#678 『年賀葉書』

 私がまだ小学生だった頃の事である。

 元日、クラスメイトからの年賀葉書が何通か届いていた。その中に一枚、差出人不明の葉書があった。

“あけましておめでとう ことしもよろしく”

 とても稚拙で汚い字で、そう書かれていた。

 これって妹宛てなのでは? と裏返してみるが、やはり宛先名は私である。

 他のクラスメイトの葉書は全て事前に、「年賀状の交換しようね」と打ち合わせていたものばかりで、記憶のある限り全員分がある。結局その葉書だけ、誰が出したものなのか全く分からなかったのだ。

 さてその翌年の元旦。またしても同じ葉書が届いた。しかも内容も全く同じ。せめて差出人欄に自分の名前書いてよと苛ついた程だった。

 結局その葉書は毎年届いた。計七通。私が高校一年生になるまで、それは続いた。

 だがその翌年、とうとう葉書は来なくなった。私は届いた七通全てを並べて見るが、何故かどれも同じ時期に書いたのではないかと思える程その筆跡は酷似しており、七年を経た字の向上が全く感じられなかったのだ。

 やがて私は大人となり、家を出て就職し、そして結婚を果たして子供も産まれた。

 産まれた子供は女の子で、名前を“綾那(あやな)”と名付けた。

 綾那は先天的に知的部分に障害を持っていたらしく、学校の勉強にはかなり遅れが出ており、とうとう小学校三年の辺りで学校を変えるべきだと言う提案をされた。

 私がその事を綾那に告げると、同級生達と別れるのがつらいと悲しみ、その年末、全員に年賀状を書いて出すとそう言っていた。

 ある日、綾那の部屋の机に書き掛けの年賀状が何枚か載っていた。それを見た瞬間、私の背筋が凍り付いた。

“あけましておめでとう ことしもよろしく”

 それはその言葉も、筆跡も、大昔に私の元へと届いた年賀状そのものであった。

 元日、私は夫と綾那と三人で実家へと向かい、まだ当時のままに残っている私の部屋で、例の年賀状を探した。

 そしてそれはあった。差出人はやはり書かれていなかったのだが、同時に綾那は自分の名前をまだ漢字で書く事が出来ずにいる事をとてもコンプレックスに思っているのを思い出した。

 葉書は家に持ち帰る事にし、バッグにこっそり仕舞い込んだ。

 それから紆余曲折あり、結局綾那は特別支援学校へと通う事となり、そこで新しい友人も出来たらしい。

 例の葉書は、仕舞った筈のバッグの中から忽然として消えてしまっており、今以てそれは見付かっていない。

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