてみた。あの落ちた遺影、私がもらえないかと。
だが意外にも、「構わない」と父は言うのだ。実際、あの遺影が落ちて大きな音がした瞬間、両親共に“恭子に何かがあった”と察したと言うのだ。
結局その写真は額から外して大判の封筒へと入れて持ち帰る事にした。
昨夜と同じ時間を掛けて家へと戻る。すると暗い部屋の中、留守番電話の録音を知らせる灯りがほんのりと灯っているのが見えた。
もしかして実家に忘れ物したかな。私はてっきり両親からの電話だと思いテープを再生したのだが、それは意外にもT村の大津さんからだった。
「すみません、早急にご連絡いただきたいのですが」
そんなメッセージの後に、大津氏の自宅のものだろうか電話番号を二回読み上げて再生は終わった。
しょうがないなと思い、私はその番号へと掛けてみる。――が、通じない。この番号は現在使われておりませんと言う電子音声が流れるだけだ。
自分の番号を間違えるなんてどうかしてると思いながらも、こちらからどうにか出来るものでもなく、用事があるならまた来るだろうと放っておく事にした。
それからと言うもの、大津さんからの留守電は度々あった。おかしな事に私が家にいる時には全く掛かって来ないと言うのに、ほんの僅か――例えば早朝に集積所へとゴミを持って行ったりなど、僅かに留守をした間にそんな電話が掛かって来ていたりするのだ。
しかも内容はいつも「早急にご連絡を」と言うもの。そしてその後には電話番号が読み上げられるのだが、やはりその番号は繋がらない。次第にそのメッセージはやけに真剣味が強くなって行き、「お願いします。一刻を争うのです」や、「どうかお助けください!」などと、語気を荒げるような口調へと変わって行くのだ。
ある日、半ば怒っているかのような留守電が入っており、さすがに私も連絡付けなければと思ってT村の例の地区にある商工会議所と言う所に電話を入れたのだ。すると返って来た言葉は、「大津と言う名前の者はおりません」だった。
それっきり、大津氏からの連絡は途絶えた。
そんな事が起こる前後ぐらいからだ、私の身の回りで妙な偶然が重なり始めた。
どう言う訳か、T村の情報を至る場所で見掛けたり、聞いたりする事が多くなったのだ。
例えばテレビを点けると、「本日は奈良県にありますT村へと来ております」と流れたり、買い物へと出掛けると、“奈良県T村直送の大根”などと謳っている野菜を目にしたり。
会社での慰安旅行があるまでは、そんな村など聞いた事もないぐらいに縁の無かった場所だと言うのに、何故か急にその村の話題が私の周りで身近になって来ているのだ。
「呼ばれている」と、私は感じた。
その村に――ではない。その村に棲まう“何かに”である。
ある日、母から電話が来た。内容を聞いて驚いた。なんと妹の芽生子が結婚すると言うのである。
「まだ大学生じゃない」言うと母は、「いいじゃない」と笑う。
「あの子はちゃんと両立出来るわよ。それに先方の方もとても良い人でね、芽生子も幸せなれるわよ」
ふぅんと返事をしながら、「どこで知り合った人なのよ」と聞けば、「研修で向かった先で、求婚されたらしいのよ」と母は自慢げに言う。
なんとなくだが嫌な予感がした。聞きたくはなかったのだが、聞かなければ始まらない。私は覚悟をしながら、「それってどこの人?」と聞けば、「奈良の人」と母は言う。
「T村とか言う所みたいね。疎可部さんって言う男性の方らしいよ」
聞いて私は「やはり」としか思えなかった。同時に私は妹の芽生子に対し、「ごめん」と言う気持ちで一杯になった。
これは絶対にあの子の望んだ結婚ではないと理解した。
呼ばれているのだ。それは芽生子ではなく、“私”だ。私が頑なにT村へと戻る事を拒んでいるからこその出来事なのだと、一瞬で悟った。
止めなきゃ――と、思った。私は咄嗟に、「お母さん、芽生子の結婚、許可しないでくれる?」と聞いたのだが、案の定「何でよ?」と咎め口調で言われた。
理由は言えないのだが、どうしても止めなきゃ駄目。言うが当然、母は聞かない。しまいには「あんたに結婚相手がいないからって、嫉妬したらあかん」とまで言われた。
無理だと思った。これはもう自分自身で止めに行かなきゃと。だが一旦こじれてしまった以上、「その疎可部さんとか言う人の住所教えて」と言ったところで教えてくれる訳も無い。
私は電話を切りながら、「しまったなぁ」と舌打ちした。
当時は携帯電話どころか、どこの家庭も電話自体一家に一つだけの時代である。妹の芽生子と直接話をしたいと思っても、当たり前のように両親に阻まれるのは目に見えていた。
どうしようか――と思い悩み、思い出したのがT村の住職である小瀬さんの存在である。
「確か××寺って言ってた」と回想しながら電話番号検索サービスを利用して調べてみると、それはすぐに見付かった。
「もしもし××寺です」と、いかにも小瀬さんだろう声の男性が出た。
私が、「藤田恭子です」と名乗ると、向こうはすぐに気が付いてくれた。
「どうしました?」と聞かれ、私は簡単に妹の身に起きた事を話す。すると――
「あぁ、疎可部さんですな。確かにその名字の家は村に一軒だけあります」と小瀬さんは言うのだ。
「噂で近々結婚されるってのも聞いてますが、まさか藤田さんの妹さんだとは知りもしませんでした」
「どうやら私はまた“呼ばれている”みたいで――」と、私が自宅に帰ってからの出来事を小瀬さんに話すと、「なるほどですなぁ」と困った声をする。
「確かに妹さんの結婚は自然のものだと考えるには無理がありますね。なにしろその疎可部さん、確かに独身ではありますが、私よりもずっと年上で、六十の半ばだったと記憶しております」
私は言葉を失う。妹の芽生子は私よりもずっとしっかりしていて、恋愛事もそんな無理をする子では無かった筈だった。
「妹を止めたいんですが」
言うと小瀬さんは、「一度こちらへ来られますか?」と私に聞く。
「うちの寺で良ければ宿泊出来ますよ。と言うか、おそらくこの村において寺ほど安全な宿泊先は無いかと思われますし」
私はすぐに、「宜しくお願いします」と答えて電話を切り、そして今度は実家へと電話をした。
だが、出ない。いくら掛けても両親が電話に出る事は無かった。
「とりあえず行ってみるか」と私は旅支度をし、もう二度と行くまいと思っていたT村へと再び向かったのである。
小瀬さんとはT村の一つ手前の町で落ち合った。
喫茶店の奥の席へと腰掛け、「大津さんはご存じですか?」と、真っ先に私は聞いた。
「誰ですかそれ」と聞き返され、「村の商工会の会長だった方です」と答えるも、「現会長はそんな名前の人じゃない」と言われる。
やはりまた消えてしまったと、私は思った。
もうこれで何人目だろう。冨田さんから始まって、地元の議員だと言っていた須垣さん。神主である青島さん。そして次はその大津さんである。私と関わる人達は何故か次々と姿を消し、それどころか「そんな人はいなかった」とばかりにその存在まで消されてしまうのだ。
「そんな事って有り得ますか?」
聞けば小瀬さんは「うぅん」と唸り、「これは仏教の内容とはまるで違う話ですが」と前置きし、「次元そのものが違う世界に来てしまっているみたいな感じですかね」と言う。
「ちょっと幼稚な事を言いますよ」と小瀬さんは笑い、「藤田さんはもしかしたら“並行世界”におるのではないですかね」と語るのだ。
「先程申されました方々の名前は私には全く聞き覚えが無いのですが、藤田さんにとっては私とは面識があるように思えていたと言うのですね?」
「面識があると言うか、相当に仲が良かったのかと思いました。実際に須垣さんと大津さんが、小瀬さんを呼んで来られたみたいで……」
「もうその辺りから私の記憶とは違っておりますね。私は村の駐在さんに呼ばれて藤田さんの病室へと向かったのですが」
やはり小瀬さんにとっては、須垣氏も大津氏も最初から“いない人”なのである。
次に私は、“御観山途”について聞いてみた。何度も濁され続けている、この事件の発端となったあの山道である。
「黄泉坂の事ですねぇ……」とまた、小瀬さんは困った顔をする。
「何がそんなに話し辛いのですか?」聞けば小瀬さんは、「実は地元でもその坂の由来はあまり詳しく伝わってないのですよ」と言うのだ。
「密教か何かなのですかねぇ、とにかくそれは神道でもなければ仏教でもない、独自の土着信仰みたいなものなんですよ」
小瀬さんが言うには、こう言う事らしい。
あの山自体が元々、修験者達の修行の場だった。そしてその修験者達は独自の信仰を持っており、その信仰自体はその地に住む人にも伝える事はしていなかった。
ただ、その黄泉坂――要するに現在の御観山途は、修験者達の最後の試練に使われた場所であり、そこを伝って徳を確かめたと言われていたと言う。
「どんな試練なのですか?」聞くが小瀬さんは首を横に振る。
「黄泉坂と呼ばれていたぐらいなのだから、黄泉の国との交信でもしていたのではないでしょうかね」
そして最後に、その土着の信仰の神の名を小瀬さんは教えてくれた。
アカマ様――と、地元民はそう呼んでいると言う。
午後になり、私は小瀬さんの運転する車に乗り、またしてもT村へと行き着いた。
心のざわめきが止まらない。何故かどこを見ても、私に対する悪意と言うか、敵意のようなものが漲っているように感じられた。
真っ先に疎可部家へと向かった。小瀬さんが、「あそこの大きな家ですよ」と教えてくれたのだが、何故かその家の前には一人の大きな男性が立っていた。
一瞬で理解した。あれが妹の結婚相手である疎可部氏であろうと。
何故かその男は紋付きの羽織袴姿で、仁王立ちのようにしてその家の門の前に立っている。
私はそっと、「私が来る事を伝えていたのですか?」と小瀬さんに聞くが、小瀬さんは「まさか」と困惑気味な顔で答える。
家の前で車を停める。同時にその大男は私に向かって深々と頭を下げた。
「藤田さん、これを手に巻いて」と、小瀬さんは何かを私に手渡した。
見ればそれは大きな数珠で、小瀬さんは「これから先、村にいる間は絶対に手放さないように」と私に言うのである。
私は鞄から大判の封筒を取り出す。例のご先祖様の遺影の写真だ。
右手に数珠を巻き、左手に封筒を持って車を降りる。すると門の前に立つ男は、「疎可部です」とまた、私に頭を下げるのだ。
「あの……」と、言い掛ける間も無く、「芽生子さんのお姉様ですね」と男は言う。
事前に小瀬さんから六十半ばの老人だとは聞いていたが、実際はそれほどまでには年齢を感じさせない偉丈夫な男性だった。
「遠い所をようこそいらっしゃいました。芽生子さんも家の中でお待ちでおります」
聞いて驚く。「芽生子はこちらに?」聞けば疎可部はゆっくりと頷き、「挙式ですから、本人がいなければ始まらないでしょう」と、口元だけで笑った。
「挙式って――?」
「私共の結婚式ですよ。お姉様も到着した事だし、もう間もなく始めますので」
冗談でしょうと言い掛けたが、疎可部氏の顔は笑っていない。私はなんとか時間を稼ごうと、「とりあえず両親に報告してから」と告げた。すると――
「お父様、お母様は、もう昨夜からお見えになっておりますよ」
今度こそ私は驚き、目を見開く。そう言えば昨日、実家の電話には誰も出なかった事を思い出す。
「さぁどうぞ」と、疎可部氏は玄関の戸を開く。すると隣にいた小瀬さんが、「ここからは何も喋らないでください」と、私にこっそりそう伝えるのだ。
そこは広い家だった。そして調度品と呼べるものはとても少ない、家の広さに比べてとても質素な印象を受ける家の中だった。
私と小瀬さんは、四方が襖で仕切られている六畳ほどの部屋へと通された。
部屋の中央には囲炉裏があったが、火はともっていない。私と小瀬さんはその囲炉裏を挟み、向かい合って座った。
「支度が済むまでここでお待ちください」と、疎可部氏は出て行く。そうして足音が遠ざかるのを見計らい、小瀬さんは私に小声で話し掛けて来た。
「いいですか、ここでは何があっても声を出してはいけませんよ。疎可部家は例の黄泉坂がある山の所有者ですから」
私は頷く。そして次に小瀬さんは、「私の指示なく、部屋を出て行ってもいけません」と言う。
「今、藤田さんと私は、とんでもない場所にいるのだと自覚してください。ここにいる目的は一つ、無事に妹さんを取り返して村を出る事だけです」
でも両親が――と言い掛けて口をつぐむ。小瀬さんはその内容を察したか、「まだ本当にご両親がここにいるとは限っておりません」とそれを諭す。
「妹さんも同じです。まだ姿を見ていないのですから。もしかしたらそのどちらもここにはおらず、私達は疎可部さんに嵌められた可能性もありますからね」
なんとなく正念場だなと私は感じた。どうしてこんな目に遭っているのだろう。ただ会社の旅行で、半ば無理矢理に連れて来られただけなのに。
やがて隣の部屋が騒がしくなる。
「お姉ちゃんも来てくれたの?」
「そうみたいね。早く支度して、花嫁衣装見せてあげなきゃ」
襖一枚隔てた所で、芽生子と母の声がする。おそらくは父もいるのだろう、時折、癖である咳払いが聞こえる。
何故か腕が重く、両腕が上がらなくなった。肩が重い訳ではない、単にその手に握る物の重さで腕が上がらないのだ。
右手には数珠。何故か手首に巻いたその数珠がやけに熱く感じる。
左手には例のご先祖様の遺影の写真だ。たかが薄っぺらい大判の封筒だと言うのに、鉄板でも持っているかのようにそれが重く感じるのだ。
「お支度は出来ましたか?」と、隣の部屋に疎可部氏が入って来た声がする。
そこではいかにも芝居掛かったかのような衣装の褒め合いや、どこそこに住む親類の叔父さん叔母さんが来ているだのと言う無駄な会話が交わされていた。
私は苛々としながら腰を浮かして立ち上がろうとするが、その度に小瀬さんから制止される。
「襖を開けてはいけません」
小声でそう言われる度に、私は渋々と頷いてまたその場に腰を下ろす。
そうしてそんなやりとりが何度か繰り返された後、疎可部氏と両親が「声を掛けたら式場までお越しください」と部屋を出て行ったのだ。
今だ――と、私は思った。今度こそ小瀬さんに止められる前にと急いで立ち上がり、勢い良くその襖を開け放った。
「芽生子!」と、私の呼び声と同時に、「藤田さん!」と言う小瀬さんの声が聞こえた。
だがその開け放った襖の向こうには、想像した姿は無かった。誰もいない、無人の部屋でしかなかったのだ。
「小瀬さん……」と振り返ると、何故かその隣の部屋はやけに暗い。どころかそこに座っているのはどうやら小瀬氏ではないらしい。妙な楽器を持った男性らしき影がある。
一瞬で気付く。いつぞや駅前で見掛けた長襦袢姿の盲目の老人だと。
なんとなくだが、私は失敗したんだと言う絶望感が押し寄せて来た。
――びょぉぉぉぉぉぉん――と、老人の持つ楽器が打ち鳴らされる。そうしてその老人は暗がりでふふと笑い声を漏らし、「予定通りに動かされたな」と私に言うのだ。
「疑う事を知らん人は弱い。何もかも逆を張った事も気付かん」
何を言われているのか分からないのだが、何となく言われた通りのような気もした。
私はどうしようと思いながらそこに立ち尽くしていると、「ご家族を助けたい?」と、その盲目の老人に問われる。
無言で頷けば、「次こそあんたの考えの逆を張れ」と老人は言うのだ。
「逆……とは?」
「あんた、“こっち”に来てから何も口にしておらんな」
――こっち? こっちとは何を指す言葉なのだろうか。老人は、「今度はあんたから消える。そうすりゃご家族は、あんたがいない所で生きて行ける」と笑う。
背中に、「この土地の者の話は何も信じるな」と声がぶつかって来る。気が付けば私は疎可部家の玄関から飛び出していた。そしてどこをどう走ったのか、私自身はてっきり駅へと向かって走っているものだと思っていたのに、気が付けばあの黄泉坂の白鳥居の前。
「いやだ」
呟きまた取って返して走り出すのだが、どこをどう走っても何故か必ずその黄泉坂の鳥居の前へと出てしまうのだ。
気が付けばいつの間にか陽は沈み、辺りはとっぷりと夜の帳が降りている。
“このままでは村から出られない”
ただそれだけは理解出来た。
仕方無く私は鳥居をくぐる。一瞬にて気温が下がり、またあの圧倒的な威圧感が襲って来る。
ただ、静寂だけは来なかった。代わりにうるさいほどの、“無音”の反響が鼓膜を震わす。私は霧の立ち込めた世界を、一段一段と踏みしめながら登り始める。
手に巻いた数珠が急激に熱を帯び、もはや火傷でもしそうなぐらいに熱くなる。
外さなきゃ――と思った所でそれは弾けて落ちた。しまったと思いながら下を向くが、落ちた筈の数珠の玉はどこにも見当たらない。
そう言えばご先祖様の遺影の写真も、疎可部家に置いて来てしまった。もう私を守るものは何も無いなと思いながら、とぼとぼと坂を登る。
やがて坂の頂上へと辿り着く。そこには小さな祠が一つ、濃霧に紛れて鎮座していた。
私はその祠の前にしゃがみ込み、手を合せてから扉を開く。祠の中には御神体の姿は見えず、漆黒の闇が奥の方へと横たわっているだけ。
私はもう一度その祠に向かって手を合せると、両親と妹の無事を願った。同時にもう私はこの世界から消えてもいいからと。
――気が付けば、T村の病院のベッドの上だった。
三度ここかと思って辺りを見渡せば、それに気付いた看護師さんが、「目を覚ましました」と、先生を呼びに行ってくれた。
驚いた事に、私の時間は巻き戻ってしまっていたらしい。その翌日には会社の部長と課長の二人が病室を訪ね、いかにも迷惑そうに小言を並べて帰って行ってしまった。
その後、地元の人が訪ねて来たが、それは地元の駐在さん一人で、「一応、事件性があるかどうか聞きたいだけだから」と、二十分ほど雑談をして病室を出て行く。
後はただ安静にするばかりで、ものの数日もしたら「退院ですよ」と先生に告げられた。
他はもう特筆すべき事は何も無い。電車を乗り継ぎ家へと帰り、会社へと復帰すれば以前と全く同じで、精神科の受診を勧められた。
ただ、元いた世界とは細かい部分で違っていた。
まず、冨田さんはやはりいなかった。そしてきっとT村の須垣さん、大津さんも消えたままだろう。小瀬さんがいた寺の存在も無くなっていた。
そして悲しい事に、その世界で私は家族のいない孤独な身であった。
両親と妹は、私が十六歳の頃に交通事故で亡くなっていた。結局、家族も助ける事は叶わなかったのだ。
あれから私は、地道にT村の事と御観山途の事を調べた。
結果から先に言うが、どうやら私が今いる世界にはT村も御観山途と言う山道も存在していないらしい。地図を辿り、路線図を辿りとしているが、その村があった場所はもう完全に違う地名となっていた。
地図上では御観山途らしき場所も見付かったのだが、それは名も無きただの山道で、言われも何も無いそんな道だった。
要するに、全てが取り代わった世界に私はいるのだ。もう何もかも元には戻らない、そんな世界で暮らしているのだ。
もう戻れない――と言うのは冗談ではない。私はもうこの世界の食物を口にしているからだ。
今思えば、私は最初に病院で目覚めて以来、何も口にせず水さえも飲まなかった。
到底、生きている人間の仕業ではない。だがそれは本当である。あれだけの長い日数を経たと言うのに、何かを食べたと言う記憶だけは一切無いのだ。
もしかしたらあの出来事は何もかも夢であり、私が病院のベッドの中で見た長い長い夢だったのかも知れない。もちろん、親も妹も本当に亡くなっていて、夢の中で勝手に生きていた事にしただけなのかも知れない。
だが、会社の社長に勧められた通りに精神科で受診をしてみたのだが、結果は問題無しだった。
又、病院から帰った後に洗濯をした衣服から、数珠の一粒だったであろう玉が一個だけ、ポケットの中から見付かった。
私は今年、六十四になる。
きっとこの話はどこの誰もが信じてはくれないものだろうが、生きて、そしてそれを体験して来た者の証として、人生の最後にこれを残したいと思った。
私はその事件がきっかけで家族の全員を失ったが、もしかしたら私が向こうの世界で消えた事により、向こうでは家族全員が無事であると言う、そんな世界を望んで終わりとしたい。
かつて日本では“神隠し”と呼ばれる現象が各地で起こっていたと言われるが、現在では全て誘拐か殺人を立証出来なかった時代の言い訳だろうと片付けられてはいる。
だが――もしかしたら私のような、こんな形の神隠しなんかも存在するのかも知れない。
長文、申し訳ありません。誰か一人でもこの話を聞いてくれたなら、私はそれで満足です。
――と、藤田恭子さんの手紙はそれで終わっていた。
さてこの手紙を読んだ筆者自身、思う事は多々あるのだが、全て蛇足だと思うので割愛とさせていただく事にする。
この手紙が届いたのは2023年4月の事。その後藤田さんとは何度かの電話でのやりとりを経てこの原稿が書き上がった。
先日、「そろそろ掲載となりますよ」と言う連絡をした際に知ったのだが、藤田さんはその報を待たずして鬼籍に入られたらしい。
誠に残念な事である。藤田さんのご冥福をお祈り致します。
追記――藤田家への連絡を入れた際、「姉は亡くなりました」と話してくれた女性が誰だったのか、聞けず仕舞いだった事だけが悔やまれる話である。
以降、その電話番号に掛けても、「現在この電話番号は――」と言う電子音が流れるばかりだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます