#669 『迎え』
僕が幼かった頃に過ごした家は、広大な田んぼと山に挟まれた、そんな場所だった。
過疎の田舎の町である。当然昔の事なので、コンビニどころかろくな商店も無い町。それなりに集落と言うものは存在していたのだが、僕の家はさらにその集落から外れ、真っ直ぐな未舗装の田んぼ道を進み、突き当たった場所にそれはあった。
その頃は、そんな場所に家を建てた親を恨んだものだった。なにしろ見渡す限りの田んぼと、家の裏に流れる川。そしてその背後はもう険しい山だ。他にはもう何も無い。怖いぐらいに寂しい場所だったのだ。
ある日、母が出て行った。離婚と言うやつだ。それから僕は酒にだらしない父と二人で暮らす事となったのだが、母のいなくなった家庭はあっと言う間に荒んで行った。
ある晩の事だ。父は近所の寄合いがあると言い、車で出掛けて行った。こうなるともう翌朝を過ぎ、昼まで帰って来ない。大酒を飲んで車で寝てしまうからである。
季節は春から梅雨に移ろうとする頃。眼前の田んぼでも裏の川でも、やたらと蛙の鳴く声はうるさい。僕は懸命にその雑音を無視しながら眠りに就こうとするが、なかなか眠れるものではない。
ふと、気が付く。窓の外がぼんやりと明るい。外は裏手の山と川。そこに明かりが灯る訳が無い。僕はそっと窓に近付きカーテンを開けると、川を挟んだ向こう岸に提灯を持った人達が連なって山へと登って行く様子が見られた。
一瞬で悟った。これは人じゃないと。なにしろその山たるや人が歩けないほどに木々が生い茂った深い藪で、あんなに大勢の人が詰め掛けられる訳が無い。
僕は慌てて玄関へと向かうが、玄関の外には同じく提灯を持った“誰か”が立っているのだろう、磨りガラス越しに蝋燭の灯りと人の影がある。
逃げられない――思った瞬間、外からけたたましい車のクラクション。
ふと、外の人影と僕とが、同時にそれを避ける。そして父の運転する車は玄関を突き破り、玄関の戸を粉々に壊しながら乗り込んで来た。
父は僕の名を呼び「乗れ」と言う。すかさずその助手席へと滑り込むと、父は荒い運転でバックさせ、家から遠ざかるよう車を走らせた。
振り返ると今も尚、提灯の行列は続いている。どうやらその灯りは町の方からも見えていたらしい。父は酒を切り上げ飲酒運転のまま僕を迎えに来てくれたのだ。
新しい家は、町の中でも比較的賑やかな場所に建てられた。それからすぐに、出て行った母も戻って来た。
元の家はすぐに取り壊され、今では祠となっている。
町の人の噂では、今でもたまに提灯の行列を山の中に見る事があると言う。
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